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花を咲かせる風 17
「どのお着物にします? お二人とも和装が似合いそうですね」
着付けは、桃香さんの娘さんがしてくれることになった。
次々と男性物の反物を見せて貰うが、色が似たり寄ったりで迷ってしまう。
「あの……俺、着物のことは、よく分からないので……お任せします」
「私もそうします」
着付けに慣れているのは、翠さんと流さんだ。俺たちは洋風の暮らしをしているので、どの着物が似合うのかなど、さっぱり分からない。
「じゃあ、お二人に似合うのを、私が選んでもいいかしら?」
「あ、はい。桃香さんのお見立てなら間違いないです」
「ふふ……じゃあ、宇治の君には……あ、そう言えば……あれはどこかしら?」
その後、俺に着せられたのは、
何故か女性物の着物だった。
「えっと……あの……俺、男ですよ」
「もちろん知っていますよ」
「じゃあ……どうして?」
「嫌だったかしら?」
そう聞かれると……困ったな……不思議と嫌ではなかった。
むしろ肌馴染みがいいと言ったら……変か。
「これは……私の祖母が自分用に仕立てたと言うのに……妙に丈が長くて、誰も着ることがなかったのよ。何だか……まるでこの日のために誂えたみたい。柄は春の宇治川と満開の桜よ」
眠っていた着物に袖を通すと、懐かしさが込み上げてきた。
夕凪……君なのか。
この着物を着てみたいと願ったのは……
「洋、女性物の着物だが、本当にいいのか」
「あぁ、着てみたい」
「ふっ、参ったな。私の母に鍛えられたのか、洋はすっかり女装癖がついてしまったな」
「丈! おい、それは違うって! ただ……この着物はもしかしたら……桃香さんのお母さんが、いつか夕凪に着て欲しくて誂えたのかも……」
俺たちの話を聞いていた桃香さんが、不思議な話をしてくれた。
「そういえば……母が私が幼い頃にしてくれた物語に、とても不思議な物があったの、まさに今、この状況だわ。聞いてくださる?」
「ぜひ、話していただけますか」
……
「ももかちゃん、おばあちゃまの不思議な物語を聞いてくれる?」
「わぁ~ ぜひぜひ」
祖母は一呼吸置いてから、懐かしそうに目を細めた。
「昔々……あるところに可愛らしい女学生がいたの。彼女には素敵な許嫁がいて、その人が大好きだったのよ。結婚の約束までしていたのに、婚約目前だったのに……その彼が突然出奔し、行方知れずになってしまったの」
「え……そんなことがあるなんて。ショックだったでしょうね」
祖母は寂しそうな表情を浮かべていた。
「どんなに探しても見つからなくて、もう諦めていた時にね、その婚約者にそっくりな人と、宇治の朝霧橋の袂ですれ違ったのよ」
「わぁ、じゃあ運命の再会だったのね!」
「……いいえ」
「え……どうして?」
「その人はね、残念なことに……婚約者にそっくりな女性だったの」
「まぁ……よほどその婚約者のお方は美形だったのね」
「そうね。彼は女性と見紛うばかりの美貌だったのよ」
「ふふ、もしかして本人だったりして」
冗談には、笑ってもらえなかった。
「ももかちゃん、いつか背の高い美しい男性が訊ねてきて、一宮屋の伝統を受け継いだ着物を着たいといったら、これを着せてあげてね」
「?」
……
やはりそうなのか。
この流れは夕凪の願いなのか。
それとも桃香さんのお母さんの願いなのか。
いずれにせよ俺は覚悟を決めた。
「この着物を着せて下さい。そして、男だとバレないように……女性と見紛う化粧を施していただけますか」
「え……よろしいの?」
「えぇ、会いたいんです。彼に……」
夕凪……君は何か事情があって、女性の姿で出歩いていたのか。
ならば……俺も君に近づいてみよう。
何かが見えて、何かが開ける予感がする。
鬘《かつら》に白粉、口紅は紅を差してもらい、まるで舞妓さんのように変化する自分に、思わず見惚れてしまった。
ドレスの女装とは訳が違う。
これはもう……
「洋、参ったな。君は本当に洋か」
「丈……歩き方はどうすればいい?」
「それは夕凪に聞くといい」
夕凪、さぁこれでどうだ?
君に近づけたか。
(ありがとう……祇園白川に行かないか。そこに俺の思い出の欠片がある)
「そうだわ、祇園白川の宵桜は見頃よ。どうぞ、そのままお出かけになって」
トンっと桃香さんに背中を押されて、歩き出した。
自然に歩き方も仕草も女性を習っていた。
心に宿る夕凪が教えてくれているようだ。
「丈、行こう。スペシャルな夜桜デートだぞ?」
「洋……美しすぎる」
「丈は正絹の着物が風格があって……若旦那みたいに決まっているな」
俺たちはゆっくりと歩き出す。
まるで時の魔法にかけられたように。
補足です
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洋の和装女装は、 『夕凪の空 京の香り』 『心根 こころね』とリンクしています。
夕凪が女装して、桃香さんのお母さん、桜香さんとすれ違うシーンがあります。過去とすれ違いながら、一歩一歩歩む洋と丈を見守って下さいね。
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