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花を咲かせる風 49
ふと横を見ると、翠さんが目を閉じて空を仰いでいた。
あぁ……きっと……翠さんも報告をしているのだろう。
湖翠さんに、今は幸せだと。
彼らの悲しい過去も……流さんが現れたことで、浄化され昇華されていくのだろう。
じっと翠さんの端正な横顔を見つめていると、俺の視線に気付いたようで目が合った。
「洋くん、今回の旅はそろそろお終いかい?」
「はい、そうだと思います。月影寺の皆のお陰で、無事に父の軌跡を辿れました。俺が一番知りたかったことが分かりました」
「それは?」
「父と母の強く深い愛によって、俺はこの世に生を受けました。過去の無念を背負ってはいましたが、根本は強い愛だった……」
「そうだね。無念は……重かっただろう」
慈悲深い翠さんに言われると、素直に頷ける。
「はい……時に投げ出したくなるほど過酷でした」
「それでも君はここに辿り着いた」
「はい……今、ここにいるのは、過去を次々と解き放った俺です。浅岡洋としてこの世に生まれた一人の人間です」
過去のヨウ、洋の君、夕凪の願いは、すべて叶った。
「そうだね。洋くん、改めてよろしくね。それから今回の旅で僕も気付けたよ。君が月影寺の一員になるのは必然だったんだね」
「はい。あそこは俺の居場所です。今まで俺だけよそ者と卑下したこともあるのですが……月影寺と月光寺の関係に気付けて、嬉しいです」
翠さんが悪戯げに微笑む。
「ふぅん、じゃあ……洋くんも剃髪して、お坊さんになる? 僕は大歓迎だけどなぁ」
「え……剃髪ですか。あれ? でも翠さんは髪を剃ってないのに……あれ?」
「くすっ、その顔いいね。血が通っている」
翠さんが花のように微笑みながら、手を差し出してくれる。
「洋くん、握手しても?」
「はい」
「夕凪は湖翠さんが名付けたんだよ。それだけ思い入れが強かったようで……だから今回の洋くんの邂逅に……湖翠さんの魂も黙っていられなかったのだろうね。僕は薙に導かれるように京都にやってきて……洋くんと同じように邂逅した。君と僕はとても親しい存在なんだよ。だから改めて……よろしくね」
あぁ周りの存在がどんなに心強かったか。
俺はもう一人で過去と対峙しなくてもいい。
丈がいて、翠さんがいる。
薙くんが道を開き、流さんが過去に引きずられそうな気をしっかり立て直してくれる。
「はい、これからもよろしくお願いします」
俺と翠さんの間を、さぁっと風が駆け巡る。
優しい春の風が。
足下に、戯れのように優しい風がまとわりついてくる。
ふと、まこくんが夕凪と信二郎さんの足下で、じゃれついている様子が浮かんだ。
「洋くん、今、いい風が吹いているね」
「これが花を咲かせる風ですね」
「そうだよ……花は……植物の花だけじゃないよ。笑顔の花、心の花……いろんな意味がある」
そこに薙くんがヒョイと顔を覗かせる。
「おーい、父さんと洋さんはスローだなぁ」
「薙くん!」
「もうみんなとっくに歩き出しているよ」
顔を上げると、前方に丈と流さんの背中が見えた。
二人が振り返って、俺たちを呼んでくれる。
「おーい、早く来い! 置いていくぞ! 俺の翠山《すいさん》が待っているんだぁ」
「くくっ、一番張り切っているのは流さんかも。あー マジで腹減った。父さん、洋さん、早く、早く!」
「薙、待っておくれ」
「父さん、ほら、行こう!」
薙くんが翠さんに手を差し出すと、足下に纏わり付いていた風が、天高く吹き上げていった。
****
「おかあちゃま、こっちですよ。綿菓子を買ってくださいませんか」
「まこくん、あれは白い雲だよ」
「でも、おいしそうですよ」
「ふふ、じゃあ、あそこまで飛んでいこうか」
「はい、あの……おててを」
「うん、ギュッと繋いであげる。もう二度と離れないように……信二郎、行こう!」
****
彼らはもう自由だ。
きっと彼らが天上を飛び回る度に、花を咲かせる風が生まれるのだろう。
俺も……もう自由だ。
またひとつ重く背負っていたものを解き放てた。
だから……
これからは、もっと笑顔で――
これからは、もっと自然に――
生きていきたい。
「洋、一緒に歩こう」
「丈、ずっと傍にいてくれて、ありがとう」
「あぁ……ようやく一部始終を見守れた。どんどん……私だけの洋になっていく様子が眩しいよ」
「俺も、丈だけの俺になれるのが……嬉しいよ」
「ふっ、北鎌倉に戻ったら、覚悟しておけよ」
「あぁ、分かった」
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