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翠雨の後 47

「薙、雑巾、出来たよ」 「あっ、そうだった! 父さん、ありがとう」 「いや、作ってくれたのは、流だよ」 「あつ、そっか、流さん、ありがとう!」    流さんが台所の洗い物を手を止めて、ニヤッと笑った。 「薙、こっちこそサンキュ!」  ははっ! 父さんも流さんも朝から幸せそうだ。  やっぱり親孝行したみたいだな。  二人の心が落ち着いているのが伝わって来るよ。  穏やかな心が、オレにも連鎖する! 「そうだ! 昨日撮った写真、皆に送るよ」  スマホを開いて10枚ほどの写真を、月影寺のメンバーに一斉送信した。 「薙はパパッと手慣れているな。俺たちは機械に疎いのに」 「そりゃ現役高校生だからね」 「うーむ、十代には敵わない」  スマホの写真フォルダには、竹林で撮った写真がずらりと並んでいた。  涼と洋さんと小森くんとオレの入学祝いパーティー思いついた洋で、即席で竹林をカラフルに飾りつけしてくれていた。  予期せぬことだったから驚いたけど、滅茶苦茶嬉しかったよ!  中学の入学式の後……母さんはオレにお金を渡して「ごめん! 午後打ち合わせがあるのよ。これで好きなもの買って」と言い残して消えた。  卒業式だって同じだった。来ることは来たが、相変わらず仕事の方が大事みたいで途中で抜け出して電話とかしてたよな。  オレは母さんにとって邪魔なんだ。  何のためにここにいるんだろうと……虚しくなったものさ。  それが昨日は、入学祝いのパーティーまで開いてもらえた。  上手には礼を言えなかったけど、その分、笑顔の写真を沢山撮った。 「いい写真だね。薙の笑顔、制服姿、どれも最高だよ。こんなに立派に成長してくれて、父さんは感無量だ。とても嬉しいよ」  父さんがスマホを見て、目を擦る。  お、おい! こんなことで泣くなよ。  父さんとは、まだまだこれからだ。  もっともっと思い出を重ねていくつもりだ。 「パーティー楽しかったよ。また、たまにしない? お寺でBBQって最高だな」 「それな! 俺もそう思った。今度は料理部隊に参加するぞ」 「やった! 流さんが入ってくれるなら、大ご馳走だ」    そこで鳩時計が鳴る。 「ヤバイ! 遅刻する」 「薙、お弁当を持たないと」 「ありがとう。行ってきます!」  今日から1学期の授業が始まる。  いよいよ高校生活のスタートだ!  よーい、ドン!  まるで運動会の徒競走のように、俺は山門を一気に下った。  不安より期待で満ちている! **** 「洋、そろそろ行ってくるよ」 「あ、待ってくれ」  ソファでスマホをじっと眺めていた洋に声をかけると、慌てて駆け寄ってきた。 「どうした?」 「あのさ、これを見てくれよ」 「ん? 写真か」 「薙くんが今、送ってくれたんだ」  月影寺の竹林が、即席パーティー会場になっていた。  洋が作ったポスターも話だけでなくこの目でみられた。  エプロンをした洋、皆の輪の中で楽しそうに笑う洋もいいな。  洋の話から脳内再生していたが、やはり写真で見せてもらえるのは嬉しいな。 「沢山笑っているな」 「皆が笑わせるから、小森くんと涼と薙くんのノリが面白くてさ! 『あんこ音頭』なってあったか? 三人で盆踊りしだすし、あぁ面白かった。くくっ」  昨日も思ったが、洋は最近、白い歯を見せて大きく笑うようになった。  改めて静止画で洋の明るい笑顔を見られるのは、嬉しいものだ。 「どれもいい写真だな」 「……うーん、そうかな?」 「ん? 何か不満があるのか」 「……丈がいないじゃないか」  少しだけ拗ねるように口を尖らせるのが、可愛らしかった。  私の参加できなかった悔しさを、吹き飛ばしてくれる。  洋は顔に似合わず男っぽい口調で、艶めいた表情を頻繁に見せる。私を魅了し続ける艶めかしい身体の持ち主だが、その中でも私の心を一番和ませるのは、洋のふとした可愛い部分だ。  これは遠い昔、私たちが平安の世を生きた名残りなのだろうか。  歴代のヨウの中でも、一番幼くあどけないのが洋月の君だった。  私の帰りを宇治の山荘でいつも待ち侘びていた君。  洋月のために、私に出来ることは何か……いつも考えながら牛車に揺られていたな。  月が重たい夜も、月のない夜も――  悩んでいた。  そんな私が、ついにこの世で、出来ることを見つけた。 「洋、今週末、由比ヶ浜に行くぞ」 「あぁ、その言葉を待っていた」    力強い返事、固い約束、抱擁と接吻。  どれも遠い昔から欠かさなかったもの。  この先も欠かさずに繰り返していくもの。 「ん? 丈、夜中に雨が降っていたのか」 「あぁ、新緑を輝かせる雨だった」 「そうか」  涙を流した分以上、幸せになろう。  それは、翠雨の後――  心を合せて誓うこと。                           『翠雨の後』 了

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