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雨に濡れて 10

 そこがまさに侵入するかどうかの瀬戸際だった。先ほどから遠くに轟いていた雷が近くに落ちたようで、けたたましい音と同時に薄暗いロッカールームの灯りがいきなり消えた。 「なんだ停電か!せっかくのいい所なのに、くそっ!顔が見えないと面白くねぇ」 「おい懐中電灯ないか」    事は寸前のところで中断した。まだ恐怖で朦朧としている俺に、遠くから確かな声が聞こえてくる。 ──まだ駄目だ!守れ、己の躰を!──  これは誰だ?  俺の声と似ている。  何故そんな彼方から…… 「洋ー!洋っどこだ?」  その次の瞬間、遠くから安志が俺を必死に探す声が聞こえて来た。更に停電に慌てた教師の声も響いて来た。 「ちっ!行くぜ!」  俺を襲っていた上級生たちは逃げるように去って行った。ロッカールームに取り残された俺はハッと我に返り、慌てて服を整えはじめたが、制服のスラックスをはいている最中で、ドアが勢いよく開いた。 「洋、そこにいるのか。大丈夫か?」  駆け込んできたのは懐中電灯を握りしめた安志だった。 「あっ」  安志は俺の躰をライトで照らしたまま固まっている。その目線を辿り自分の上半身を見ると、俺ははだけた白シャツをかろうじて纏い、上半身にはキスマークがいくつも付けられていた。  こんな姿……誰にも見られたくない! 「み……見るな!」  安志に背を向け、慌ててシャツのボタンを留めようとするが、手が震えて上手くいかない。  大勢の人の足音が近づいている。 「洋、行くぞっ」  そんな俺を見かねた安志はプールで使ったバスタオルを肩にかけ、集まる人の横をさっとすり抜け屋上階段へと連れて行ってくれた。その間、安志は気まずそうに俯いたままで、始終無言だった。 「……安志?」  たまらずそっと声をかけると、いきなり安志の胸にグイッと引き寄せられた。 「なっ何?」 「洋、大丈夫だったのか?あいつらに……まさか、やられそうになったのか」  その言葉を聞いた途端、目から涙が滲み出た。我慢していた涙が溢れてくる。   「うっ……安志……俺、怖かった。男なのに、いざとなったら何も抵抗できなかった。俺はもうこんな顔も身体も本当に嫌だ! いつもいやらしい目で見られ、こんな辛い目に遭うんだ! お前はずっと俺を見ていたから知っているだろ?」 「洋……ごめんな。また守れなくて」  安志が俺を抱きしめる力がどんどん強くなっていく。 「安志?離せよ。く……苦しいよ」  安志の様子が少し変だと思った。 「洋!すまない。俺も……あいつらと同じだ。お前が好きだ! 洋のこと抱きたいってずっと思っていた!」 「えっ……」  幼馴染として信頼していた安志まで、俺をそんな眼で見ていたのかと絶望感が込み上げてくる。 「でも……お前は大事な幼馴染だ。俺は頭の中でお前を抱いたことはあるが、リアルにはお前を守る親友でいたいんだ。今こんなこと言ってお前を困らせること分かってる。すまない、許してくれ! 俺を軽蔑してくれ!」  安志はそう叫んだ後、茫然としている俺のシャツのボタンを留め、乱れた髪を優しい手で直し、そして優しく額にそっと口づけをして階段を降りて行った。 「安志……何で今……そんなことを言うんだよ……」  その寂しげな後姿を茫然と眺めることしか、あの時の俺には出来なかった。いつも助けてくれた優しい幼馴染だったから。  ちょうど時を前後して父親のアメリカへの赴任が決まり、俺はその日以来学校へ行くことなく、そのまま逃げるように渡米した。  安志とは、あの日以来会っていない。 ****  寒い──寒いよ。   身体がどんどん冷えていく。  高校時代の悪夢がフラッシュバックして俺を苛み、濡れた身体にまとわりつく服が重石のように過去の忌まわしい記憶の渦へと引きずり込んでいく。    嫌だ──もう嫌だ。  丈……君に抱きしめてもらったら温かくなるのだろうか。  君の手はとても優しく穏やかだった。  俺に触れて欲しい……  零れ落ちる涙が頬を伝っていく。    その時ドアが開き、光が差し込んできた。

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