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つづき
「さてと、どうしてそんなモッサリした頭で平気なわけ?イイヅカ君」
てっきりどこかの店に連れ込まれ額を合わせてネチネチ言われるかと思いきや、連れてこられたのは美容室だった。有無を言わさずイスに座らせられ、希望すら聞かれずハサミがジョキジョキと動き毛束が床に落ちていく。
モッサリした頭と言われても、おまかせでしてもらっている髪型だから俺の責任ではない。
「いい男ってのは酷い髪でもどうにかなるからね、そこが落とし穴」
落し穴と言われても。
「それで、下の名前は?ちなみに俺は武本由樹。武本家の立派な婿養子」
「衛です」
「マモリ?んん~呼びにくいね、がっちがちに固いし。ちなみにサトにはなんて呼ばれてんの?」
「飯塚です」
「まあ……そうなるか」
どうでもいいような話をしながら手は迷いなく動き続けている。そのよどみない動きは見ていても気持ちがよく綺麗だ。この人の腕は確からしい。いつものおまかせ具合とは格段の差だ。
「じゃあ、僕はあえて衛と呼ぶことにしよう。それで順調なの?お付き合い具合は」
「はい。猛烈に順調です」
「なかなか言うね、衛」
衛と呼ぶのは親くらいで過去に下の名前で呼ばれたことがない。飯塚、ヅカ、だいたいこの2パターンだ。なんだかんだと呼び名をつくる村崎でさえ「飯塚」だから下の名前では呼びにくいのだろう。
でも武本には呼んでほしいという気持ちもあるが、逆にサトルと呼べと言われたら顔から火がでそうだ。以前電話でサトと呼んでみろと言われた時だって随分恥ずかしい思いをした。
「ちなみに僕はバイってことになるかな。紗江と結婚してから紗江一筋だけどね。交際期間ゼロで結婚したから、結婚と交際が同時進行。かなり幸せだよ、はじめて親ができたし。それで、衛はゲイなの?」
「いいえ、武本限定です」
「淀みないね~はっきり言うね~」
言わせたのはアナタです。
「だし巻旨かった」
「よかったです。ありがとうございます」
「そのキカン坊なあたりが気に入ったよ」
「キカン坊……ですか?」
「見た目チャラチャラしたこじゃれた料理を出してくるかと思いきや、シンプルなだし巻じゃん。『基本しっかり出来ますんで、俺』的なさ、シンプルっていうのは粗が目立つから自信がないと出せない。自信アリマスなのって職人には絶対必要だろ?
文句があるなら言ってみろ、俺は一歩もひきません。そんな気持ちがこもっていたよ」
恥ずかしいくらいにバレバレだ。何を言われても武本と離れるつもりはないと思いながら巻いた玉子だ。幾重にも重なった玉子は俺の気持ちも巻き込んだから、しっかり伝わった。
「別に文句を言いにきたわけじゃないんだ。サトが悩みぬいて掴んだ相手と話をしてみたかった。
紗江は僕に沢山のものをくれた。絶対無理だと思っていた両親をくれたし、かわいい弟もできた。その弟の相手だから僕にとってみれば義理の弟みたいなものだろ?
一回くらい髪だって切ってやりたいと思うし、仲良くもなりたい。むかつく人間だったら容赦なくヒネリつぶすけど、その必要はなかったよ。
見た目ももちろん、中身もなかなかの男前だよ、衛」
鏡の向こう側からニヤリとしながら、両手で俺の頭をまっすぐになるように調整する。そこに映りこむ自分の印象がガラリと変わっていた。サイドと後ろ側も随分短く刈り込まれている。手を入れていないトップはどうするのだろう。全部がこの短さなら、床屋にいくことを怠った甲子園球児になってしまう。
「そんな顔しなさんな、僕が切って格好悪くなったお客さんなんか一人もいない」
自信ありますの言葉だがまったく鼻につかない。逆に気持ちいいくらいだ。
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