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november.5.2015  二人にとっての誕生日

 少し、押し付けがましいだろうか。こういうものは自分から始めることだし、プレゼントされる物ではないと思い直した。手に取った商品を眺めながら、やはりこれではないと止めることにする。  別に理が書かなくてもいいことだ、俺がコツコツ積み重ねて年をまたぐ。来年の同じ日付の今日、何を考え、何があったか、それを噛みしめるのもいいだろう。「おい、去年の今日はこんなことがあったぞ」グラスを傾けながら、そんな事を話題に酒を飲むのは楽しいかもしれない。  プレゼントには向かないと断念したのは3年用の日記帳だ。ページが3段にわかれていて、2016年からの3年分の日付がはいっている。そのページを繰れば、去年の同じ日に何があったのか一目瞭然の日記帳がとても魅力的に思えたのだ。  村崎が店の日報代わりにこれを使っている。来客組数と人数、売上。ちょっとしたメモや出来事。 「これあると便利なのよ。お~去年この時期はまだクリスマスの準備してなかったな~とか。来年はちゃんとこの時期までに○○しておくように!なんていう俺から俺へのメッセージが書かれている日もある。これけっこう楽しいよ。過去も現在も未来も3年分同時進行しているみたいな気分が味わえる」  村崎の言った「3年分が同時進行している」という表現は、俺と理の時間にも当てはまるような気がした。同僚として働いた3年のあとの今年。すっかり二人の道は変わり、隣で同じ方向を見て歩くことを選んだ。  サラリーマンだった頃の俺達は「3年が同時進行する」と言われても実感できなかっただろう。でも今は違う。俺は理とどの時間でも空間でも一緒にいたいと願っているし、理もそうであってほしいと望んでいる。  だから日記帳を理にプレゼントしようと考えたのだが、違うなと思った。俺がページを文字で埋めて、その出来事ひとつひとつを理と共有すればいい。何故かそっちのほうがしっくりきたから、一度戻した日記帳を再び手にとった。自分用のプレゼントとして。  結局プレゼントとして決めたのは理の為というより、二人の為になるものにした。同じ部屋に住んでいるのだから、お互いのメリットになるもののほうがいい。去年までは「100%理の為」が選ぶ基準だったが、今年はそこに拘る必要がないと気が付いた。  それに、プレゼントのセンスに関しては、俺は負けっぱなしだ。一昨年の互いに奢り合う食事の誕生会、あれは理には予想外だったらしく照れながら喜んでくれたからいい。  去年は自分のヘタレ全開の証拠みたいなシャツの包みを床に並べるという格好悪さだった。 (今思い返しても恥ずかしい)  その「お返しだ!」と渡されたのは包丁。あれは思い出してもちょっと泣けるくらい、俺が大事にしている事で、最高のプレゼントだった。  それを考えると、日記帳1冊をプレゼントしていたら、また恥の上塗りになるところだった。北川の万年筆より、はるか下のレベルじゃないか。そうか、あの万年筆で毎日日記を書けばいい。  日記帳にいきついたのには、それなりの理由があるのかもしれないな。俺が色々な人とつながっている証みたいに思える。  目星をつけていた商品をネットで注文する。ラッピングの指示を備考欄にうちこみ届け先は店にした。自宅で受け取れる時間滞はない。  飲食業は、ホント拘束時間が長いから月曜以外に届け物は受け取れないのが不便。

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