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つづき
僕は勝手にビールのお代わりと枝豆を頼んだ。今日の賄は飯塚さんのお肉と野菜たっぷりのタコス味の焼き飯とサラダだった。あんな美味しいものの記憶を他の料理で消したくない。
「腹減ってないの?」
「賄を食べましたから」
ギイさんは煙草に火をつけた。僕の周りで煙草を吸う人がいないから、久しぶりに煙草に火をつける仕草を目の前にして居心地が悪くなった。
そうなんだ……さっきから感じているのは居心地の悪さと気まずさ。自分の居場所ではない違和感。
「せっかく、こんなに可愛くなって、前よりずっと魅力UPなのに、遊ばないわけ?」
「はい、ああいうのはもういらない」
ふうと吐き出された煙がテーブルの上をモアモアと漂った。
理さんに会う前、コンビニのバイトを終えると毎日のように『Bright』に通っていた頃、ギイさんが横にくるとウキウキしたのに、もうそれがない。 誰かしら一杯ずつおごってくれたから飲み物には困らなかった。
「もったいないね。もっと強引に口説いておけばよかったよ」
「ヤリ逃げ、ヤリ捨てのギイさん。そんな人に口説かれるほど、僕は頭のわるい子じゃないんですよ」
「ふっ、相変わらずだな」
ギイさんは男前だ。ちょっと質は落ちるけど、そんな雰囲気も人気のひとつだった。どこか危なっかしくて、どこか憎めない節操ナシ。
口説かれた男達は自分ならきっと改心させてみせる、俺ならギイを本気にできる。そんな気持ちで向き合うけれど、誰一人として達成できた人はいなかった。時たま寝る相手としてクレジットされるだけで、それ以上でもそれ以下でもない。
僕は子供っぽい反抗をしてギイさんを撥ね付け続けた。僕がなびかない事でギイさんが本気になるかもしれないという淡い期待をこめて、意地でも寝なかった。
「常連で俺になびかなったのはキイぐらいだぞ。まったく」
「いいじゃないですか一人ぐらいいても」
「だがな……最近はそうでもない。百発百中の確率はどんどん落ち目になっている。本気って何を言うのかわからなくなってしまったよ、この歳でそれを実感した。
若い頃のツケで、どんどん一人ぼっちになっていくのかな、そんなことを考えるようになった時キイをみつけちゃったから。悪かったな突然」
僕に何が言えるというのだろう。あのまま、あの店に入り浸る日々を続けていれば、僕だってきっと今のギイさんみたいになっていた。 何を信じていいのか、好きになることの意味を忘れて、疑似恋愛みたいなSEXを重ねて虚しさを溜め込んでいただろう。飯塚さんと理さんがコンビニに来てくれなかったら、僕は確実にそうなっていた。
色々なことを乗り越えて想い合える関係がある、それを理さんと飯塚さんは教えてくれた。
過去にあったことやゲイだってことを素直に打ち明けられるミネさんみたいな人にも逢えた。
映画によって広がっていく自分の世界があることをトアさんは熱く語ってくれた。
「ギイさん、きっとどこかに出会いはあります。僕がみつけたように。色も欲も抜きで、僕を認めてくれる人がいます。それは自分が変わるきっかけなんです。
絶対そんな出会いがギイさんにもあります。その時はしっかり掴み取ってください。ご馳走様でした」
枝豆もビールも残っていたけれど僕は席を立った。僕とギイさんはすっかり違っている、もう同じ場所には存在していない。それが嬉しかった。
店をでてタクシーに乗って家に帰ると、玄関の上がり口に座って靴をはいたままミネさんに電話をした。
「ミネさん、お疲れ様です」
『ちゃんと家か?』
「はい、ちゃんと家です」
『大丈夫か?』
「はい、話を少しして、僕は昔の僕とは違うことを知りました。あの人は昔のままです。全然交わらない場所にいることがわかって嬉しいです。ミネさん……ありがとうございます」
『そっか……礼はいらないよ。俺が勝手に心配しただけだから。まあ、俺だけじゃないけど。明日、皆に心配かけましたってニッコリしてやりなさい』
「はい!」
『んじゃ、おやすみ。約束守っておりこうさん』
「……おやすみなさい」
ポタっと僕の目から涙が零れて、玄関でそのままグズグズ泣いた。昔の浅はかだった自分を慰めるために、ミネさんのあたたかさと皆の心配顔を噛みしめた。
『僕はとても恵まれている』その安堵感のせいで、涙はなかなか止まってくれなかった。
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