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<10月> 男前、弱る

「頭いてえ……」   外回りを終えて会社に向かう途中、飯塚は顔をしかめて呟いた。 「もしかして笹木チーフの風邪もらっちゃったかな?」 「わからん」 「季節の変わり目だし、今月来月が風邪ひき危険度高いよな」  盆がすぎれば秋風が吹き、一気に収穫を迎える楽しい秋がやってくる。しかしそんな秋も9月の一ヶ月くらいで、10月から冷え込み始める。山は冠雪するし平地でも月末には初雪だ。雪が積もって根雪になるまでの時期、特に11月は空気が冷たく感じる。  飯塚が風邪なんて珍しい。入社以来休んだことがないはず。そんなことを考えつつ、3日先ぐらいまでの仕事内容を反芻する。  締日開けだから、スケジュールはまだ余裕がある。今週アポのある美濃社長のところは俺が代打で行っても問題ない。デスクワークは一人分増えたところで時間があれば済む話だし、それほど困るような状況にはならないだろう。 「とりあえず、急いで帰ろうか。身体怠くない?」 「締日開けの疲れなのか怠いのか、わからない」   顔をしかめて歩く飯塚の横顔を見る。頭が痛いのは間違いなさそうだ。顔色が悪く、青白いというより白い。  俺は飯塚の体温を確かめるために首筋に手を伸ばし、耳の下あたりに手の甲をあてた。 「ちょ!なに!」 「なにって、熱ないかと思って。んー今のところはまだないな」 「熱ってオデコじゃないか。なんで人の首を触ってんだよ!病院でもそんなとこで熱測らないぞ!」  さっきまで白かった顔が赤い。前触れもなく首筋を触られたらビビるのは当然か。 「飯塚が意味なく俺の頭グシャグシャするより意味あるだろうが。おでこより、ここ触るのが一番わかるんだって」  盛大に顔をしかめてこっちを睨み飯塚は言った。 「まったく……誰の首触ってきたんだか」  駅について時計を見ると16:00すぎ。会社に着くのは17:00チョイ前。さっき段取りした内容を再度頭の中で確認したあと俺は壁に凭れている飯塚に言った。 「一本電話いれてくる」  飯塚はウーとかアーとかよくわからない返事をしたが目をつむったまま体勢を変えることはなかった。 「お疲れ様です、武本です。課長いますか?」  使えないヤツと会社に戻ったところで役に立たない。ならば帰してしまえ~だ。 『お疲れ、どうした?』 「お疲れ様です。打ち合わせは問題なく終わりましたが、飯塚が笹木チーフの風邪もらったみたいでフラフラなんですよ。俺は会社に戻りますけど、飯塚はこのまま直帰させたほうがいいかと」 『お前は飯塚の保護者か?そんな状態なら自分で言えばいい』 「絶対そんなこと飯塚は言わないですよ。このまま会社に戻るつもりでいます。俺としては立て込んだ案件もないうちに風邪をやっつけてもらいたい。 1週間後の宮内商事さんの件は飯塚じゃないとまずいですから。変にじこじらせたら厄介です。それで課長にご相談でした」 『ああ、そういうことか。飯塚は40度の熱があっても平熱だと言い張るだろうな。 今日の報告はお前がしてくれればいい。飯塚は帰せ』 「わかりました。17:00前には戻ります」 『わかった、お疲れさん』  戻ると飯塚はおばちゃんや爺さんたちが座るベンチに埋もれていた。きついんじゃねーか、バカ。 「飯塚、お前は直帰しろ」  ノロノロと目をあけてほっぺたを自分でペチペチしながら「何言ってんだよ、仕事が残ってるじゃないか」と予想通りのことを言い出す顔は、真っ白のままだ。 「あのねえ、そんなんで会社戻ったってたいして役にたたないし。 正直なところこじらせて来週まで引っ張られると迷惑なんだよ、わかるよな」 「たいしたことないって」 「わからんだろうが、そんなこと。とりあえず今日明日中に治してくれないと、かえって俺に面倒かけることになるぞ。俺はうまいもん食わしてくれればチャラにしてやれるけど、会社に迷惑かけたらだめだ。課長には直帰の許可もらったから」 「え……」 「それと、口あけてみろ」  飯塚の顎をむんずと掴んで視線で促す。しぶしぶといった顔で口が開かれたのをみて、ぐっと上に向ける。 「あががが」 「ラッキーだな、扁桃腺は赤くなってない。よかった」  飯塚の顎から手を離し、カバンと一緒に持っていた打ち合わせ資料を取り上げる。 「俺は会社に戻って報告と残務をちょちょいとやってお前の家いくから、先に帰ってて。鍵は開けておいてくれればいいから。動けるようになったら地下鉄乗ってな」   四の五を言い出さないうちに、俺は飯塚に背を向けて急ぎ足で会社に向かった。  課長への報告を済ませ、日報と明日の打ち合わせに必要なデータをまとめる。一段落したのは19:00過ぎ。まあ、いいところだろう。急いで帰ってやるか。  ちゃんと言いつけどおり鍵は開いていた。上り込んでリビングに行くと飯塚はソファで丸くなっている。スーツのまま、とりあえず横になったらそのまま寝てしまったパターンらしい。これじゃあ、治るもんも治らんだろうが!  そっと首筋に手を当てると思った通りさっきより熱くなっている。早く薬を飲ませないと。  隣の部屋にあるタンスの引き出しを開けて着替えを用意したあと飯塚を叩き起こす。 「ほら、ここで寝てたら意味がない。着替えろよ」  飯塚はしかめっ面のまま、うっすら目をあけて言いやがった。 「あ……おかえり」  俺の部屋じゃないから!「いらっしゃい」「仕事片付いたのか」というこの場にふさわしい言葉があるだろう!(ちょっと照れた) 「そのまま寝ていたい気持ちはわかるが、ちょっと辛抱して着替えちゃえ。ベッドは体が楽だぞ。ほら頑張れ」  むりやり飯塚の体を引き起こし、上着を脱がしてネクタイを引き抜く。ベルトに手を伸ばすと力なく手を握られた。 「わかった、から。脱ぐ、自分でやるから。悪い……水持ってきて」  いつもの俺様っぷりはすっかりナリをひそめている。顔色は悪いし、かなりきつそうだ。水分は大事だから言うとおりにしてやろう。 「これ、着替えな。勝手に漁った、悪いとは思ったけど」 「いや、いいよ。助かる」  弱っている、弱っている!飯塚が弱っている!!初めて見るかも、こんな飯塚!(ウキウキしている場合ではない)  ドラッグストアで買ってきたペットボトルを片手に、冷蔵庫の中を確認することにした。俺の冷蔵庫と違ってここのは何かしらいつも入っているから、俺が買ってきたのはカニ缶だけ。中をみると卵はもちろん味噌もあるし、冷凍庫には白飯がちゃんと入っていた。  リビングに戻るとちょうど着替え終わったところらしく、脱いだスーツをヨロヨロしながらかき集めているところだった。 「いいから、ほれ、寝るぞ」  握った手はやっぱり熱い。引き戸をひいて寝室にひっぱりベッドに寝かせる。 「熱でたとき体温測る派?知りたくない派?」 「何言ってんの……意味がわからない」 「ちなみに俺は測らない派。7度5分くらいかなと思っていたのに8度5分だって知っちゃうと、一気に具合悪くなるから。現実は見ないでやり過ごすことにしている」 「熱がわかんなかったら薬を選べない」 「俺のみたてでは、確実に熱がある。で?正確な体温知りたい?」 「なんかどうでもいいって気になってきた。熱あるってだけでいい。薬を飲まないと。あああ、薬がないかも」 「途中で買ってきたから大丈夫だ。んでこれ飲め」  サイドテーブルに500mlペットを3本置く。 「でかいペットボトルでいいのに」 「具合悪い時に重いのもつのはしんどい。コップに注いでおいたら絶対こぼす。熱がある時に後始末するなんて心が折れて涙がでてくるよ。だからこういうときは不経済かもしれないけどこれが正しいの。クスリもってくるから」   俺は台所に向かいおかゆを作ることにした。料理はほぼできないが唯一自信があるのがお粥なのだ。白粥に梅干しみたいなシンプル系以外にもバリエーションがある。残念ながら披露する機会があまりないけれど。  しかし今日は絶好のチャンス。 見直したまえ、飯塚君。米から炊かないから、本気のお粥とは違うけれど緊急事態だしね。白飯バージョンでいくことにしよう。 「何か食べないと薬のめないからな」  熱々の土鍋でレンゲふーふーのほうが素敵だって百も承知だけど普通の鍋で作るのが一番。どんぶりにドンと盛ったお粥を飯塚に渡す。 「これ食えよ、まじ旨いから」  弱っている顔にプラスびっくり顔。へへん、俺にだって得意科目はあるのだよ。 「こねぎでも散らせば色どりがよくなるけど、これはネギなくていいの。武本家のたまごみそ」 「たまごみそ?」 「だし(ほんだしだけど)がっつりに味噌と溶き卵。病人を思ってカニ缶を奮発した。 騙された思って食べてみろよ」  おそるおそるといった様子で口に運ぶのを見ながら俺は勝ち誇っていた。これは絶対に旨いから驚くだろう。 「う、うまい」 「だろ?俺おかゆだけは自信あるんだ。なかなか普段披露できないのが残念なところだけどね。俺の分も作ったから、あっちで食べるな。食べたら薬のめよ。そこに2錠置いたから」 「武本……帰るのか?」 「もうちょっといるよ。俺も食べてくるよ。食べ終わったら呼んでくれればいい」 「ここで……食えばいいじゃないか」  ほんとうに珍しいものを見ているぞ、俺!  結局風邪っぴきと一緒におかゆを食べ、薬を飲ませたら俺の役目はおしまい。 「そろそろ帰る。明日朝電話するから」 「帰るのか?」 「だって同じシャツとネクタイって、何か言われそうじゃん。女子のチェックは厳しいから」 「立ち寄りにして途中どっかで買えばいいじゃないか。俺が買ってやる」  なんという俺様っぷりだ。立ち寄りって遅刻の言い訳みたいで嫌なんだよな。 「いや、まじで水田さんのとこ行ってほしかったりする」 「なんで?」 「あの人明日午後から出張で10日くらいいないから。その前に顔だしておこうと思って。俺明日立ち寄りになってんだわ」 「ああ……そういうこと」 「課長には俺が連絡して、お前にピンチヒッター頼んだって言っておく」 「そういうことなら仕方ないか」  実際飯塚の家のほうが交通の便がいいから、朝のことを考えると楽といえば楽だったりする。 「まじで、シャツは俺が買うから」 「いいよ、そんなの」 「よくない」 「なんかさあ、そういう貰い方って嬉しくないじゃん。誕生日~とかクリスマス~とか、そういうときにプレゼントでもらったほうが断然嬉しい」     飯塚は俺をじっと見つめた。何か変なこと言ったか?当たり前のことを言っただけなんだけど。 「お前、もう寝ろ。ソファで寝るから、何か欲しいものがあったら呼べよ。呼んでもこなかったら携帯ならせばいい」 「隣の部屋だぞ」 「病人の声じゃ目を覚まさないかもしれないし」  話はこれで終わりとばかりに、やつの布団をひっぱりあげポスポスと空気を抜く。ついでに熱を確認しますか。俺は当たり前のように首筋に手をのばし、手の甲に伝わる熱い体温を感じる。 薬が効けばいいけれど。 「武本の手……冷たくて気持ちいいな」  弱った男前はそう言いながら少しだけ俺の手の甲に頬を近づけた。  そのまま目を閉じる顔を見て、大の男が相手でも庇護欲っていうのかな?そういうのが湧き出るものなんだな……と。  また一つ気が付かなくてもいいことを自覚した自分と向き合うはめに……なった。

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