12 / 271

<1月> 距離

「帰ってくるのいつなんだろうな、聞きそびれた」  大晦日と元旦は両親の所に顔を出してきた。それぞれにもう家族があるから足が遠のいて久しいが、年に一度ぐらいは形ばかりの親孝行の為に重い腰をあげる。   武本の家は商売をやっているから正月でも店を開けているはずだ。手伝いにかりだされているかもしれない。  武本はなかなか本調子に戻らず、表情が暗かった。社内の忘年会に加えて俺達は取引先にも呼ばれることが多く、年末の仕事とつきあいでヘトヘト。  武本は大丈夫だと言ったが、仕事収めの日になっても目の下のくまが消えずに残っている始末。寝不足になるくらいの悩みがあるのか……なんとなく聞きそびれてしまった。  武本の家に泊まったのが最後で、それからあいつの家に行ってないし、俺の家にも来ていない。栄養のつくものを食べさせたかったが、金曜の夜は飲み会ばかり。それに気軽に「家にこいよ」と言えない雰囲気だった。  泊った日は普通に朝を迎え、食事の面倒をみて薬を飲ませた。ただそれから俺達の間の空気、距離感……そういったものが微妙に変化したと思う。説明できない変化……それを俺達は見てみない振りをした。  電話があるしメールだってできる。それなのに俺は携帯をぼんやり見つめたり手をのばしかけてひっこめてを繰り返していた。  中途半端なインターバルである正月休みが恨めしい。新年を迎えたというのに、なんだか情けない気分で休日を過ごすはめになった。  正月休みもあと2日。週があけて月曜日がきたらまた出社の日々がはじまる。こういう時の月曜は「憂鬱な月曜日」なんていう例えでは全然足りない。この世の終わりな月曜日、死神さんの祝日、最後の審判な月曜日……一人でいるとロクな考えしか浮かんでこないから、つまらない。   映っているテレビはありきたりの正月番組でうんざりしてきた。消してしまおうとリモコンに手をのばしたら床に転がっていたスマホが鳴りだした。まさか! 『武本』――しかめっ面の画像が映りこんでいる。 「よう」 『あ、俺だけど』 「帰ってきたのか?」 『うん。バスすっげ~混んでて疲れちゃったよ』 「そうか、みんな元気だったか?」 『うん、かわりなかった』  会話が途切れる。いつもみたいに言えばいいじゃないか「腹へってないか?」と。それに今日は土曜日だ。誘ったところで別段おかしくない曜日。 「あのさ」『それで』  二人の声がかぶったが、ここで引いてしまっては駄目だ。 「どうせ冷蔵庫からっぽなんだろ?疲れて寝る前に腹減ってんなら来いよ」   電話の向こうからホっとため息が聞こえてきた。 「……何か食べさせてくれないか?って言おうとしたら、かぶったな」 「何かリクエストあるか?」   部屋のすみにあるラッピングされた箱に目をやる。ずっと渡そうとしてそのままになってしまったシャツ。 「和食じゃないものがいい。茶色の料理ばっかり食べてきたから」 「よしわかった、気をつけてな」  うっかりいつも言わないようなことを言ってしまった……。  電話を切って冷蔵庫を眺めると、人のことを言えない有様。急いでコートを羽織り財布を掴んで家を出る。茶色くないもの……頭のなかで献立を考えながら急ぎ足でスーパーに向かった。 「そうそう、こういうものが食べたかった!」   茶色じゃなければ白、赤、緑、黄色。サラダとトマトソースのパスタ、もちろんバジル付。デビルドエッグで黄色も万全だ。 「びっくりした?気分転換に短くしてみた」   久しぶりに見たら、えらい髪が短くなっていた。坊主とは違うがスッキリとカットされている。今までも悪くなかったが、これはこれで似合っている。 「前よりソフト感が落ちて男っぽくなったな」 「じゃあ、狙い通りだ」 「狙い?」 「俺は周りが思うほど優しい人間じゃないから」  何を言い出すんだ、コイツは。 「年末使い物にならなくて迷惑かけた。助かったけど、大変だっただろ?」 「大変も何も、俺が先に体調崩したからこれでチャラだ」 「いや、体調もだけど……暗かっただろ。考えないといけないことがあって、あんまり寝れなかった」  まさか、また誰かに告られたわけじゃないだろうな。 「考え事?」 「うん」  そう言って武本は俯いた。俺はじっと待つ。もしどこかの女がアプローチしてきたのなら言ってやる。 『次は断る、そう言っただろう?』と。 「結局答えはでなかったんだ。でも悩んだところで解決しないってことだけはわかった。だから成るようになるさって思うことにしたから。だからもう大丈夫。悪かったな。よし、この話はこれで終わり。いっただきま~す」  全然大丈夫に見えない武本は笑みを見せながら料理にかぶりついた。それがいつもよりわざとらしく、そして強がっているように見える。  隣の部屋に置いてあるシャツの包みは今夜も渡せないだろう。さっきまでのように、この部屋の隅に転がしておけばよかった。「もってけよ、例のシャツだから」なんて言いながら渡せたはずなのに。  いつになったら今までの俺達の時間が戻ってくるのだろうか?  武本の落ち込みはのちのち解消されるのだが……手をかしたのは俺ではない。武本を救ったのは……俺とは違う別の男だった。

ともだちにシェアしよう!