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<5月> ヤサ男、腹を括る
「おまかせでヨロシク!」
「はいはい」
「忙しいのに悪いね」
「ちゃんとお金払ってくれるし、札幌からのお客様ですから感謝しかありません」
俺は3週間に1度、実家に帰ることにした。親に顔を見せるというより散髪が一番の目的だったりする。
姉の旦那である由樹(よしき)さんは腕のいい美容師だ。着物を着て髪を触られたら鼻血をだす女性が(男も?!)いそうな、和風で柔らかい素敵な男性。こんな人が兄貴っていうのは本当に誇らしく、姉ちゃんに感謝。
「な~んだ。ふっきれちゃったのか。相当困って僕に相談してくれるの待っていたのに」
そんなことを言いながら鏡越しに笑いかける。 暮れから2月にかけての俺の落ち込みを知っているせいでこんなことを言う。俺は正明の言った「特権階級」にすっかり助けられ、一山越えて随分気持ちが楽になっていた。
「相談じゃないけど、聞きたいことがあったんだよね」
「ん~なに?」
「よし兄って、どうやって姉ちゃんと知り合ったの?姉ちゃんのナンパ?」
それを聞いてカラカラと気持ちよく笑いながら櫛で髪を分けていく。
「違うよ。声をかけたのは僕が先。でもナンパじゃなくてね、純粋に疑問があって聞いてみたってところかな」
「疑問?」
「よく行く店のカウンターで飲んでいたんだ。テーブル席に女性3人のグループがいて、その中の一人が紗江だった。一人の子の彼氏が転勤になるみたいで、この先どうしましょう、が議題」
それで?と目線で先を促す。綺麗な指で髪をかきわけ時々頭をまっすぐに直される。
「ついていきたいけれど、仕事を辞めるのは不安だ。でもついてこいとも言われていない。 遠距離恋愛ってどうなんだろう。などなどなど」
「疑問でもなんでもないけどなあ、普通の話だよね」
「まあそうだね。そんな話が続いてなんとなく会話が途切れた時に紗江が言った。
『久美はどうしたいの?
①一緒にきてくれないかと言われたら困る。
②一緒にいきたい、そのために何をしたらいいと思う?
③遠距離恋愛になったとしても一緒にいたい。
④転勤を機に別れたい。
⑤その他
で、どれなの?』って」
「姉ちゃんらしいな」
「やっぱり?」
「うん。どうしたらいい?って聞いたら「サトはどうしたいのか、それを聞かせなさい」そう言われる」
よし兄は鏡の向こうからニッコリの笑顔(「うんうん」の代わりかな?)
「そのテーブルがお開きになったあと、紗江だけ残ってカウンターで飲みだした。
だからね、聞いたんだ。相談に乗るにしてはさばけてたね、お友達は一緒に悩んで欲しかったんじゃないの?って」
「その先は言われなくてもわかっているけど、どうぞ」
よし兄はニヤリと唇の端をあげる。
「紗江は言ったよ、人にどうしようって聞くときは「どうしたいか」ある程度決まっている。だからどうしたいか聞くのが一番。どうしたいを実現するための方法を一緒に考えてあげるのが本当のお悩み相談だって。へえ~って思ってね、僕はいつもふられちゃうんだけど、なぜかな?って聞いた」
「姉ちゃん相手にそんな嘘を言ったの?」
「だって本当だから」
「えええ~。よし兄が振られるとか、どういう冗談だよ」
「僕の身の上は知ってるだろ?だから僕を好きって言ってくれる人は皆好きになった。男でも女でもね」
「……男でも?」
「さとの食いつきが何故そこなのか……今は聞かないでやろうかな」
とって喰われそうな顔で微笑まれて、身震いしてしまった。逢う度思うけれど、この人の底の見えなさは不気味なくせに目が離せない。(綺麗だしね)
詳しくは知らないけれど、よし兄は天涯孤独の身の上だ。施設で大きくなったらしく、自分の腕だけで稼げるように美容師を選んだらしい。人に必要とされることが自分の存在価値だから、誰にでもなびいて大変だったと姉ちゃんが言っていた。
「紗江は言い切ったよ。「そんな諦め癖のある人の相談になんか乗れません」って」
「相変わらず失礼だな」
「いや違う。僕はビックリしちゃってね。言われたとおりだったから、人一倍欲しがりな癖に諦めが早い。
去る者追わず来る者拒まずで、裏を返せば欲しがっていないってことなんだよね、その時初めてわかったよ。好きって言われるだけが目的っていうのかな、その先は何も考えてなかったからね。だから振られっぱなし」
「そうなの?」
「そうだよ。それで紗江が帰ったあと、マスターが言った。『ヨシの身の上を何も知らないのに失礼なことをいう女だな』って」
「俺もそのマスターに賛成かな?」
「ふ~~ん。当時サトに逢ってたら仲良しになれなかったかもしれないね」
「ええ~」
「また一つ発見だった。マスターは顔見知り程度で、飲んだら少しくらいは身の上なんかも話すよね。僕は身よりがいないから手に職つけたってことくらいは言ったことがあった。
マスターの言う「身の上も知らないのに」っていうのはさ、僕がかわいそうだってことだろ?こんな可哀想な人間にははっきり言うことないのにね、ってことだ」
「……どうなんだろう、わかんないよ。だって最初に逢った時からよし兄のこと好きだし。かわいそうと思ったことは一度もないよ」
よし兄はポンポンと俺の頭を撫ぜた。
「同情と愛情は違うってことや、自分に向けられていた視線や気持ちを間違ってキャッチしていたかもしれないって、考えるきっかけをくれたのが紗江。だから同じ店に紗江が来るまで通いつめて、再会したときにお友達になってくださいってお願いした」
ポカーンだ。お友達?小学生でもあるまいし。
「付き合ってください。じゃなくお友達?」
「そ、お友達」
「サトが就職して紗江が札幌を引き払って田舎に帰るっていう時も、まだお友達」
「まじで?」
「ほんとにほんと~」
「全然知らなかった」
「言ったことなかったしね。紗江が『寂しくなったら遊びにおいで』って。
行くかよ、紗江こそ遊びに出てこい!って強がったくせに……思い出すだけでも、ちょっと泣きそうになる。襟足決めるから少し下見て」
視線が下って鏡ごしに向かい合っていたよし兄が消える。
「僕は全然理解していなかったんだよ、紗江という存在の重要さを。電話で話すこともできるから音信不通になったわけじゃないのに、僕の生活の中にぽっかりと空白ができてしまった。
美味しいものを食べたら必ず考える、今度紗江と一緒に来ようかな。この俳優が好きだったから封切になったら映画館行こうかな。前に貸した作家の新刊がでているよ。
札幌に上陸したら並んでみてもいいかなって言ってた店がとうとう……」
ゆっくり顔をもとの位置に戻される。よし兄は本当に泣きそうな顔をしていた。
「僕のまわりは紗江で一杯なのに、肝心なアイツがいないんだ。理不尽すぎて寂しくて悲しくて初めて誰かを思って泣いた」
「わかるよ。存在だらけなのに本人がいないって、しんどいよね」
玄関の鍵があけっぱなしだった、あの日。ずっと一緒にいられるわけではないことを思い知った。
「前髪切るから目つぶって」
優しく言われて素直に目を閉じる。たぶん、お互い顔を見られたくなかったんだと思う。
「次の休みにすぐここに来た。玄関で紗江の顔を見たらボロボロ泣けてきてね、さすがに驚かれたよ。お父さんとお母さんの顔を見るなり「紗江さんを僕にください!」って言った」
「はあ?お友達なのにプロポーズ?」
「目閉じてって言ったでしょ」
思わず開けた瞼を目隠しされた。
「お父さんは笑って言ってくれた。『長男があてにならないから残念だけど跡取りの紗江は君にやれない。代わりに君をくれないか?』ってね」
「それって……」
「うん。『息子が増えるのは大歓迎だから』って。それで生まれて初めて僕に両親ができたんだ。一生ないって諦めていたから嬉しいを通り越しちゃってね。心がバラバラになったあと合体したみたいな不思議な感じがしたよ。そして子供みたいにオイオイ泣いた。今思ったら相当恥ずかしい姿だけど、僕にとってはとっても大事な思い出かな」
知らなかった。全然知らなかった。
「俺だけ知らなくて……教えてくれてもよかったのに」
「ほんと、サトはかわいいね。」
頭のてっぺんにキスをされて、出そうになっていた涙が引っ込んだ。
「お友達期間の時に紹介してくれてもよかったのに。そしたら一緒に遊んだりできたし
もっと早くよし兄と逢えたのに」
「紗江が絶対ダメって言った」
「なんで?」
「ん~もう言っちゃってもいいよね、時効だし。それはね~サトは僕の好みだから」
ピキーンと背筋が伸びで固まりまし……た。
「紗江と友達だった時期、僕はだいぶしっかりしてきたとはいえ、それなりにフラフラしてたから。あの時だったら、うっかり押し倒してたかもしれないしね~」
「冗談はヤメテクダサイ」
「紗江はそれわかってたから逢わせないって」
「姉ちゃんに感謝したほうがよさそうだね、この件に関しては」
今となっては想像できないけど、若造の時によし兄にロックオンされて逃げられただろうか。たぶん無理だったと思う。
「紗江は3年の間、ずっと僕を見守続けた。僕が人間らしくなるために軌道修正をしてくれたし、たくさんの楽しい時間をくれた。そのくせ紗江なしでは無理になった僕を放り出したんだよ」
「ひどい話だね」
「そんなことない。それで何が大切なのか、僕は気が付くことができたから。今幸せだけど少し怖い」
「何が?」
「紗江を失ったらどうしようかって、お父さんもお母さんも失うことになる。もちろんサトも」
「そんなことになる前にどうにかすればいいんじゃない?
よし兄一人で無理なことも、姉ちゃんと考えたら解決するかもしれないし。 俺だって力になるよ。どうしてもダメで姉ちゃんに捨てられても、俺はよし兄とずっとつきあっていくから、それは約束する」
後ろからすごい力でギュウギュウされる。
「ちょっと、髪!服についちゃうって!」
「いい!髪の毛ぐらい、なんでこんなに可愛いんだろ。反則だよ、サト!」
「ちょっとあんたたち……なにじゃれてんの?」
ぱっと離れたよし兄を見て笑がこみあげて噴きだす。いつからいたんだよ、姉ちゃん。
話に夢中で気が付かなかった。
「サト。孫は私が産むから、あんたは何も心配しなくていいから」
「は?」
「脱『恋愛欠陥人間』よ。足掻いてみなさい。初恋は実らないっていうのはね、子供の時にするから実らないの。
自分の生活を自分で作っている今だからこそ実らせることができるって思わない?」
「なんだよ、俺なにも言ってないし。いきなりそんなこと言われても……」
「恋愛で悩んでいるのは予測済。女のことなら私に聞きなさいって話だけど、由樹に聞いている時点で私なりに察してるわけ。情けない顔じゃなくなったのはいい兆候ね」
「サトをドロドロに甘やかして泣かせてすっきりさせたかったのにな~」
「よし兄……それ怖いって」
「サト?」
「ん?」
「実らせた私本人が言うんだから、頑張りなさい」
そう言って微笑んだ姉ちゃんの肩をそっとよし兄が抱き寄せた。 飯塚の顔がみたいな。並ぶ二人の姿を見てそんなことを思う。
アイツがやりたいことができるように、それを実現できる環境を俺が作ればいい。それが現実になったときに「好き」だと言おう――俺はそう決心した。
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