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<6月> 男前、腹を括る

 金曜の夜だというのに、武本の家ではなく居酒屋にいる。新人二人と武本と4人だけの飲み会だ。入社して3ケ月が過ぎようとしている彼らは、武本のスパルタ教育のおかげもあり、使えないまでも日々色々吸収しながら頑張っている。  彼らが「あの……」といって居酒屋のクーポンを握りしめながら飲みに行きませんか?と言ってきた。お願い?懇願?いずれにしてもその必死な姿に武本と二人で笑いながら快諾して、現在に至る。今までも軽く飲んで帰ることはあったが、新人からのお誘いは初めてだった。 「この間、久しぶりに大学の友達に会いました」  石川が切り出した。石川はいまどきの若者らしく身なりに気を使い、見た目も清潔感がある。これといって特徴のある顔ではないが、不細工でもない。瞬発力には欠けるが、じっくり考えて答えをだすタイプなので、武本は自分のサポートで使っている。 「働き出すと意外と会わなくなる。学生時代と持ち時間が全然違うからな」  武本の話をぼんやり聞いていた。同じ会社でコンビを組んでいるから時間が合ったのか。 確かに同じ会社であったとしても課が違えば時間も変わる。違う場所にいれば時間の過ごし方も変わるのだろう。 「話をしていて気が付きました。俺も渡辺も随分よくしてもらっていたんだなって」 「誰に?」 「決まってるじゃないですか、武本さんと飯塚さんにです!」   改まって言われても。俺はたいしたことはしていない。教育の大部分は武本が請け負っている。 「ふ~ん。どうしてそう思ったんだ?石川」  武本はすっかり仕事モードに戻ってしまった。なぜその結論に至ったのか、何を考えたのか、そして結果は? 武本はこの二人にとにかく考えろと教え続けている。言われたことの意味と結果と答えと結論。本当に根気強い、俺には真似できない。 「皆言ってました。今やっている作業が何の為かわからないって。どういうことに必要か知らないまま進める。だから正解なのか間違っているか見えないままで怖くなるって」 「ダメだしされてないならOKってことなんじゃないのか?」 「飯塚、そうだけど今石川が言いたいのはそれじゃないだろうが。それで?」  軽く怒られた。 「でも何が疑問なのか言葉にできなくて結局やるんだけど、グルグル考えるそうです。 そのうちわかるようになって、すっきりすることはあるのかなと、結構深刻で……それ言ったの一人じゃなかったから、俺自分のこと考えちゃいました」 「俺も石川からそれ聞いて、二人で話して気が付いたんです」  石川が話しているときに黙っていた渡辺が口を挟んだ。こいつは合いの手というかタイミングを計るのがうまい。割と穏やかな性格をしているのに見た目が派手だ。服装ではなく顔のつくりに華がある。『外向きだろ、渡辺は』という武本の一言で、渡辺は俺の下についた。 「どういうことの為に、この資料が必要だって言ってくれたり。何かする前に、どうして今これをやらなくちゃいけないと思う?ってすべてに意味があることを俺達に伝えてくれてたんだなって」 「そっか、それで石川は友達になんて言った?」 「まず、今度「これ何に必要なんですか?」って聞いてみるとか、自分が作った書類が誰の手に渡っているのか調べる。待っていても答えがわからないまま。だったら自分で色々やってみたり聞いたらいいんじゃないかって」 「教えてもらいっぱなしだけど自分らでも考えたらまだまだできることあるという結論になりました。石川みたいに俺も友達に会って話してみようかなって」 「そっか」  そう言った武本は嬉しそうだ。自分のやってきたことが無駄ではないと思えることは誰にだって大事なことだ。新人二人は武本の意志をちゃんと受け取っている。 「ようやくベースができたってところだな、二人は」 「どうなんですかね」 「あとはビジョンだね」 「ビジョン?」 「そ、どういう風に自分はなりたいのか、もしくは何をしたいのかってこと。日々過ごして経験値を積めばそれなりに仕事はできるようになる。でもそれだと時間と仕事を「こなす」だけの毎日だろ?自分をキープし続けるにはビジョン、ん~目標?なんでもいいけれど必要なんだ。ビジョンに向かうことを頭に置いておけば、今なにをするべきなのか自ずと見える」 「じゃあ、俺武本さんになりたいです!ちゃんと人に物事を伝えられるような」 「渡辺!ずっり~ぞ、今俺もそれ言おうとしてたのに」  『人タラシ』武本め。当の本人は顔をしかめている。そんな顔をしたいのはコッチだ。二人そろって武本さんで、飯塚の「い」の字もない! 「ダメだな、そんなちっさいのはビジョンでもなんでもないじゃないか。俺が言いたいのは……例えがアリガチだけど、社長になりたいと思ったとする」 「はい」 「渡辺は飯塚と一緒にいるから、よく社長さんや人の上にたつ人に会うだろ?その時になぜこの人はこのポジションにつけたのか、どういうところが人を惹きつけるのかを観察する。ただ単に商談する以外にも見えてくるものがあるはずだ。ただ月の数字だけを追いかけて商談していると何もみえないけど、心の持ちようや目標で視野が広がるんだよ、意味わかる?」 「はい!」 「大変よろしい。だから俺は二人にビジョンを持ってほしい。それを持ってくれたら俺はすっげ~嬉しいかな」  3人の輪の中からはずれてしまったような気がしてきた。ビジョンを持てと言ったところでそう簡単には自分の目指すものは見えてこない。見えないとしてもビジョンの存在を知ることで、それを追いかけることはできる。  武本は丁寧に話をして、新人にビジョンを持つことを促し、それを手にしてくれたら自分も嬉しいと素直に言える…… ほんと、敵わない。 「結局おごるはめになったな」 「いいじゃないか、あいつらそれぞれ1000円は払ったんだし、クーポンで安くなったし」  二人と別れた後、武本とバーで飲みなおすことにした。 「別に俺いなくてよかったんじゃないか?今日」 「なんで?」 「なんでって、石川も渡辺も武本にブンブン尻尾ふってただろ。俺だけ蚊帳の外?な有様だったじゃないか」 「そんなことないって。存在自体に意味があるんだよ、お前の場合」 「それ意味わかんないって」  いい年をして拗ねる男も恰好が悪いので、このくらいにしておこう。 「それで、お前のビジョンはどうなった?」  いきなり聞かれた。俺は会社に対しても、今の仕事に何も持っていない。でもそれを言ってしまうと、自分の仕事もこなして新人に教え込んでいる武本に失礼だ。 「変な顔してるぞ、飯塚」 「……」 「決めたんだろ?」 「え?」 「好きなこと……そっちやることに決めたんだろ?」  ……何を言えっていうんだ、俺に。 「正直に言うと同じ仕事ができなくなるの、寂しいなと思ったんだ。ちっせ~よな、俺」 「そんなことない。俺だって考えた……からな」 「そっ……か。決めたんなら毎週俺にかまっている時間はないはずだぞ、飯塚」 「え?」 「知り合いの店に顔だして手伝いの真似事だって労働だ。平日は仕事もしているから無理がかからないはずがない。休むなり、顔だす時間をちゃんと決めたほうがいい」   確かにそれはもっともな話だった。新しいことを始めると失うものがでてくる。村崎の店にいくようになって、俺の休日は確実に減った。本気で世話になるつもりなら、村崎にだって話をしなくてはならないし、そうなると動き方も変わってくる。 「俺、散髪をかねて実家に月1で帰ってるし、料理らしきものを前より作れるようになった。俺の心配はほどほどでいいよ。お前のメシが食えないのは残念だから、忙しくない時の金曜の夜……そうだな、月イチで手を打ってやる」 「俺の仕事の仕方でわかったのか?手抜きしたつもりはないんだが」 「それはないな。会社の人間は誰もわかってないと思う」 「じゃあ、なんでお前はわかったんだ?」 「……そうだな。俺も腹くくったから見えたのかもな。さ、帰りますか」  武本のそれ以上聞くなというサインをここでも尊重した俺は言葉を返さなかった。    まだ地下鉄が動いている時間だったので二人でのんびり駅に向かう。 「お前家まで歩く?乗り換えるの面倒だから大通りまでいってもいいか?」 「いいよ」  俺はススキノから歩いて帰ることもできるが電車に乗るなら大通りのほうが都合がいい。 それになんだか武本と離れるのが嫌だった。 「いい季節だな」  日が落ちれば肌寒い日もあるが、桜が散って1ケ月。これからいい季節がやってくる。武本は『年中6月だったらいいのにな』と必ず言う――1年で1番穏やかな季節。 「年度末までひっぱれるか?」  何を?と聞くまでもない。俺の在職期間の話だ。 「俺の要望は優先されないだろうな。会社の都合もあるだろうし」 「上の都合はどうしようもないけど現場なら何とかできる。石川と渡辺に俺、それと課長を巻き込めば、お前が抜けても大丈夫なように整えるよ」 「え……?」 「最低半年、長くて8ケ月程度でどうにかする」 「お前、なに言って……」  着いてしまった地下鉄駅の入り口脇で俺達は立ち止まった。 「さっきあいつらにエラそうなこと言っただろ、ビジョンのこと」 「今はそんな話じゃなくて」 「いや、そんな話なんだ。俺のビジョンはな……」  武本は言葉を濁して俺の腕をポンポンと叩いた。 「俺のビジョンは、お前のスーパーサブだ」 「お前なに言って……」 「石川達には悪いが、小さいうえにエライ個人的なビジョンだよな。お前といると楽しいから。だからどんな場所でも飯塚のサブが俺の存在意義なんだ。だからな……飯塚」  武本はまっすぐ俺を見る。 「こっちは俺がなんとかしてやるから、飯塚は自分の道を切り拓け」 「……武本」 「じゃな、俺こっから潜るから。んで、明日俺はお前の家に行かないからな。家でお粥でも食って掃除にいそしむ」  そう言い残して武本は階段を降りて行った。 「武本……男前すぎるだろ……くそっ」  ふいに視界が曇り出し、涙がでそうになっていることに気が付いて空を見上げる。アイツが何とかするといったら、絶対に何とかするに決まっている。村崎にもきちんと話をしなければならない。俺は俺のやれることをやって、その時がきたら……武本を迎えに行く。    俺の足元に存在していた氷は割れて砕け散った。

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