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<12月> 男前のとある朝
今日は12月第1週の金曜日。俺の最後の出社日だ。
課長と渡辺と3人で取引先の挨拶回りを終えて社に戻った。このあとは送別会と忘年会の合体宴会でこの会社での俺の役目は終わる。色々なことがあったような気もするが、結局ここでの出来事の多くは武本につながっていく。それが今日で終わると思うと言いようのない寂しさが纏わりついた。
武本に逢わなかったら、俺はこれから進もうとしている道を選んだろうか。いったん離れることになるが俺達の道が繋がる未来を信じたい。武本と同じ道を歩む―― 物事は随分単純になった。
笑い声、料理の香り、アルコール。沢山の声、色々な顔。
ゆらゆら揺れる人の背中、グラスが鳴らすクリアな響き。
俺はちゃんと笑えていただろうか。「いいやつだったよな」と言われるぐらいに笑顔をつくれていただろうか。
『メガトン級のカシ、忘れるなよ』
課長がそう言って俺をタクシーに突っ込んだところまでは覚えている……。
「朝か……」
おそるおそるベットに起き上がったが幸い頭は痛くない、胃も大丈夫そうだ。武本に無理やり飲まされたヘパリーゼの錠剤とビタミンCのおかげかもしれない。
床に点々と転がる脱ぎ捨てられた衣類をみて、昨夜の自分の様子が見えるようだ。課長にタクシーに押し込まれたくらいだから酔いが回ったらしい。
まずはストーブをつけて水を飲もう。ベッドからでて厚手のパーカーを羽織りリビングに向かう。引き戸をあけると暖かい空気に包まれていた。
服を脱ぎ散らかしながらストーブをつけたらしい。しかもつけっぱなしで寝てしまったようだ。
とりあえず水を飲んで身体を目覚めさせよう。台所に向かう前にテーブルに目が釘づけになった。500mlペットボトルが3本。その隣には豆皿の上に錠剤がのっている。
俺は最期の最後まで、武本の手をわずらわせたってことか?
テーブルの上には置手紙が一枚。紙の横にはプレゼントしてもらったブルーのサファリが置かれていた。北川の言ったとおりになったようだ。俺が書いたわけじゃないけどな。
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酒がへんなところに入ったみたいだな。
そんなに飲んでないのに潰れてびびったぞ
とりあえず水と薬のんでおくように。
ストーブはタイマーにしておいたから
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「……見られただろうな」
テーブルの上には包丁の箱が載っている。俺はこれを毎日眺めて、これを貰った時のことを思い出す。嬉しい、驚いた、そんな言葉では足りない……あれは感動だった。心臓がつぶれるかと思った。武本にぎゅーっと握りつぶされて自分が消えてしまいそうな衝撃。
俺の貯めこんだ5枚のシャツは月曜から金曜まで毎日替えても足りる数だ。武本が仕事に向き合っている時に、少しでも支えになればいい。なにかあっても俺が一緒にいると思えればいい。課長に言われた首輪の意味合いがあったが器の違いを見せつけられた。
『お客さんとの縁がつながるように』
どれだけ男前なんだ、お前は。俺はそっと箱の表面をなぞる。
俺と武本の縁が切れませんように。毎日眺めて念をこめていることまでは、ばれてないよな?
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