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第八章 7

 時間というものは本当に矢のように過ぎるもので、気が付けば約束の日になっていた。  幸い、今日は〝ひまわり園〟が休みの日とあって涼正は寝床と化した園長室をさっきからウロウロと落ち着きなく歩き回っている。  ――行った方がいいのは分かってる……でも、本当に大丈夫なのか?  涼正が心配に思うのは、また騙されやしないか、という一点にある。  ――けど、約束すると四條は言ったし……。  グルグルと考え事をしている涼正は、時計を見た。約束の時間まであと一時間。  涼正は気持ちを落ち着かせるように、スゥッ、と息を吸い込んだ。多少リスクがあったとしても、行かなければ四條があんなことした理由も何も分からないままである。  ――行くしかないなら、今日行って終わりにしよう。  そう決めると、涼正は携帯を片手に園長室を出た。  冷たい風が涼正に吹き付け体温を奪っていくが、それすらも今の涼正は気にならないのか。涼正は確かな足取りで駐車場へ向かう。その途中、涼正は携帯を片手で操作して少し躊躇った後、家の電話へとかけた。  耳に押し当てた携帯から呼び出し音が聞こえる。ワンコール、ツーコルと続き、待っている間に二十秒以上経過したが政臣も鷹斗も出る気配がない。  ――……きっと、忙しいから帰ってないんだな。  沈む気持ちを引き上げるように無理矢理に理由付けた涼正は、留守電に伝言を残すことにした。 「……今日、帰ったら二人に話したい事があるんだ。多分、夜の十二時には帰って来れると思う……自分勝手だって分かってる。……だけど、ちゃんと政臣と鷹斗と話したいんだ……」  それだけを言い残すと、涼正は携帯を上着のポケットへと入れ、車へと乗り込む。そのままエンジンをかけると、滑らかな動きで夜の街へと走らせた。 ********************* 「ここか……」  ××通りに辿り着いた涼正は、首が痛くなるほど高い高層マンション郡の内の一つを見上げながら呟いた。  〝外壁が白色の高層マンション〟などとざっくりとした説明しか聞いていなかったから、分からなかったらどうしようかと心配していた涼正だが、それは見事に杞憂に終った。  ――……流石、売れっ子俳優……。  先程から涼正は開いた口が塞がらず、呆けたようにマンションを見上げていた。別世界、とでもいうのだろうか。外から見える外観は白を基調とした高級感溢れるもので、涼正は足を踏み入れることすら躊躇う。  ――これに、入るのか?  格差を見せ付けられたようで、涼正は怖じ気付いていた。自分がこの場にいるのは場違いにも程がある。しかし、だからといって何時までもマンションの前で立ち尽くしているのも不審だ。現に、先程から後ろの通りを行き過ぎる人からチラチラと視線が向けられるのを、涼正は感じていた。  取り敢えず、中に入るしかないと涼正が恐々足を動かした時だ。 「涼正君、こっちだよ」  耳にしてもあまり嬉しくない声が、涼正の名前を呼んだ。 「……っ」  ――いつの間に来ていたのだろうか?  何故か涼正の背後から現れた四條の姿を目にした途端、涼正の眉間に皺が寄った。 「待ちきれなくてね、迎えに来てしまったよ」 「そうですか」  素っ気なく返す涼正にも気を悪くした様子もなく、四條は口許に笑みを浮かべたままだ。 「さぁ、我が家に案内するよ」  そう言って、まるでそこが彼の舞台であるかのように堂々と歩き出す四條の先導に、涼正は背を丸めついていく。  早く着いてくれ、と願いながら広いアプローチを抜け外国のホテルをモチーフにしたようなアンティーク調の装飾が施されたエレベーターに乗り込む。  グングンと上昇する狭い箱の中、涼正は一言も喋らない。ただ、押し黙ってフワリと胃や内臓が浮き上がるような奇妙で落ち着かない感覚に眉を寄せ、耐えていた。  そうして、エレベーターは一度も止まることなく、最上階へと辿り着き。チンッ、と軽快な音を鳴らしてその扉を開いた。 「こっちだ」  慣れた足取りで豪奢な内装の通路を奥へ奥へと進む四條に、涼正は静かについていく。  ひっそりと静まり返ったその場では、声を出すことすら憚られたからだ。  軈て、四條の足が一番奥の扉の前で止まった。最上階の左奥の角部屋。どうやら、そこが彼の家らしい。 「いらっしゃい。さぁ、遠慮なく入ってくれ」  四條がカードキーを通し、扉を開く。 「お邪魔します……」  そう言って足を踏み入れた涼正は、思わず口を開けて固まった。  広々とした玄関から見えるのはリビングだろうか?  一面ガラス張りの向こう側には、街の明かりがイルミネーションのようにチカチカと瞬いている。 「どうかしたかい?」 「あ、……いや」  四條に声をかけられ、漸く我に返った涼正は居心地が悪そうに体を揺らしながら靴を脱ぎ、部屋へ上がった。そのまま、四條に促されるようにリビングへと通され。アンティークものだと一目でわかる細かい細工の施された椅子に座るよう勧められた。

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