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第八章 8

 涼正が躊躇いながらも腰掛けたそれは、木の温かみを感じる作りでありながら体に負荷をかけないつくりになっているのか。フカフカとしたクッション一つとっても、感心せずにはいられない。へぇ、とか。ほぉ、とか。兎に角声を上げずにいられない涼正は、珍しげに四條の部屋を眺めていた。  そんな涼正の様子を見ていた四條がクスクスと笑うものだから、涼正は椅子の上でバツの悪そうな表情を浮かべ慌てて居ずまいをただした。 「そうだ、涼正君は食事を済ませてきたかい?」 「え、いや……」  唐突な四條の問いに、涼正は頭を横に振る。そもそも、今日の約束が気になってそれどころでは無かった。今の今まで。いや四條が言い出さなければきっとその後も空腹であることを忘れていたかもしれない。 「そうかい。なら丁度よかったよ。実は私もこれから食べようと思っていた所でね、よかったら一緒に食べないかい?」  四條が微笑みながらそう提案してきたが、一度お茶に薬を盛られたとあって慎重になっている涼正は直ぐ様「いりません」と、拒否した。 「そうかい? それは、残念だ。君が食べないのに私だけ食事をするのもアレだからね」  〝残念だ〟と口にする割りには軽い口調の四條に涼正は苛立ちを感じた。思ってもいないくせに、と文句の一つでもぶつけたくなるが、ここには言い争いに来たのではない。 「俺のことは気にしなくて結構です」  涼正は文句をグッと呑み込んで、堅く刺々しい声できっぱりと断った。けれども、四條も引き下がる気はないらしい。 「そう言われてもね。 あぁ、それなら軽めのツマミならどうかな? 先日、友人から美味しいチーズを貰ってね」  彼は、好意で勧めてくれているのかもしれない。が、話をしにきた涼正にとっては無駄な時間でしかなく、プチリ、と涼正の堪忍袋の緒が切れる音が頭の中でした。 「俺は話をしに来たんだ!! 早く本題に――――」  声を荒げ、立ち上がる涼正の声を遮ったのは四條だった。 「そう急くものではないよ。時間がかかる話だからこそ、ゆっくり腰を落ち着けて話そうじゃないか」  まぁまぁ、と宥められ、涼正は渋々ながらも椅子に座り直した。四條の言うことも一理あると思ってしまったからだ。  四條は、座り直した涼正を見て気を良くしたのか。今は鼻唄でも歌いそうなほど上機嫌にワインラックに置かれたワインを手に取り、あれでもない、これでもないと吟味している。 「涼正君は、ワインは白が好きかい? それとも、赤かな?」  そう尋ねられた涼正だが、普段飲んでいるのは洒落たワインなどではなくビールか日本酒で。そうであるので正直、味の違いなどあまりわからない。 「別に、どちらでも……」  つい、涼正の口から本音が溢れ出た。しかし、四條は気を悪くした様子もなく「ふむ、そうか……なら今日は赤にしようか」と何語で書いてあるかわからないような文字が綴られたラベルの赤ワインを片手に、涼正の真向かいの椅子に腰掛けた。  テーブルを隔てた真向かい。四條が慣れた手つきで、用意していたグラスにワインを注いだ。トクトク、とまるで血のように濃く赤い液体が空のグラスを満たしていく様子を涼正は見つめる。  やがて、グラス二つにワインを注ぎ終えた四條が涼正の方へとその内の一つを寄越す。そうして、自身の分のグラスを手に持ち、掲げながら四條が微笑んだ。 「今日は来てくれてありがとう。君と共に時間を過ごせること、嬉しく思うよ」  その笑みは綺麗で。いや、綺麗すぎるからこそ、涼正は胡散臭く感じて好きになれない。  気持ちが顔にも表れ、涼正の眉間に皺が寄る。涼正はワインに手をつける気にもなれず、急かすように本題を切り出した。 「……前置きは充分だろう? 俺はアンタに聞きたいことがある」 「何をだい?」  とぼけるように尋ね返す四條の態度に、涼正は腹が立った。  ワイングラスを揺らす四條を、鋭く睨みつける。 「どうして、政臣と鷹斗にあの写真を送り付けた!!」 「あぁ、そのことか。ふむ……そうだな、〝面白そうだったから〟という理由では駄目かな?」  四條のその言葉に、涼正は怒りを堪えることが出来なかった。 「ふざけるなッ!!」  気が付くと、耳が痛くなるほどの怒声が涼正の口から出ていた。膝の上で握った涼正の拳が、ブルブルと震えた。  流石にこれには多少驚いたのか、四條が目を瞬かせる。が、それも一瞬で。  「別にふざけているわけではないよ。これも理由の一つであることに間違いないのだから」  すぐに、笑みを口許に浮かべ、ゆったりとした余裕を感じさせる動きで四條はワインを口に運ぶ。ゴクリ、と上下する喉仏。吸い込まれる深紅の液体はまるで毒のように蠱惑的で涼正の目を惹く。  空になったグラスに、四條がまたワインを注いでいく音だけが聞こえていた。トクトク、トクトクと。まるで心臓が脈打つのにも似た音。涼正がグラス越しに見ていた四條の顔が、赤に染まり見えなくなると四條はタイミングを見計らっていたかのように話し始めた。 「もう一つの理由はね、涼正君と二人を引き離すためかな。ほら、そうすれば君は二人を渡してくれるだろう?」 「な……」  悪びれもなく告げられた理由に、涼正は絶句した。しかし、直ぐ様に怒りが腹の底から込み上げてくる。 「身勝手すぎるとは思わないのか!!」  気が付くと、そう怒鳴っていた。頭の中が怒りで赤く染まり、ワンワンと自身の声が響く。  怒鳴られた四條はただ穏やかに笑って「うん、そうだね。私は身勝手なんだよ」と頷いた。作り物のようなその笑みに、涼正の背筋に悪寒が走る。  気味が悪かった。きっと、自分の目の前のこの人物は、何かが壊れている。直感的にそう感じた涼正の体が後ろに下がる、が、まだ逃げ出す訳にはいかない。

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