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第八章 9
拳を握り締め、座り直した涼正を四條の色素の薄い茶色の瞳が見詰める。
「それで、二人を養子として渡してくれるのかな? ここに来たということはそうなのだろう?」
頬杖をつきながら四條がそう尋ねた。口許は緩くつり上がり、すでに自分の勝ちを確信しているかのような笑みだ。
涼正は、四條を敵意のこもる瞳で見詰めた。そして、意を決したように静かに口を開く。
「違う。俺は、あんなことした理由をアンタの口から聞いた上で、もう一度断りにきたんだ。鷹斗と政臣が、俺から離れたいと言うのならば止めたりしない。けど、俺から手離すことはあり得ない。悪いが諦めてくれ」
静かな声音、しかし揺るぎない決意を滲ませ涼正はそう言い切る。これが、紛れもない涼正の本心だった。
何度も離れようと考えた。しかし、どうあっても自分は鷹斗と政臣と離れたくないのだ。二人が自分から離れない限りは自分も離れないと、そう決めた。
強い決意を秘めた涼正の瞳に見詰められ、四條の笑みが崩れた。作り物めいた笑みは剥がれ落ち、能面のように無表情な四條が残る。
「ふむ、そうくるとは予想していなかったな。てっきり鷹斗君と政臣君が君に幻滅して離れると思っていたんだが……誤算だったようだね。……君達の絆がよほど強いのか……それともあんな写真をみせつけられても離れたくない理由があるからか……興味深いね」
〝興味深い〟と口にするのに、四條の瞳は酷く醒めていて、その奥はドロリと淀んだ光を孕んでいた。
――……怖い。怖い、怖い怖い。
涼正の全身に鳥肌が立つ。握り締めた掌が、嫌な汗でジットリと濡れている。
「なんで、そうまでして……」
カラカラに渇いた涼正の喉からヒュウ、と空気が漏れ出る音と一緒に掠れた声が出た。
「君には分からないだろうね」
そう話し始めた四條は、自嘲するような歪んだ笑みを唇に乗せていた。彼らしくない自棄っぽい仕草でグラスの中身を飲み干すと、空になったそれを寂しそうな色の瞳で見詰める。まるで、そこに彼が求める人の姿があるかのように。
「ただ、私は透子を愛していた。だからこそ、透子が残した子達を手元に置いておきたい。……それだけだよ」
自分勝手な四條の事情に、涼正の膝に置いた手が震えた。怒りで腸が煮えくり返りそうだった。
「っ、鷹斗と政臣は物じゃないんだぞ!! それと透子さんの身代わりでもない!!」
「勿論、わかっているとも」
そう口にして静かにワインを傾ける四條を、涼正は怒りに燃える瞳で睨み付けた。
「……もう一度言うが、鷹斗と政臣はアンタなんかに預けられない」
ブルブルと怒りで震える手で目の前のワインを四條の顔にぶちまけてやったら、どれほど気分がすっきりするだろうか。そんな衝動に駆られそうなる涼正を、四條は静かに。いや、気味が悪いほど穏やかに笑みを浮かべ、真っ正面から見詰めていた。
涼正は、嫌な予感を感じた。四條の瞳がまるで獲物を静かに狙う猛獣のような鋭さを持っていたからだ。
見え方によってそう見えているだけであろうが、赤みがかった茶色のその瞳が室内灯に反射して、ギラリと輝く。
「……昨今は自身の子供でも簡単に手放す親も少なくはないだろう? 何故、君は二人にそこまで執着するんだい? 子供だから、というのもあるんだろうが……それにしては些か妙に感じ取ってしまうのは私の考えすぎかな?」
その通り、四條の穿った考えだ。そう直ぐ様涼正は切り返せばよかったのだ。しかし、四條の持つ雰囲気が涼正にそれを許さなかった。呑み込まれる、そう思った時には既に遅く。涼正は四條のペースに嵌まっていた。
舞台の台詞を口にするかのように完璧な間をとった後。四條は勝ち誇ったような笑みを見せながら、口を開いた。
「……まさか、とは思うが……涼正くん。君は、親の愛情以上のものを二人に抱いているんじゃないのかい?」
ドキリ、と涼正の心臓が嫌な音を立てる。
「な、にを……」
質の悪い冗談だ、と笑い飛ばそうとした涼正だったが、口から出たのは自身でもわかるほどぎこちなく、ぶつ切りにされ惨たらしい程の断面を晒したままの言葉だった。
膝の上で握り締めた涼正の手が、カタカタと震えた。さっきまで熱いとさえ感じていた室温が、今は酷く寒い。微かに青ざめた涼正の様子に気が付いたのか、四條は楽しそうに肩を揺らした。
「顔色が変わったね。ふふっ、ハハハッ!! これは傑作だ、まさか父親を名乗る君が子供に恋慕しているとはね」
整った顔を歪め嘲笑う四條の声が、涼正の鼓膜に突き刺さる。“違う”と、そう叫びたい、いや“叫ばなければならない”のに。涼正の心は、四條に図星を突かれたことにより動揺していた。思考が上手く纏まらず、空回りばかりする。
トクトク、トクトクと脈打つように、四條は空のグラスに赤い液体を満たしていく。聞こえてくる音は注がれるワインの音か、はたまた涼正の心臓の音か。
これ以上、四條の言葉を聞いてはいけない。そう涼正の頭の中で警鐘が鳴り響いているのに、体はその場に縫い止められたかのように動かず、逃げることも耳を塞ぐことも出来ない。そんな涼正のことを知ってか知らずか。四條はテレビでは決して見せないような邪気のある笑みを浮かべ、口を開いた。
「ふふっ、三文芝居でも滅多にお目にかかれないような話だね。実に面白く、美しいね」
“美しい”と口にする四條の声には、明らかに涼正を蔑むような色が浮かんでいる。
カタリ、と椅子が鳴る音がした。気が付くと、四條がテーブルの上に手を付き身を乗り出ようにして涼正を間近で覗き込んでいた。間近でかち合う四條の瞳が、獲物をいたぶる猫のように無邪気に、残酷に輝く。
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