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第八章 11

 動きを止め、考え込んでいる涼正の背後で音がした。バッ、と振り返る涼正の視界には丁度椅子から立ち上がった四條の姿が映った。  クッ、と口角を吊り上げ、一歩。また一歩と涼正との距離を詰めてくる。体がぶつかるまであと一歩、といったところだろうか。徐に足を止めた四條が、間近で涼正を見下ろした。 「ねぇ、涼正君。君は本当に二人の父親なのかい? 君は自身が父親でないかもしれないと、疑ったことは?」  その問い掛けに、涼正は内心ギクリとした。今でこそ、そのように考えることはほとんど無くなったが二人を育て始めた最初の頃は何度もその問いが頭の中を巡ったからだ。それを見透かされたような気がして恐ろしく、涼正の手に嫌な汗が滲む。 「……俺は、二人の父親で間違いないはずだ」  内心の恐れを気付かれたくないこともあって、涼正は語気を強め否定した。二十年という長い時間の中で、自身が父親なのかと疑ったこともあった。それに、ここ最近で起こった出来事のせいもあって二人が息子でなければいいと考えたこともあった。しかし、やはり涼正にとって今も昔も二人は大切な息子なのだ。  楽しいこと、嬉しいこと、辛いこと、悲しいこと。様々な出来事を一緒に体験し、乗り越えてきた。今も目を閉じるだけで思い出すことができる。それを親子と言わず、何と言うのだろうか。  涼正は四條から一歩も引くことなく、睨みつけた。  暫し睨みあう二人。といっても、四條は相変わらず食えないような笑みを浮かべているだけで、一方的に涼正が睨んでいるだけなのだが。それが気味が悪かった。まるで、自身の勝ちを確信しているかのようで涼正の不安をあおる。  やがて、四條がゆっくりと勿体つけるように口を開いた。 「ふふっ、いいことを教えて上げるよ、涼正君。君は透子の血液型を知っているかい?」  何故、こんな時に透子の血液型の話が四條の口から出るのだろうか?   意図が全く分からない質問に涼正は表情を隠すこともせず、眉間に皺を寄せた。 「……知らない」  そう答えるのは癪だったが透子の名前を出されて無関心でいられるほど涼正は冷めていない。不機嫌なまま答えると、四條はそれすらも想定内だったのか楽しそうに口角を上げる。 「ふふっ、だろうね。君には教えていないと思ったんだ」  一人クスクスと笑う四條の声が、耳について仕方がない。 「だから、それが何なんだ」  低い声で唸るように言うが、四條の笑いは止まない。なにがそんなにおかしいのだろうかと涼正が疑問に思うほど、彼は肩をゆらし笑い続ける。やがて眦に浮かんだ涙を拭いながら、彼は涼正の方へと一歩踏み出した。  トンッ、と体同士がぶつかる感覚。四條の纏う香りの強さに涼正は眩暈を感じる。呼吸が出来ない。息苦しさに耐えかねて顔を逸らした涼正を、四條の悪意が籠った視線がジリジリと焼く。彼は、恐らく待っているのだ。涼正が、彼に屈し答えを乞うその瞬間を。  透子の事、しかも政臣と鷹斗にも関係すると事だ。気にならないと言えば嘘になるが、四條に屈服することだけはしたくない。  「教えてくれ」と、喉まで出かかった言葉が零れてしまわないように涼正は唇をかみしめた。誰が思い通りになどなってやるものか。そんな気持ちだった。しかし、涼正の抵抗さえも四條を楽しませてしまうものでしかないらしい。  涼正を嘲るように、四條の唇が美しい弧を描いた。   「ふっ、ふふっ、……強情だね。……けれどもこれを聞かなければきっと君は後悔するよ? 乞うのが嫌ならば、そうだな……私に大人しくキスさせてくれたならば真実を教えて上げてもいい」 「っ、不愉快だ!! 帰らせてもらう!!」  突きつけられた条件に、涼正は嫌悪感を露わにして叫んだ。これ以上は、本当に我慢の限界だ。 涼正は四條を両手で突き飛ばすようにして距離をとると、ドスドスと乱暴に足音を立てながら玄関と向かう。  話せば四條がなぜ自分にあんなことをしたのか分かるかもしれない。それに、もしかしたら息子たちのことを諦めてくれるかもしれない、と少しでも期待していた自分が馬鹿みたいだった。  涼正は、胸の中に微かに残る期待を振り切るように頭を振ると扉へと手を伸ばす。しかし、あと数センチで手が届くといった所でそれは四條の手に阻まれた。 「おっと、私が簡単に君を帰すと思ったのかい?」  強引に腕を掴まれ引き寄せられる。触れられた部分から伝染していくかのように鳥肌が立ち、不快感が腹の方から込み上げてくる。 「離せっ!!」  慌てて手足をばたつかせてもがいた涼正だったが、力勝負での軍配は四條にあるらしく、簡単に抑え込まれてしまう。こんな時ばかりは、普段から体を鍛えてこなかった自身が恨めしい。  涼正は悔しさに歯噛みしながらがむしゃらに暴れたが、四條の手はビクともしなかった。 「大人しくするんだ、なに痛い目にあわせようとは思っていないよ。大人しくしていれば、気持ちいいだけで終わるよ」 「っ、嫌だ!! 離せっ」  頬をするりと撫でられ、服の上から体をまさぐられ涼正は半狂乱になって暴れた。  振り回した手が壁や四條にぶつかり、彼の表情が歪んだ。   「まったく、聞き分けのない子だ。また、この間と同じように薬でも使おうか? 」  底冷えするような声で言われ、涼正の体が恐怖で固まった。四條の顔は先程微かに歪んだ名残も見せず笑みに彩られているというのに、色素の薄いその瞳の奥は笑っていない。    「あの時の涼正君はイヤらしく、可愛らしかったからね。思わず私も目的を忘れてがっついてしまった」 「……最低だ!!」  敢えて涼正の神経を逆撫でるような言葉に、涼正はそう吐き捨てていた。手が自由であれば、顔をぶん殴ってやれたのに。そう思うと、悔しくてならない。  ぶるぶると握り拳を握る涼正の耳朶を、四條の甘い毒のような声がくすぐる。 「ねえ、本当に知りたくはないのかい? 君と政臣君、鷹斗君についても深く関わっていることだよ」 「……っ」  ぐらり、と涼正の心が揺らいだ。

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