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第八章 13
マネージャーが出てきてからというもの、四條は一言も発していない。険しい表情で見つめ、ため息をこぼすとようやく四條は口を開いた。
「兼良……君がそちらにつくとは意外だったな。全く」
責めるような響きを含んだ声に兼良と呼ばれた男の肩が大きく跳ね上がる。
見ているこちらが気の毒になる程怯えきった様子で、彼は四條に頭を下げた。
「す、すみません……でも、これ以上貴方に、こんなことしてほしくないんです。本当にすみません」
何度もそう口にして頭を下げる。
見るからに怯えきっていて今にも逃げ出してしまいそうなのに、兼良は踏みとどまり四條と向かい合う。その姿は、マネージャーとしてよりも彼個人の思いで動いている気がした。
「涼正、なにもされてないか?」
ぼんやりと鷹斗の腕の中でそんなことを思っていると、隣から心配そうな声で尋ねられた。確かめるように優しく触れてくる政臣の姿に、涼正は胸が締め付けられる。
何度も何度も、頬の上を政臣の指先が撫でていく。鷹斗も体が軋むほどに強く、絶対に離すまいとでもいうように涼正を抱きしめてきた。
「鷹斗、苦しいから……」
そう口にしたものの涼正はこの腕の中から逃げる気はない。
「心配かけたんだから黙って抱き締められてろ」
怒りのにじむ声で告げた鷹斗の腕が、小刻みに震えていた。
政臣が涼正の頬から指を離すと、表情を一転させ四條と対峙した。
「四條さん、でしたね。涼正に、何をしようとしていたんですか?」
ここ最近で何度か耳にすることがあったが、そのどれよりも低い政臣の怒声に涼正の鼓膜がビリビリと震えた。
声を聴くだけでここまで怖いと思うのに、それを向けられている四條はどれほどだろうか。
伺うように見た四條の顔には苦虫をかみつぶしたような苦渋が浮かんでいるものの、政臣に対しての恐れは存在していなかった。
いや、それどころか「いや、少しばかり取引を、ね。まぁ、見事に振られてしまったが」と冗談を口にする余裕まであるらしい。
それを聞いた政臣の眉が、ピクリと跳ねる。
「……俺は、涼正から離れるつもりはありません。どんな未来が待っていたとしても、この人の手を離すことはない」
遠まわしに告げて四條の腹を探るのを止めにしたらしい政臣は、きっぱりとした口調で言い切った。
側に居た頃だって沢山の“好き”や“愛してる”と言った言葉は貰っていたというのに。今、この時ほど涼正の心が震えたことはなかった。
嬉しくて。それと同時に申し訳なくて。涼正の目尻に、涙が浮かぶ。
涙で揺れる視界の中、四條に対して敵意を剥き出しにした鷹斗が吠えるのが見えた。
「俺も、アンタみたいなヤツが父親だなんて願い下げだ。俺の父親も、側にいたいヤツも涼正しかありえねぇ」
その言葉に呼応するように、抱きしめる腕の力が強くなった。
こんな自分でも、まだ父親と思っていてくれている。そして、その上で側に居たいと思っていてくれるのか。
だったら自分が今することは、一つしかないだろう。
涼正は、涙を手の甲で拭うとキッと四條を睨みつけた。
狭い空間の中、五人の視線が交差する。一番最初に視線を逸らしたのは、意外にも四條だった。
「……盗み聞きとはあまり褒められた趣味ではないね」
しかし、相変わらず余裕さが窺える口調で話すその口元は不気味なほどに整った笑みを描いている。まるで、こちらを自身のペースに引きずりこむその瞬間を待っているようでさえあった。
そして、その涼正の予想は当たることとなる。
「しかし、……そうか。君達にも振られてしまうとはね」
オーバーリアクション気味に肩を竦める四條の姿は、かえって胡散臭さを強調していた。
少し前まで立ち姿も。指先一つ動かすだけでも、気品のようなものさえ感じていたというのに。
四條と言う男の裏を知ってしまった今は、いくら美しかろうが。蠱惑的に微笑もうが。恐ろしいとしか、思えない。
鷹斗に支えられながら、涼正は四條から目を逸らさない。
四條の直ぐ側では兼良が青ざめた表情で、それでも視線だけは真っ直ぐに四條を見つめていた。
コツコツと足音を一人響かせ、四條は窓際まで移動する。
涼正たちからはその背は見えるが、彼の表情をうかがい知ることは出来ない。
窓の向こうはイルミネーションのように光り輝く景色が広がっているいるというのに、酷く空虚な感じがした。
まるで、四條そのもののようだ。
誰も動かない、いや。動けないでいる中、“ねえ”と四條が話し始めた。
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