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第八章 14

「……考え直す気はないのかな? ついうっかり君等が〝親子で愛し合っている〟と口が滑って言ってしまうかもしれないが、それでもこちらに来る気はないんだね?」  口調は穏やかなのに、内容はこれまでになく最低だった。 「そんな、脅しじゃないか!!」  腹の底から込み上げる怒りのままに糾弾した涼正だったが、四條は痛くもないのか。その肩が、実に楽しそうのに上下していた。その上、時折クスクスといった神経を逆撫でるような笑い声も聞こえてくる。  「こいつっ!!」 「……何が可笑しいんだ」  涼正の隣の鷹斗と政臣が、ぶわりと殺気立つ。  今すぐにでも殴りに行きたいのを堪えるかのように握り締めた二人の拳が、わなわなと震えていた。それでもそうせずに堪えているのは、涼正の立場を考えての事だろう。  そんな中動いたのは、先程まで四條を前にして蛇に睨まれた蛙のように震えていた兼良だった。    四條に駆け寄ると、彼は飛びつくように腕に縋った。   「止めて下さい、四條さん!! もう、貴方の愛した透子さんはいないんですよ!!」  悲痛な兼良の叫びが、室内にこだまする。  それは、涼正が口にしたくとも出来ずにいた言葉だった。  そして、“やはり”と言うべきか。兼良の一言は四條にとって最も触れてはいけない傷に触れ、塩を塗り込むに等しい行為だったようだ。    振り向いた四條の顔には先程見せていた余裕さなど微塵もなく、苦しそうに歪められていた。 「煩い!! 君らに私の何がわかるというんだ……ッ!!」  血を吐くような四條の叫びに、兼良の腕から力が抜ける。その瞬間に四條は彼らしくない荒っぽさで、兼良を突き飛ばした。  いくら成人男性のそれと言っても体格的に細い兼良は四條の力に抗えず、床の上に尻餅をついく。  鷹斗の腕から抜け出し、兼良に慌てて駆け寄ろうとした涼正の前に四條が立ちふさがった。  四條から向けられる憎悪が、鋭い刃となって涼正の肌に突き刺さる。 「漸く、漸く彼女と幸せになれると……そう思っていたのに彼女は死んでしまった……、私のこの職業のせいで殺してしまったようなものだ!! けれど、私にはこれしかない!! 何がいけなかった!! どうして、私の側には誰もいない!!」  目尻に溢れた涙を拭うこともせずただ叫ぶ四條を、涼正は静かに見つめていた。  今、涼正の目の前に居るのは俳優の四條翔ではなく俳優としての顔も、矜持も殴り捨てた遊佐という一人の男だ。  ――なぜ、君じゃないのか?  ――何故君は幸せそうなのに、私はこんなに苦しいままなのか?  四條の涙で濡れた瞳が、そう言っているような気がした。    最初は強引で、傲慢で好きになれそうにない人物だと思っていた。それに、犯されてからは、恐ろしくてたまらなかった。  けれど、どうしてだろうか。  今、涼正は四條を憎い敵だけとは、思えなくなっている。  もし何かが少しでも違っていたら、四條のようになっていたのは涼正かもしれない。  そう考えると、どうしても他人事とは思えなかった。  それと同時に、酷いことだが目の前の男のようにならなかったことに安心している自分がいて涼正は自己嫌悪した。  涼正は、真正面から四條を見つめた。もうそこには怯えたような色はなく、ただ真剣な色味の瞳が四條を映している。 「……四條さん、……正直貴方の事は嫌いだ。でも、貴方の側に誰もいないってのは間違ってると思うんだ。だって、ほら……マネージャーさん、すごく心配してくれてるだろ?」  すっと視線を移した先、泣きそうな顔で四條を見つめる兼良が居た。もとは綺麗に撫でつけていたであろう綺麗な黒髪は所々崩れていて、そこにはマネージャー然とした姿はない。  しかし、瞳だけは澄んだ色を(たた)え、真っ直ぐに四條へと向けられていた。    言葉にしなくとも、彼の思いが伝わるような綺麗な眼差しだった。    傍から見ていても伝わるのだ。向けられている本人の四條が、それに気づいていないはずがない。それなのに、四條はその想いから逃げるように視線を逸らすと、皮肉気に唇を歪めた。

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