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第八章 15

「それは、……彼は仕事だから私を心配しているだけ――――」 「違います!! 仕事だけなら、こんなことしない!! こんなに、苦しむこともなかった!! 四條さん、貴方だから心配するんです。貴方だから、本当の意味で助けたいと思ったんです!!」  叫ぶような兼良の言葉に、四條の言葉がかき消された。  兼良は堪え切れなくなった涙をガラスのように透明感のある黒い瞳からぽろぽろとこぼしながら、悔しげに唇を噛み締めている。  そこには嘘など一つもなく、真実だけで構成されている美しさがあった。  四條は、何も言わない。いや、何を言うべきか迷っているように視線を彷徨わせた。  その姿はまるで素直になれない子供を見ているようで、涼正は小さく笑った。  小さい子供ならば、ひまわり園で毎日相手をしているから扱いは心得ている。   「ほら、これだけあんたを心配してくれる人間がすぐ側にいるだろう?」 「っ……」  涼正が優しく、宥めるような声で諭すと四條の瞳がユラユラと揺れる。きっと、さまざまな感情が彼の中で渦巻き、駆け巡っているのだろう。  一度は同じ女性を愛し、そして兼良にここまで想われ涙を流させる人だ。根はいい人だと信じたい。  伝わるといい、と想いをこめながら涼正は口を開いた。  「……一応、俺も透子さんのこと好きだったから、ライバルみたいなものだし。まぁ、何もしないなら話くらいいつでも聞くよ」  涼正にとってこれが最大限に譲歩した上での、双方にとってもベストだと考える答えだった。  四條に対する憎しみは消えたが、まだ涼正の中には凌辱された時の恐怖が残っていないと言えば嘘になる。  四條も、涼正に対して引け目を感じているはずだ。そんな状態で“親友に”と言われても、頷くことなど出来ないだろう。  だから、ライバルであり。話し相手。 「……涼正君」  驚きに目を見張る四條の声は、震えていた。  いつの間にか、四條の表情から人を攻撃するような刺々しい雰囲気が消えている。  ――あとは、兼良さんと二人きりにした方がよさそうだな。  そう判断した涼正はそっと兼良の背を四條の方に押し出すと、静かに見守っていてくれた息子たちの方へと歩き出す。  振り返り間際、言おうか言いまいか悩んだ挙句。涼正は、小さな声でつぶやいた。 「……透子さんはいつも俺じゃなくてアンタを見てたよ……俺はさ、アンタの身代わりだったんだ」  男としては格好悪いことこの上なく、不本意な事実であるだけに今まで、それこそ親にも話したことはなかった涼正の本当の気持ちだった。  今思い出しても、身代わりであったことは辛いし悲しいが、四條に話せたお蔭でようやく吹っ切れそうな気がする。  この話を聞いてもらうのは、義父でもなく、息子である鷹斗や政臣でもない。  同じ女性を愛した、四條と言う男でなくてはいけなかった。  出逢いは突飛で、その上最悪なものだったがきっとこれも必要なことだったのだろう。  涼正は一人心の中で結論づけると、自然に政臣と鷹斗の手を取っていた。  二人の顔に、柔らかな笑みが浮かぶ。身体をつなげて以来、目にすることが出来なかった久しぶりの満面の笑みだった。 「涼正、帰ろう」 「行こうぜ」  手を引かれ、涼正は歩き出す。その後ろで、小さく四條が涼正の名前を呼んだ。 「……すまなかった。……謝って許されることではないけれど謝らせてくれ……本当にすまなかった……」 「……今は俺にしたこと全部許すとは言えないけど、アンタが今後もいい演技をしてくれるなら……いつか許せると思う」  涼正は振り返ることなく、そう言った。振り返らなかったのは、四條の声が涙でかすれていたから。きっと、自分ならばそんな姿を心を許している人間以外には見られたくないと思ったからだ。 「そうか、……ありがとう」  涼正は掠れた四條の礼を聞き届けると、部屋を後にした。  きっと彼ならば立ち直り、前よりもいい演技を見せてくれることだろう。

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