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第八章 20
政臣の気持ちもわかる涼正がため息を溢していると、政臣の疲れきったような声が聞こえてきた。
「……はあ、今日はこのままホテルに泊まりに行くか。これ以上ここで言い争うのも、家に帰って片付けるのも馬鹿らしくなってきた」
「だな。涼正は車で来たんだろ?」
先程まで言い争いをしていたというのに、もう二人とも仲が直っているのだから本気の喧嘩ではなかったのだろうか。
呆れるやら、安心するやら。複雑な気持ちを抱えたまま涼正は「ああ」と鷹斗の問い掛けに頷いた。
政臣たちはどうなのだろうかと涼正が思っていると、唐突に涼正の目の前に鷹斗の腕が突き出された。
「ほら、車とってくるから鍵、貸せよ」
早く渡せ、とでもいうように鷹斗が涼正の方へと突き出した腕を軽く揺らした。
涼正は急いでズボンの尻ポケットに突っこんでいた鍵を取り出すと、広げられた鷹斗の掌の上にそれを乗せた。
鍵同士が鷹斗の手の中でぶつかり、チャリッと音を立てる。
「兄貴、涼正のこと頼む。すぐ戻ってくるから」
「分かってるからさっさと取りに行って来い」
追い払うように政臣が手を振るのを背に、鷹斗はあっという間に涼正が車を駐車している方へと走って行ってしまう。
その姿を見送りながら、涼正は玄関口の端の方へと身体を寄せた。
入った時にも思っていたが広いエントランスを抜けた先の玄関口も華美で、どうにも場違いな気がして居心地が悪い。
涼正は気を紛らわすために口を開いた。
「えっと、二人は車で来なかったのか?」
「ああ、車の方が少しオイル漏れしてたから二、三日前から整備に出してる」
「じゃあ、ここまでどうやって来たんだ?」
「タクシーでだ。間に合わないかと思ってだいぶん焦ったな」
政臣が、そう言って苦笑いを浮かべた。彼にしては珍しく内心を吐露するような言葉に、涼正の胸が甘く疼く。
よくよく見てみると、政臣の普段はキッチリと撫でつけた髪が所々跳ね、額にも幾房かかっている。
鷹斗とは違い、政臣は仕事柄もあるのか身だしなみには人一倍気を使っているはずなのに。それを直す時間も惜しいほど、急いでくれたのだろう。
単純ではあるが、そんな政臣を見ていたら涼正はもう居心地の悪さなど感じなくなっていた。
ここに一人で来た時とは違い、胸の中が陽だまりのようにぽかぽかと温かい。自然と口角が上がってしまうのを涼正が自覚しながら待っていると、見慣れたBMWが滑らかに涼正たちの前で停まった。
「二人とも早く乗れよ」
助手席の窓を開け、運転席に座ったまま鷹斗がそう急かす。
政臣は鷹斗の言い方が癪に障ったのか眉根を寄せつつだが、さっさと助手席の扉を開け乗り込んでしまった。
車内からは、鷹斗が政臣に向かって「なんで涼正じゃなくて兄貴が助手席に乗るんだよ!!」と文句を口にしているのが聞こえ涼正の笑いを誘う。
対する政臣はと言うと無表情のままシートに深く座り込み、瞼を閉じてしまった。
――これは……まったく相手にしてないな。
恐らく、先程の意趣返しも兼ねての無視なのだろう。
喧嘩するほどなんとやら、と言うが二人のそれも涼正から見る限りじゃれ合いにしか見えない。ははっ、と小さな笑い声を溢しながら、涼正も政臣に続くように後部座席へと乗り込んだ。
政臣に突っかかっていた鷹斗も涼正が乗り込んだのをミラー越しに確認すると、ゆっくりと車を発進させた。
徐々に四條のマンションが遠ざかっていくのを車窓越しに眺めながら、涼正は漸く戻ってきた平穏を噛み締めると同時に、これから始まる自分と息子達との新たな関係に胸を膨らませるのだった。
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