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第一章 2
二十分程車を走らせるとさっきまでの賑やかな町並みとうって変わって、静かな住宅街が姿を現した。辺りにはまばらだが畑や緑もあって、落ち着いた雰囲気が漂っている。
少し職場からは遠いが、涼正は三人で暮らそうと決めた時に住み慣れた家を出てここへ越してきたのだ。
「もう二十年以上経つのか……」
ほんのつい最近まで子供だったと思っていたのに、いつの間にか成人して大人になっていく息子達に嬉しさはあるものの何だか置いていかれるような寂しさを涼正は感じていた。
――昔はこんな風に思うことはなかったのに……。
そんなことを思っているうちに涼正の運転する車は、涼正の自宅へと到着していた。BMWを自宅の車庫に手慣れた運転で停め、鍵をかけると小さな庭を横切り玄関へと向かう。
「えっと、鍵はっと……」
涼正がコートに付いているポケットをいくつも漁るが鍵はいっこうに出てこない。
「あ、あれ? どこにやったかな?」
コートを脱ぎひっくり返してまで鍵を探していると、不意にガチャリと玄関の扉が開いた。
「……何をしてるんだ? 父さん…」
家の中から出てきたのはさっきまで電話越しに話していた涼正の長男だった。仕事着ではなくジーンズに黒のシャツという黒を基調としたラフな格好だが、スラリと伸びた足はそれだけでも十分に映える。
撫で付けた黒い髪を掻き上げる様はまるで雑誌の中から抜け出てきたモデルのようだ。
不意に政臣の黒の切れ長の瞳が涼正を捉え、涼正は自身の心拍が上がるのを感じた。
「え、あ、あぁ、鍵が見つからなくてな……」
何となく動揺している様を息子に見られたくなくて、少し赤くなった頬を隠すように下を向き涼正はしどろもどろになりながら言葉を紡ぐ。
どんな表情をしているかは下を向いている涼正にはわからないが、政臣の視線は明らかに呆れているような冷たい感じのものだ。
「ハァ…」
大きな溜め息が一つ、涼正の頭上で聞こえた。
「……鍵、忘れて行っただろ…」
鍵に取り付けたキーホルダーの金具の音がわざとらしく鳴らされ、情けなさで顔を上げられない涼正の耳に届いた。
恐る恐る顔を上げると涼正の目の前で政臣が見せつけるように手の中で小さなのクマのキーホルダーが二つ付いた鍵を揺らす。
「あ……」
見覚えのあるそれはまさしく涼正が探していたものだった。
確かに反芻してみれば、今朝家を出るときに鍵を掛けた記憶がどこにもない。
「ほら…」
ポンッと政臣が軽く放ったそれは涼正の手の中にしっくりと収まった。
二匹の小さなクマ達が可愛らしく涼正の手の平に座っている。
「それ……まだ付けてたのか……」
不意に口を開いた息子に涼正は手の平のクマ達から視線を移した。
仕事上常に冷静でいなければならないためか、それとも生来のものかはわからないが、政臣の表情からその感情を読み取れることは少ない。今だって彼の心中が全てわかっているわけではないが、親子という関係で彼との付き合いが他の人間よりも長い分なんとなく曖昧だがわかるのだ。
――これは……照れてるのか。
涼正は口元を緩ませ穏やかな光を瞳に宿して息子を見つめ、口を開いた。
「勿論、捨てる訳がないだろう? これは、お前と鷹斗からの初めてのプレゼントだからな」
「……そうか」
一言だけ。ポツリと呟くと、政臣はクルリと涼正に背を向け家の中へと戻っていく。政臣の背丈や体つきにもう幼い頃の面影はないが、なんとなく後ろ姿に幼い頃の政臣が重なって見えた。
だからだろうか、その姿を見ながら涼正はキーホルダーを二人から貰った時のことを思い出していた。
―――――――――――――――
「ん……」
「これ、あげるっ!!」
一人は仏頂面、もう一人は人懐っこい笑みを浮かべ小さな手をこちらに差し出す可愛い息子達。しゃがみこんで視線を合わせてやると笑みを浮かべたまま鷹斗が直ぐに飛び付いてくる。
「何をくれるんだい?」
涼正は飛び付いてきた鷹斗を受け止めながら満面の笑みでそう答えた。
「ん……」
「あのね、くましゃんなのっ!」
相変わらず仏頂面で手を差し出す政臣の代わりに鷹斗が舌足らずな口調で答える。開かれた小さな手の平には同じ様に小さなクマのキーホルダーが握られていた。
「どうしたんだい、これ?」
息子達の手に握られていた可愛いクマのキーホルダーはどう考えても無料で貰えるような物ではない精巧な作りをしている。途端にある不安が涼正胸を瞬く間に覆い尽くし、その笑みを凍りつかせた。
――まさか……いや、そんなはずは。
自身の可愛く聡い息子達に限ってそんなことはないと思う半面、もしかしたらという思いも拭いきれない。そんな涼正の内心の葛藤に敏感な鷹斗は気が付いたのだろう、さっきまでの人懐っこい笑みが消えふにゃっと泣きそうな顔になる。
「おとうさん、うれしく……ない……?」
泣きそうな顔で見つめる鷹斗の頭を優しく撫でながら、どう切り出そうかと涼正は考えあぐねていた。
「……もらったから」
「え?」
不意にポツリと今までただ仏頂面で黙って手を差し出していた政臣が口を開いた。涼正が目を遣ると政臣も少し不安そうな顔でこちらを見つめる。
「貰ったって……誰からだい?」
不安そうな顔の政臣も抱き寄せて鷹斗と同じ様に頭を撫でながら、優しく問いただすと腕の中で小さな嗚咽が洩れた。
今まで我慢していたのだろう。政臣は澄んだ黒の瞳からポロポロと大粒の涙をこぼしていた。
「きょうね、ようちえんで……たしざんたいかいがあってね…。おにいちゃ、一ばんだったから、せんせにもらったの……」
色素の薄い茶色の澄んだ瞳をウルウルさせながら鷹斗が言うと、政臣が腕の中で小さく頷いた。
「ぼく、おにいちゃのつぎで…二ばんだったけど…がんばったねってもらったの…」
「そうだったのか。ごめんな、疑ったりして?」
同じように涙をこぼしながら兄の代わりに話す鷹斗と静かに泣き続ける政臣を涼正は抱き締めると、額に小さなキスを落とした。小さな体が一瞬ピクリと小さく震え、涙で潤んだままの二対の瞳が涼正を捉える。
「さすが、父さんの自慢の息子だ!! 二人とも偉いな!!」
大きな声でそう言うと、満面の笑みで涼正は息子達の頭を撫でた。
「……うん」
「だって、おにいちゃとボクはお父さんのじまんのむすこだもんっ!!」
政臣と鷹斗は涙を小さな手で拭うと“えっへん”と胸を張って白い歯を見せて笑う。それを見て、涼正はまた政臣と鷹斗を思いきり抱き締めたのだ。
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