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第一章 4

「鷹斗、起きろ!! 時間だぞ!!」  鷹斗の部屋の前に辿り着いた涼正はコンコンと部屋の扉を数度ノックするが、毎回のことながら起きてこない。  そもそも今までノックと声かけだけで起きてきた試しがないのだ。はぁ、と小さく溜め息を吐くと涼正はドアノブに手をかけ部屋の中へと入っていく。 「…………はぁ」  またも溜め息が口をついてこぼれ落ちた。  涼正の目の前に広がっていたのは、何度見ても非常に精神的にクル光景で。これを見た最初の時は、暫く固まったまま動けなくなった。精神的にクルのは変わらないが、今はどちらかというと呆れの方が強く、溜め息しか出てこない。  本来ならば、家具も装飾品もセンスのよい鷹斗に似合うスタイリッシュなもので統一されており、世辞抜きに格好の良い部屋であるのだ。そう、本来ならば。  しかし、涼正の目の前に広がる光景にはそれらの面影すら見当たらない。  広々とした部屋のフローリングの床は脱ぎ散らかされた服や、おそらくコーディネートの時に引っ張り出されたままになっている服。靴や帽子、ファッション雑誌、医学書、大学の講義で配布されたであろうプリント。挙げ句、分厚く題名すらも読み取れない日本語以外の言語で書かれた専門書などが散乱しており足の踏み場もない。  所謂、 汚部屋である。  机の上も同じようにプリントだか雑誌だかわからないもので埋め尽くされ、どうにかすると雪崩が起きそうだ。  ベッドの上にも服が積み上げられていて、この部屋でなら生き埋めになるのも可能かもしれないと涼正は毎回思う。 「……鷹斗、起きろ!!」  先程よりも大きな声で息子の名前を呼ぶと、モゾモゾとベッドで服の山と一体化していた塊が動く。しかし、数度動いただけで起きてくる気配はない。 「……はぁ、よし。やるか!!」  涼正はここにきて何度目になるかわからない溜め息を吐き、腕捲りをすると意気込んで汚部屋の中にへと突っ込んでいく。取り敢えず足元に広がる衣服やらプリントやら雑誌やらを端に寄せ、ベッドまでの道を確保する。  そうして、ベッドの上の衣服の塊を退けて、涼正は勢いよく布団を剥いだ。 「…………はぁ」  暫しの沈黙の後、涼正の口から盛大な溜息が零れ出た。 「……なんでお前はいつも服を着てないんだ」  これには毎度驚かされるし、本当に頭を抱えたくなる。  心臓に悪いのもそうだが、成人してから裸の付き合いも久しく無くなり、いつの間にか自身よりも男っぽくなった息子を同性であるのに直視出来ないからでもあった。 「んー、ふわぁ……寒ぃ」  ベッドでぐっすりと眠っていたこの部屋の主も、流石のこれには参ったのかムクリと起き上がる。そして、大きな欠伸を一つすると、布団を剥いだ涼正をギロリと睨んだ。  黒色の政臣や涼正よりも赤茶色寄りに近いボサボサの長めの前髪の間から、切れ長の色素の薄い瞳が涼正を捉える。  息子であるのに鷹斗や政臣に本気で睨まれると、涼正は気圧されてしまう。それくらい彼等の瞳には、激しさ……いや、獰猛さと形容すべきものが宿っていた。 「まったく……、寒いのはお前が服を着て寝ないからだろう?」 「……知るかよ。……夜はきちんと着てんだけど、何でか朝になると脱いでんだよ」  何となく目のやり場に困ってしまい、涼正は鷹斗が起き上がると背中を向け部屋のクローゼットを漁り始める。  兎に角、服を着てもらわないことには鷹斗を直視出来ない。  涼正はドキドキと激しく鳴る胸に気付かないフリをしながらも、今さっき目にした鷹斗の逞しく成長した体を思い出している自分を叱咤した。 ――最近どうしたんだ……俺は?  同性で、息子である政臣や鷹斗相手にドキドキとするなんて間違っている。しかし、最近そういったことが多いのも事実。 ――昔よりも接する機会が少なくなったからかな……。  取り敢えず今は、そう一人で結論付けることにした。  鷹斗はだいたい毎日涼正が起こしに来るので話す機会は多いが、もとから言葉少なな政臣とは仕事が互いに多忙なせいもあり、中々最近はゆっくりと話せていなかった。  だから今日の朝食は、本当に久しぶりに話という話を政臣としたのだ。  普通ならば親馬鹿にしか聞こえないが、涼正も周りも認める程に政臣と鷹斗は本当に優秀であった。こればかりは涼正も血が繋がっていないのではと疑ったことも暫し。  政臣は四年制の某有名大学を首席で卒業後、司法試験に一度で合格。一年程有名な弁護士のもとで勉強し、今は自身で事務所を持つまでに成長していて多くの仕事をこなしている。こんなふうにしている鷹斗も兄と同じ某有名大学の医学部の五回生に在籍しており、成績も首席であると聞く。 「……これがなぁ」  チラリと見遣ると、当の本人はベッドの上で全裸で胡座をかくという何とも間抜けな格好。少しは恥じらいを持ってほしいものだ、と涼正はいつも思う。  何だか色々考えていた自分が馬鹿みたいだ。  丁度ドキドキと不可解な動悸も治まったらしく、止まっていた手を動かし涼正はクローゼットを漁り出す。 「取り敢えず、下着を着ろ」  クローゼットの中は比較的に綺麗で、直ぐに目当てのものが見つかったので鷹斗の方に放り投げた。 「ん」  受け取った鷹斗がモソモソと着替える音を後ろ手に聞きながら、涼正は更にクローゼットの中を漁る。  毎日鷹斗を起こすのもだが、鷹斗の衣装のコーディネートも涼正の日課のうちの一つだ。別に鷹斗のセンスが悪いわけではない。ただ、涼正がいないと、鷹斗では服を選ぶのにも一時間以上かかるのだ。  今日も鷹斗に似合うような服装を涼正はテキパキと選んでいく。 ――今日は寒いから、上着はダウンで……中は室内で脱ぎ着が出来るようにして……。 「父さん、寒い……」  耳元で声が聞こえ、ズシリと肩に重みがかかる。熱心に服を選んでいた涼正はピタリと動きを止めた。  気付けば後から鷹斗 に抱き締められているような体勢になっている。頬と耳元に当たる髪や吐息が妙に擽ったい。 「……っ、鷹斗、離れろ……これじゃ身動きがとれないだろ」  心拍数が跳ね上がりドキドキと痛いくらいに心臓が脈打つ。折角治まっていた筈の熱が、ジワリと体の中心に灯っていくのを涼正は感じた。  何とか鷹斗の腕から逃れようと体を捩るが、腰の部分を逞しい腕でガッチリと固定されて逃れられない。ドキドキとしているのを悟られたくなくて平然としてる風を装うのだが、声が上擦ってしまった。  それに気付いたのか気付かなかったのかはわからないが、鷹斗は涼正の言うことも聞かずに更に体を密着させてくる。  布越しである筈なのに、まるで肌と肌が触れているような錯覚に陥ってしまう。 「なぁ、涼正で暖めさせろよ…」 「……っ、鷹斗、いい加減に離れろ……それと、名前で呼ぶな……」  首筋に鷹斗が喋る度に吐息がかかり、肌が粟立つ。  元々鷹斗は人見知りで、涼正にだけベッタリと甘えるような子だったが、最近は以前にもましてこうやって涼正を〝父さん〟ではなく名前で呼び、過剰に甘えてくるようになった。前までは親子としてのスキンシップの範囲内ですまされていた。が、これは鷹斗本人にその気がなくとも周りからは誤解されてしまう距離だ。  今まで普通の性癖しか持ち合わせていなかった涼正にとって同性同士の恋愛など知るわけもない。他人がするのならば別になにも言うことはないが、それが涼正の身に及ぶのならば話しは別だ。  しかし、それよりもまず常識的に考えて親子で恋愛感情を持つのはおかしい。  涼正自身も鷹斗や政臣に抱いている愛しいと思う感情は親としての愛情の延長線であるし、鷹斗の過剰気味なスキンシップも子供として親に甘える延長線であると思っている。  しかし、たまにこんなふうに名前を呼ばれると鷹斗とどのように接していいのかわからなくなるのだ。  抜け出そうにも体格差でも力でも鷹斗に敵わない涼正は、腕の中でじたばたともがくことしか出来ないでいると、ゴッと何かがぶつかるような鈍い音がした。 「……痛ぇ」  低く、呻くような鷹斗の声が聞こえ、同時に拘束されていた涼正の体が解放される。振り返り見るとそこには涼しげな顔をした政臣の姿があった。その政臣の足下では、大きな体を丸め、涙目で鷹斗が頭を押さえ蹲っている。 「あまり父さんを困らせるな」 「……本気でやっただろ。まじ痛ぇ……」  どうやら先程の鈍い音は、政臣が鷹斗の頭に拳骨を落とした音だったようだ。  それも、余程痛かったのだろう。鷹斗はまだ蹲ったまま、ブツブツと政臣に文句を言い頭をしきりに擦っていた。 「父さん、時間そろそろ本当にヤバイと思うんだが?」 「えっ? あ、本当だ」  気付けば時計の針は午前八時十分を指している。  ここから鷹斗の通う大学まで、少なくとも車で十五分前後かかる。それに、用意や通勤ラッシュのことも考えると八時三十分頃には出発していないと一限目の講義には間に合わない。  それだけではなく、涼正も鷹斗にばかり構っているわけにもいかず洗濯やらの家のことを出来るだけ済ませなくてはならないのだ。 「政臣、時間があるなら鷹斗に服を選んでやってくれ。父さんは洗濯物を干してくるから」 「ああ、わかった」 「……兄貴が選んでも嬉しくねぇ」 「……殴られ足りないみたいだな?」 「悪かったよ」  〝喧嘩するほど仲が良い〟なんて言葉もあるほどだ。共に並んで立っているだけで絵になるほど美形の兄弟だが、こう仲の良いところを見ると笑いが込み上げてくるのが何とも言えない。  成長すると同時に兄弟仲が冷えきってしまうところもあると聞くので、その点、政臣と鷹斗はああだこうだと言い合いながらも仲が良いので涼正は嬉しく思う。  未だに何事か言い合いを続ける政臣と鷹斗を残し、涼正は部屋を出た。 「……けがけは……って言った筈だが?」 「悪かったって………でも、………の限界……。兄貴も………じゃねぇの?」  部屋では先ほどとはうって変わった政臣と鷹斗の真剣な声が断片的に聞こえてきて、涼正は気になった。  しかし時間がそれを許す筈もなく。頭からそれを追い出すと、一階のバスルームへと向かった。

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