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第五章 9
「……うわっ!?」
寝室に着いた途端、ベッドの上に放られた涼正は驚いた声を出した。
体はスプリングのきいたベッドのお陰でどこも痛くはないが、ベッドの上にいるというだけで次の行為が容易に想像出来て体が端へと逃げる。
鷹斗や政臣が味方ではない今、頼れるのは涼正自身だけだ。
――逃げ、ないと……。
ただ、それだけだった。
家族という涼正が大切にしてきた形はとうに壊れてしまった。
それでも、目の前の二人は涼正の息子であるには違いない。
涼正は、二人を憎みたくはなかった。二人と一線でも越えようものならそれこそ、一生赦せなくなる気がしたのだ。
だからこそ、涼正は震える足に力を入れベッドの上から逃げ出そうと立ち上がったのだが、鷹斗達の方が一枚上手だった。
「こら、逃げんな」
諫めるような鷹斗の声が聞こえた瞬間、涼正は体が下に引っ張られるのを感じた。
あっという間にベッドの上に引き倒され、体の上に鷹斗の顔がある。しかも、鷹斗に馬乗りになるように腹の上に乗っかられ、身動きすら取れない。
ますます焦りを感じ、自由になる足をばたつかせた涼正だったがそれも政臣に簡単に押さえられてしまった。
涼正は渾身の力で抵抗したというのに、易々と押さえ込む政臣は息一つ乱していない。
涼正からすると狂っているとしか思えない政臣は冷静に、そして確実に涼正の逃げ道を断っていく。
「鷹斗、手を縛っておけ」
そう言って政臣が鷹斗に細長い布のような物を手渡した。
「はいはい。悪いな、涼正。暴れられると困るからさ」
鷹斗の手の中の物を見ると、政臣がよくしている濃紺のネクタイだった。
あれで今から縛られるのかと考えるだけでゾッとする。ただ縛られるのを待つなど出来ない涼正はすがるような瞳を鷹斗と政臣に向けた。
「っ、どうして……」
嗚咽混じりのその言葉は、涼正の本心だった。
情けない父親の姿を見て、二人が縁を切りたいと言い出すのはまだわかる。しかし、現実はどうだ。
縁を切りたいと言い出すどころか、二人は父親を奪われないようにと体を繋げようとしている。
たった一人の肉親だとしても、普通はここまでするだろうか?
涼正には、どうにも二人の自分に対する執着が異常に思えて仕方がない。
やがて、涼正の両手をネクタイで一まとめに縛り上げた鷹斗が意を決したように口を開いた。
「どうして、か……これを言ったらアンタは驚くだろうな」
聞いてはいけないような響きの声に、涼正は早くも後悔し始めていた。
それでもこんな目にあっている以上、自分には聞く権利がある。
涼正は覚悟を決め、震える唇を開いた。
「な、に……」
時間にして数分。いや、実際は数秒だったかもしれない。しかし、涼正にとってはそれ以上に長く感じられる時間を経て、鷹斗は話し始めた。
「……俺も兄貴もさ、父親のアンタの事を好きなわけ。好きっていっても、家族としての好きじゃねぇよ。一人の男として好きなわけ」
「え……」
その瞬間、時間が止まったようだった。いや、実際そこで止まってしまえばよかったのかもしれない、と涼正は後になって思う。
息子は今、何と言ったのだろうか?
――……俺の事を…好き?
理解することを拒んでいる涼正の頭では、繋がるようで繋がらない。
正気のの沙汰だとは思えない行動の裏に、こんな想いが秘められていたなど誰が予測できただろう。
呆然としたままの涼正を見て、政臣が苦虫を噛み潰したような表情で呟いた。
「これが異常だっていうことは百も承知だ」
「まぁ、アンタは俺等の父親だからな。これでも随分と悩んだんだぜ?」
鷹斗の全て吹っ切ったような笑みが、涼正の瞼の裏にいやに焼き付いた。
二人の息子は一体いつ頃から、その胸の中にこれほどの想いを育ててきたのだろう。もし、気付くことが出来ていたならば、何かが変わったのだろうか?
今になってする後悔ほど、役に立たないものはない。
涼正は歯噛みしながら、目の前の政臣と鷹斗を見詰めた。
すでに鷹斗は手を縛り終え、腹の上からも退き涼正の左側のベッドの上に居座っていて。右側には、涼正の足を押さえたままの政臣が座っていた。
「なら、……今になってどうして――――」
「他のヤツに奪われる位なら、今の関係を壊してでもアンタを手に入れる」
遮るように聞こえた政臣の強い眼差しに、涼正は目を奪われた。
ギラギラと欲望を隠しもしない、その強い瞳に惹かれると同時に恐怖する。
このまま、政臣と鷹斗に全てを壊されてしまったら自分には何が残るのだろうか。
――……俺は、何を……。
惹きこまれかけていた涼正は我に返った。
壊されてしまったらと、考えている時点で自分は壊されることを望んでいるのだろうか?
――違う!! 俺は……父親で。だから……。
考えようとすればするほど、涼正は深みにはまっていく。
そんな涼正の葛藤など知らない鷹斗は、涼正の頬を撫でながら距離を詰めた。
「黙っててアンタが他の奴に取られるくらいなら、言ってしまった方がいいだろ? それに、今頃出てきた奴に簡単に渡すつもりもねぇし」
もとからたいして距離など存在していなかったのに、詰められたことによって鼻先がぶつかりそうな程近くに鷹斗の顔がある。
真剣な瞳に見詰められて涼正は胸が苦しくなった。
――違う……。これは、気のせいだ……。
息子達は、ただの執着を恋心と勘違いしている。
自分も久しく恋や愛といった感情から遠ざかっていたせいで二人の強い気持ちに引き摺られているだけだ。
涼正はそう結論付けることで、自身にもわからない奇妙な気持ちを誤魔化した。
「……そうは言うが、俺はやっぱりお前達の父親だから……」
涼正は自身にも言い聞かせた言葉を、改めて口にした。
途端、二対の剣呑な瞳に睨まれて、この言葉は失敗だったと涼正は悟った。
「だから何だよ」
「今更だな」
常識さえも打ち破るような強い想いを感じさせる二人の声が、重なるように響いた。
目の前の二人はすでに人としての道を踏み外し、蛇の道へと進むことを決めている。踏み外すことを選べず、引き返すことも出来ない中途半端な自分の声がそんな二人に届くはずもない。何を言ったとしても、薄っぺらくしか聞こえないはずだ。
掛けるべき言葉を見失い項垂れる涼正の左外耳に触れるように、鷹斗の唇が寄せられた。
「確かにアンタは俺と兄貴の血の繋がった父親だ。でもな、そんなんでこの気持ちを殺せてたらこんな事してねぇよ」
ねっとりと吹き込むように囁かれ、内側から自分ではないものに塗り替えられていく。啄むように耳を唇で食(は)まれると涼正は声が上がりそうになった。
同じ様に政臣の顔が近付き、右外耳に唇が触れそうな位置で止まった。
「俺も、鷹斗も何度も諦めようとした。しかしその度に無理だとわかった。結局、アンタじゃないと駄目なんだ」
「っ、そんな……」
甘い言葉に心が揺らぎそうになる。これほどまでに求められることを、涼正は知らない。
今まで、涼正は求めはするが求められた事など一度もなかった。
鷹斗と政臣の母親の透子ですら、そうだった。透子はいつも涼正を求めているようで、他の何か、いや別の誰かを求めていたのかもしれない。
だからこそ、涼正は心の何処かにいつも満たされない空虚な部分を抱えていた。それを今、実の息子達によって満たされようとしているとは。なんという皮肉なのだろう。
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