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第六章 2

 一方的な宣言に涼正は耳を疑った。  今、鷹斗は何を言った?   俺を行かせないと、そう言ったのか?   いや、そもそも何故そんな事をされなければならないのか?  涼正の頭の中を、沢山の疑問が埋め尽くしていく。この仕打ちだけをみると、行為の最中に鷹斗と政臣が告げたあの想いは嘘で、本当は自分は憎まれているんじゃないかとすら思えてくる。  もし、あの優しい手もすべて自分を陥落させるための演技で、優しかったあの頃の息子達はもういないのだとしたら?  そうであるとしたら、涼正にとってもっとも効果的で酷い嘘だ。  恐怖心を上回る怒りが、涼正を足元から染め上げていく。 「さっき、連絡いれといた。風邪で暫く休むってな」  その鷹斗の一言に、涼正の唇がわなわなと震えた。  大事にしていた〝家族〟が崩れ、仕事しか残っていない自分。  その自分から、仕事を奪われたら一体何が残るというのか?  一体、何にすがって生きればいいのか?  様々な思いが涼正の胸の中で渦巻き、膨れ上がり、気が付くとそれは怒りに変わり口から出ていた。 「……ッ、ふ、ふざけるなッ!! なんでそんな勝手なことしたんだ!!」  涼正が仕事を大事に思っている事を誰よりも知っていたのは、自分の理解者である鷹斗と政臣だと思っていただけに、裏切られた気分だ。  涼正は敵を見るような瞳で、キッと鷹斗を睨み付けた。すると、一瞬。ほんの一瞬だが傷付いたように鷹斗が表情を歪めた。  ――な、んで、お前がそんな顔をするんだ?  その一瞬が、涼正の頭にこびりつく。が、次の瞬間にはその表情は嘘のように掻き消え。もう、鷹斗の顔にはその片鱗すら見付けられなかった。  行為の最中に間近で見た野性的な瞳をして、鷹斗がニヤリと口角を上げる。 「アンタを逃がさないためだって言ったら、どうする?」 「っ!?」  ゾワリ、と涼正の全身が総毛立った。物理的な拘束はされていないのに、捕まってしまったような錯覚にジワリと嫌な汗が滲み、涼正の背を伝う。自分に向けられる執着に、涼正は恐怖と戸惑いを感じていた。  ――ここにいたら駄目だ。俺はきっとおかしくなってしまう。  認めたくないが、二人に想いをぶつけられた時。向けられる執着に涼正は確かに喜びを感じてしまっていた。理性がそれを抑えつけ、覆い隠しているだけで、根本だけをみれば自分は二人以上に狂っているのかもしれない。  そんな自分を許すわけにもいかないし、況してや二人に気付かれるわけにもいかない。これは、墓まで持っていかなければならない秘密だ。  もう二度と流されないように冷静になるには、やはり暫く二人と距離を置いた方がいいのかもしれない。そう思い、決心をした涼正は、鷹斗を真っ正面から睨み付けて言った。 「……仕事に行く」  仕事に行ったら、暫くは家に戻るつもりはなかった。  鷹斗はそれを勘付いていたのかもしれない。 「ダメだ」  鷹斗に即答され、涼正は頭にカッと血が昇るのを感じた。 「っ、何でそんなことまで決められなきゃならないんだ!! もう、満足しただろう!!」  感情が溢れ、自分でも止めることができない。悔しいのか、哀しいのか。嬉しいのか、苦しいのか。正直な話、涼正自身も自分の気持ちがわからなかった。  怒鳴り付けた喉が痛くて涼正が顔を歪めていると、怒りを堪えるように眉を寄せた表情の鷹斗がユラリと動いた。そうして、先程よりも強い力で腕を握られ、涼正は骨が軋むような痛みを感じた。 「たった一回ヤったくらいで満足するわけねぇだろ? 何年片想いしてたと思うんだよ、六年だぞ、六年。その間、ずっと悩んでずっと我慢してたんだ。足りるわけねぇだろ」  〝六年〟。その単語を聞いて涼正はズキリと胸が痛み、唇を噛み締める。  ――……俺が、もっと早く気付けていたら。  相談に乗ってやれて、正しい道へ導く事が出来た筈だ。そうして、今ごろ鷹斗や政臣の隣には可愛らしい彼女がいて、数年も経てば孫をこの手で抱き。笑いあいながら昔の話を肴に酒を酌み交わせていたかもしれない。  どうして、こんなになるまで気付いてやれなかったのか?  仕事以外の時間はいつも一緒にいたから、もしかすると目をこらせば予兆の一つくらい見つけられたかもしれないのに。  けれども、涼正はそれに目を向けていなかった。いや、向けようとしなかったというのが正しいかもしれない。自分の子は優しく、優秀で問題など1つもないと信じきっていたのだ。  昔の自分の迂闊さと愚かさに歯噛みしたい気分だったが、涼正は止めた。悔いる時間があるのならば、今からでも鷹斗や政臣の目を覚まさせることに時間を費やすべきだ。  涼正の腕をギリギリと締め上げる鷹斗の力は強く、このまま腕を折られてしまいそうな恐怖すらある。しかし、気付いてやれなかったことや、これから鷹斗に言うことを考えたらこれくらいの痛みは我慢して然るべきだろう。  落ち着きを取り戻した涼正は、掴まれていない方の手で強く毛布を握りしめながら口を開いた。 「きっと、お前たちのその気持ちは気のせいだ。親への依存を、愛だの恋だのと錯覚してるに過ぎない」  そう言いきって、涼正は鷹斗から目を逸らす。鷹斗の顔をこれ以上見ていられなかった。  涼正の視線が毛布に落とされたまま、時間は一分、二分と過ぎていく。  永遠にも思えるような時間の中。長い沈黙を破るように、大きな溜め息が涼正の頭上でした。 「あのなぁ、昨日あれだけ説明したのにまだわかんねぇわけ? 俺等、本気だって言ったろ? 一過性の薄っぺらい気持ちと違うんだよ」  どこか怒っているように感じる声音を聞きながら、涼正は自身にも言い聞かせるように言葉を続ける。 「……お前たちはまだ若いから、そう思い込んでるだけだ。いざ手に入れたら、きっと違うことがわかって興味がなくなる。けどな、俺達は親子なんだ。手に入れてから気付いても遅いんだ…」  そう、きっと気付いた時には〝家族〟はバラバラになり、もしかすると自分は鷹斗と政臣を。政臣と鷹斗は自分を嫌いになって関係さえ断っているもしれない。自分で口にしておいて、涼正はその恐ろしさに身震いした。  しかし、涼正のその言葉は鷹斗を更に苛立たせるものでしかなかったようだ。それ以上聞きたくないとばかりに、低く唸るような鷹斗の声が聞こえた。 「もう、黙れよ」  ぐん、と腕を引っ張られ涼正は鷹斗の腕の中に倒れ込む。涼正は急いで腕を突っ張って距離をとろうとしたが、それ以上に鷹斗の押さえ込む力は強かった。  まったく抵抗の出来ないまま、涼正は鷹斗の胸板に顔を強く押し付けられる。 「チッ、……。まったく、涼正は頭堅すぎだっての。男同士だから? 親子だから? だから何だよ。好きになっちまったもんは仕方がねぇだろ?」  血を吐くように告白され、涼正は複雑な気持ちになった。もし、自分達が親子でなければ、自分は鷹斗達の気持ちを受け入れていたのだろうか。  ――いや、〝もしも〟なんて存在しない。  涼正は鷹斗の腕の中で頭を横に振った。 「……何度も言うが、それはお前たちの錯覚で――」  そう、口にした瞬間。突き飛ばされるように涼正は、鷹斗の腕の中から解放されていた。

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