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第六章 3

 鷹斗が、苛立たしげに髪を掻き混ぜながら言い放つ。 「もういい。今のアンタと話してても平行線を辿るばっかで不毛だ」 「……っ」  確かにその通りなのだが、きつい鷹斗の物言いに涼正は胸が痛んだ。  また、室内に沈黙が落ちる。このまま室内にいても気まずいだけだ。そう思った涼正は、鷹斗の許可を得ないまま部屋を出ようと思っていた。  涼正が、ベッドサイドに腰掛けてゆっくりと床に足をおろす。裸足の足に床の冷たさを感じていると、わざわざ涼正に聞こえるような鷹斗の大きな溜め息がした。 「……ったく、この頑固者。そんなに仕事に行きたければ行けよ。まぁ、行けるなら、だけどな」  意味深長な言葉に、涼正は首を傾げる。何か、自分が仕事に行けないような理由があるのだろうか。 「? 行けるに決まって……る、ッ!?」  不安に思いながらも、立ち上がろうと足腰に力を入れた瞬間。それは起こった。鈍痛が涼正の腰から下に向かって走り抜けたのだ。そのせいで、足に力が入らずバランスが崩れるのが涼正にもわかった。  ――ッ、倒れる!!  思わず目を瞑った涼正だった。が、鷹斗の逞しい腕に抱き止められ怪我一つない。 「な? だから言ったろ」  まるで最初 からこの結果がわかっていたような物言いに、涼正は疑問を覚えた。 「な、何で……」  腕の中で目を瞬かせる涼正を見ながら鷹斗はクッと口角を上げた。 「昨日、無茶させすぎたからなぁ。今日一日は使い物にならねぇかもな」 「……ッ」  言葉が出なかった。一気に涼正の顔に血液が集まり、みるみるうちに真っ赤に染まっていく。  鷹斗を詰ろうにも、今口を開いたら墓穴を掘ってしまいそうだ。そんな理由で口を閉ざしたままの涼正を、鷹斗がニヤニヤと笑いながら見詰めていた。  暫くして、涼正の頬の赤みが治まると、鷹斗は片手で涼正を支えながら腹を擦り始めた。 「あー、話してたら腹減ったぜ。ほら、涼正も飯食いにいくぞ」  正直、腹は減っていたが食べるような気分にもなれなかった涼正は首を横に振る。 「……一人で食ってくればいいだろう」  そう、素っ気なく涼正は言った。しかし、鷹斗は一向に涼正を離す素振りもなく。自身の腹を擦っていた手を涼正の頭へと移動させ、擽るように髪を撫でてくる。  涼正としては、もういい加減に離してもらいたいのだが。話し掛けても、聞いているのか、いないのかわからないような生返事ばかり返され困り果てていた。  ――……何を考えているんだ?  自分の息子ではあるが、別の人間である鷹斗の思考など涼正は分からない。  分からない以上、自分で想像するしかないのだが涼正には見当もつかず。しかし、支えている腕を離してもらっても一人で立つことが出来ない涼正は、大人しく鷹斗の腕の中にいるしかなかった。  短い髪など、触っていても面白くないだろうに。そう涼正は思うのだが、鷹斗はどうやら楽しんでいるようだ。鼻唄を歌い出しそうな程に機嫌が戻った鷹斗が、穏やかな顔で尋ねた。 「涼正は、腹減ってねぇの?」  減っているが、一人になりたくて涼正は首を横に振ろうとしたのだが、それよりも早く涼正の腹が空腹を訴えるように音を立てた。  しまったと思い、腹を押さえた涼正だが中々それは鳴り止まない。そうして、漸く鳴り終えた頃には、鷹斗にもしっかりと聞かれた後だった。  恥ずかしさで、折角一度は治まった筈の顔の赤みが再びぶり返してくる。 「なんだ、涼正も腹減ってんじゃん。ほら、食いにいこうぜ」  強引に連れ出し兼ねない勢いで、鷹斗は涼正を誘う。腹の音を聞かれた恥ずかしさもあって、涼正は半ば意固地に断ろうとした。 「だから、いいって言って……うわッ!?」  しかし、言い終える前に足が床から離れてしまい否定の言葉は途中から驚きの声に変わった。鷹斗が、涼正を横抱きに抱き上げたのだ。  自分の視線が何時もより少し高い位置にあるのは新鮮だが、それよりも涼正は鷹斗の顔がやたらと近くにあるのに驚いた。  慌てて降りようと手足をバタつかせてみるものの、鷹斗の腕はしっかりと涼正を横抱きに抱えたまま離そうとしない。 「ッ、と……暴れんなよ? 流石に暴れられたら落としちまうかもしんねぇし」  鷹斗に脅しのような事を言われ、涼正の身体がピクリと跳ねた。自分は降ろしては欲しいが、落としてほしいわけではない。それに鷹斗の事だ。涼正が何度下ろしてくれと頼んでも、きっと今は下ろしてくれないだろうと、こればかりは涼正にも予測がついた。  大きな、大きな溜め息が涼正の口から溢れた。こればかりは、諦めるしかないようだ。  重い表情の涼正とは反対に、楽しげな様子の鷹斗は涼正を腕に抱きながら部屋を後にし、リビングへと歩き始めていた。

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