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第七章 戸惑い 1
鷹斗と言い争ったあの日から、四日ほど経過した。が、あの日以来、涼正は一度も鷹斗の姿を見掛けていない。といっても、涼正自身が部屋から出ようとしなくなっていたので恐らく家には居るのだが会っていない、というのが正しい表現かもしれなかった。
初めは部屋の外に出て仕事に向かおうとした涼正だったが、涼正を外に出さないようにするためか。用意周到にも車の鍵、財布、携帯を取り上げられていることに気が付き、涼正は早々に諦め部屋に閉じ籠るようになってしまった。
食事や入浴、トイレなどの時に部屋から出る以外、もうかれこれ四日ほど何もせずにシーツにくるまっている。勿論、このままではいけない事は涼正にも分かりきっている。しかし、頭の中にあの日の鷹斗の失望と怒りに彩られた瞳が甦り、涼正の心をジクジクと苛んでいた。
そんな中、政臣も忙しいらしく襲われることが無かったのは唯一救いだったと言ってもいいかもしれない。
はぁ、と涼正の唇から重たい溜め息がこぼれ出て、無気力にシーツの上に投げ出した身体をゴロリと反転させた。このままシーツにくるまってユルユルと眠りに身を投じれば、二度と目が覚めないのではないか。いや、寧ろそうであったのならばどれほどよいか。
思わず、涼正がそんな事を考えてしまった時だ。
強く、コンコンッ、と叩かれる扉の音がした。
「父さん、いい加減に部屋から出てこい」
続いて涼正の耳に聞こえたのは、政臣の呆れたような声だ。
――……出たくない。
いくら呆れられようが、部屋から出る気がない涼正は返事するのも億劫だとばかりに布団を頭からスッポリと被り、知らんふりを決め込むことにした。きっと、そのうち政臣も諦めるだろう。そう踏んでいた。しかし、数分――いや、数十分経っても扉の前から政臣の気配が消えないどころか定期的に扉を叩くのだから涼正には堪ったものではない。
恐らく、政臣は涼正が出てくるまでそうし続けるだろうことが予想出来た涼正は、力の入らない身体を緩慢な動きで無理矢理起き上がらせ。重い足取りで、扉へと向かった。
「涼正、いい加減に――」
ガチャリ、と涼正は鍵を開け、扉を薄く開いた。隙間から冷たい空気が部屋へと吹き込んでくると同時に、どこか驚いたように目を丸くする政臣の姿があった。
「……何の用、だ……」
ここ数日、声を出すことをしていなかったせいで声のだし方すら忘れかけていた涼正の喉から途切れ途切れの掠れた声が出た。
「さっきも言った通り、隠りっぱなしは身体に悪い。いい加減に部屋から出てこい」
「……もう、放って……おいて、くれ……」
そう言って一方的に話を終わらせ部屋の中に引っ込もうとした涼正だったが、政臣の手によって阻まれる。
「そんな状態のヤツを放っておける訳がないだろう」
グイッ、と腕を引っ張られる感覚に、涼正の体がグラリと傾ぐ。体力が落ちていた涼正が政臣に抵抗できるわけがなかった。そのまま傾いだ涼正の身体は政臣の腕の中に落ち、厚い胸板にぶつかって止まった。フワリと政臣の香り――爽やかでそれでいて色気のあるトワレが、涼正の鼻腔から入り込む。
その瞬間、カッと身体が熱くなった涼正は、政臣の腕から逃れようとがむしゃらに暴れだした。
「離せ……ッ!!」
重たい手足をばたつかせ、 振り回す。が、そもそもの話、体力の落ちている涼正が平素でも敵わない政臣から逃れられる筈がなかった。
「いいから、大人しくしてろ。まったく、大の大人がこんな引きこもりだなんて笑えん冗談だぞ」
「っ……」
片手で難なく押さえ込まれ、親が子供にするように涼正は政臣に抱き締められていた。背中を優しく擦る手が温かくて、余計に涼正は自分が惨めに思えた。
「落ち着いたか?」
「………」
顔を覗き込むようにして尋ねられたが、涼正は一言も発しない。男らしく整った政臣の顔を、ぼんやりと焦点のあわない瞳で見上げる。すると、スッと政臣の顔が遠退き、ハァァ、と肺胞内の空気を全て吐き出すかのような重たい溜め息が涼正の頭上でした。
「……重症だな。……まぁ、仕方がないと言えば仕方がないか。それだけの事をした自覚くらいは俺にもあるからな」
後悔をしているような響きが、政臣の声に滲んだ。しかし、涼正はそれに気付くことが出来ない。ただ、〝これからどうすればいいのか〟という問題だけが頭の中に絶えず浮かんでいた。
やはり、二人と暫く距離を置いたほうがいいのだろうか?
それとも、あれだけ頑なに拒否した後ではあるが、四條に養子として二人を任せた方がよいだろうか?
涼正は、迷っていた。本当は、涼正としても可愛い息子達を手渡したくなどない。しかし、今のこの状態が息子達にも涼正自身にもよくないことがわかっているだけに、涼正の気持ちは揺らいでいた。
力の入らない腕で政臣の胸を押し退けようとした涼正の頭上で、政臣が「少しくらい気分転換をした方がいい」と静かに口を開いた。
「気分、転換……?」
涼正は、首を傾げる。確かに、気分は塞いでいるには塞いでいる。が、自分は放っておいてくれ、と言ったばかりだ。
いや、そもそもこんな体力の落ちきった自分を一体何処に連れて行くというのか?
そう涼正が不安に思っていると、政臣が警戒を解かせるように表情の少ない顔にふわり、と微笑を浮かべ涼正の頭を撫でた。
「あぁ、気分転換に外出する。今から行くから、さっさとその野暮ったい格好をどうにかしてこい」
口調こそぶっきらぼうではあるが、涼正の頭を撫でる政臣の手はどこまでも優しい。
ザワザワ、と涼正の心が騒ぎ落ち着かない気分になる。これ以上一緒にいたらだめだ、と頭で警鐘が鳴っていた。
だからこそ、涼正は頭を撫でる政臣の手を払い除け、頭を横に振った。
「……行きたく、ない……」
そう口にして部屋に戻ろうとしたのだが、政臣の手に力が込められ掴まれたままの腕の痛みに動きが邪魔される。
「子供のような我が儘を言うな。支度をしないのならば無理矢理させるぞ」
先程の優しげな様子から一転して地を這うような声で脅し付けられ、涼正は短くヒッ、と悲鳴を溢す。息子に脅され身を萎縮させるなど父親として情けなく、更に涼正の気分を暗鬱としたものにさせた。
「いいから、支度をしてこい」
政臣が唐突に涼正の腕を離すと、その背中を部屋の中へと押し込んだ。この様子では、恐らく涼正が支度を済ませて出てくるまで待ち続けるつもりであろう。
涼正の唇からハァ、と重たい溜め息が吐き出される。気分は酷く沈み、最悪といっても過言ではないほどだ。しかし、政臣を完全に突っぱねることも出来ない涼正は重たい身体をノロノロと動かしながら外出のための準備をし始める。
何時もよりも時間をかけ着替え終えた涼正は、姿見を覗き込んだ。寝間着だった格好が黒のコートジャケットとシャツにスラックスといった外行きの服に変わるだけで、少しばかり気分がシャッキリするから不思議だ。
我ながら現金である気もする。政臣にああは言ったが、涼正としては外に出られる事は純粋に嬉しかったのだ。
取り敢えず着替えた涼正は、ゆっくり扉を開き部屋の外に出る。
「よし、着替えたな」
予想通りと言うべきか。政臣は涼正が出てくるのを寒い部屋の前で待っていたらしく、涼正が部屋から出てくるなり、また涼正は頭を撫でられた。
涼正の顔に、複雑な表情が浮かぶ。これでは、まるで自分の方が息子か何かになった気分だ。
「か、顔……洗ってくる」
涼正はそれだけ一方的に告げると、政臣から逃げるように洗面所へと向かった。
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