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第七章 6

 そのまま駐車場まで引っ張られ、車の側にくると漸く涼正は掴まれていた腕を解放された。 「……政、臣?」  恐る恐る問い掛けた涼正だが、政臣は水族館を出てからというもの一言も言葉を発しない。結局そのまま何も言わず、苛立ちだけを顕に運転席の扉を開けて車に乗り込んでしまった。バンッ、と大きな音を立てて閉められた扉がまるで政臣の心のようで、涼正はその場から動けない。  水族館に入る前にはチラチラと舞っていただけの雨混じりの雪は、いつの間にか吹雪いていて涼正の熱を奪っていく。  政臣に借りたマフラーから漂う香りに、涼正は胸が締め付けられた。 「……さっさと乗れ」  雪が風に乗って叩き付けられる音に混じって、政臣の声が聞こえた。中々動こうとしない涼正に焦れたのか。涼正が見ると運転席に座った政臣が中から助手席側の扉を開けていた。  〝早くしろ〟と言わんばかりの目で睨まれて、涼正はぎこちなく体を動かし、無言のまま助手席へと腰を下ろした。  かじかむ指で扉を閉めると、待っていたかのように車は静かに雪の中を走り出した。  車内では二人とも一言も話さず、重たい沈黙だけが横たわっている。  チラリと涼正は隣で運転する政臣の横顔を見詰めた。真っ直ぐに前だけを見ている政臣は、口を真一文字に引き結び眉間に皺を寄せていた。その表情が鷹斗と……四條に重なる。  ――……なんで、四條の顔を思い出したりなんて……。  涼正は頭を振って外すことを忘れ巻いていたままのマフラーに、顔を埋めた。  軈て、三十分。いや、一時間程車を走らせた頃。政臣は人気のない公園の駐車場に徐に車を止めた。  最初はこんな場所になんの用があるのだろうかと思っていた涼正だったが、ここに来た理由は先程の話をするためなのだと気が付いた。  悪天候のせいもあって辺りはすっかりと暗く、ヘッドライトに照されたアスファルトの上に雪が薄く積もっている。  雪の降る音でも聞こえそうな程の静寂を先に破ったのは、政臣だった。 「……さっきのは、何のつもりだ?」  低く、押し殺したような声に涼正は体が震えた。寒さだけではなく、政臣から静かに立ち昇る怒気に気圧されてしまう。カタカタと鳴る歯を懸命に堪えながら、涼正は言葉を紡いだ。 「……あ、あれは……その、あの子達が必死だったから」 「……ふざけるなよ」  鋭い眼光で睨み付ける政臣に、涼正の身体が後ろに下がる。狭い車内では逃げ場などなく、扉に背がぶつかり、涼正は慌てた。  無言のままの政臣に肩を掴まれドンッ、と扉に叩きつけられる。 「いっ、う……」  強かに打ち付けた背中に、涼正は呻くような声を上げた。チカチカと瞼の裏で光が瞬き、ぶつけられた背とギリギリと政臣の指が食い込む肩が酷く痛む。 「俺が、あんなことされて喜ぶとでも思ったのか?」  政臣の表情が、皮肉げに歪められた。涼正を見る瞳は冷ややかで、その奥では怒りの炎が暗く燃えている。 「ち、違う、俺は……」  怖じ気付きながらも、涼正は否定した。そんなつもりではなかった。 「女をあてがっておけば、自分は逃げられるとでも思ったのか?」  暗い笑みを見せる政臣が、涼正は恐かった。身体がカタカタと震える。 「違う!! 違うんだ、政臣……」  それでも必死に声を振り絞り、涼正はなんとか説明をしようとするのだが怒りに囚われた政臣は涼正の話を聞こうとしない。それだけではなく、涼正の骨が軋むほどに肩を掴む指に力を込め、涼正の身も心も傷付けるような怒りをぶつけてくる。 「そんなに迷惑だったのならまどろっこしいことなんてせずに最初からそう言えばいい。まぁ、それで俺や鷹斗の事を止められたとは思わないがな」  政臣に睨み付けられながら、涼正はただ頭を横にふる。最初は、二人の気持ちを迷惑だとも思っていた。家族でいるためには、あってはならない気持ちであったから。けれども、それと同時に喜びも涼正は感じていた。この二人に、こんなにも自分は求められているのだと、体の奥底で愉悦を感じていたのだ。 「聞いてくれ、政臣……」  そう口にしたものの、涼正はそこから先の言葉を紡げない。話さなければと思うのに、それと同時にこの胸の内に巣食う本当の気持ちを話してもよいのだろうかと躊躇い、口ばかりがパクパクと開閉を繰り返す。  暫く涼正を睨み付けたまま喋り出すのをまっていた政臣だったが、涼正が一向に話し出そうとしないことに痺れを切らしたのか苛立たしげに舌打ちすると涼正の肩から手を離した。 「喋れないなら当ててやろうか? どうせ、〝俺達は親子だから〟とでも言うんだろう。もう、アンタのその言葉は聞き飽きた……」  涼正に向けられていた政臣の視線が逸らされる。その横顔には拒絶の色が浮かんでいて、涼正は焦ったように口を開いた。 「っ、俺は……」  自分の気持ちをどう説明すればよいかも分からないが、兎に角何かを言わなければ。焦る気持ちに駆り立てられるまま続けようとした涼正だったが、政臣の小さな一言で凍り付いたように動きを止めた。  信じたくなどない。きっと、自分の聞き間違いだ。 「政臣、今……何て……」  縋るような思いで聞き返した涼正だったが、間違いなどではなかった。 「〝残酷だ〟って言ったんだ。……なぁ、アンタは俺達をどうしたいんだ? アンタを好いているのを分かっている上で家族でいろと? 血で縛り付けるのか?」  苦し気に歪められた政臣の表情に。血を吐くように告げられた言葉に。涼正は、頭を横から殴られたような衝撃を覚えていた。  涼正の視界が、真っ黒に染まっていく。まるで、この車窓から見える一寸先も見えない暗闇のように真っ暗だ。 「そ、れは……」  何とか絞り出した声は情けないほどに小さく、掠れていた。けれども、頭は思考を放棄して、真っ白で何を言えばいいのかも分からない。ただ、政臣の言葉が涼正の頭の中をグルグルと回り続け、涼正の心を締め上げた。  震えが止まらない。涼正の唇は寒さとは違う理由で青ざめていた。政臣に、自分の醜い部分を知られてしまった。いや、この分だとおそらく鷹斗にも気付かれているだろう。  そう思うと、涼正は堪らなく恐かった。涼正の足先から、指先から血の気が引いていく。 「……暫く、アンタも俺達も距離を置いた方がいいのかもしれないな……」  呟くような政臣の声がしたが、涼正には聞こえていなかった。

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