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第八章 嘘と真実 1

 あの後政臣と共に家に帰ってきて、どうにかこうにか部屋に戻った辺りから涼正の記憶は曖昧で、気が付くと翌日になっていた。  涼正は自室のベッドに座り、カーテンの隙間から覗く白み始めた空をぼんやりと見詰めている。まだ頭の中にはあの時の政臣の言葉が残っていて、涼正の心を鋭いトゲで刺し続けていた。  ――俺は……卑怯者だ。……自分の気持ちから逃げて……それでも、手離したくなくて縛り付けて……。  もう誤魔化すことも、逃げることも出来ない。  ――俺は、政臣と鷹斗を……手離せない。いや、手離したくない。  政臣と鷹斗が女性と仲睦まじくしている姿を想像するだけで、涼正は胸を掻きむしりたくなるほど苦しくなる。自分の手を離れる寂しさがそう思わせているのだと、無理矢理思い込ませていた。が、全部自分の気持ちから逃げるための嘘だったことに、漸く今になって気が付いた。  ――……だけど、きっとこれは、……この気持ちは赦されない。  涼正のかさついた唇から、細く溜め息が溢れた。差し込む朝日が神々しい程眩しくて、涼正は抱える罪深いまでのこの気持ちを糾弾されているような気分になる。  親子で愛し合うなんて。きっと、この思いは誰にも祝福されない。いや、それどこ ろか。知られてしまえば世間的にも白い目を向けられてしまうのが、涼正には容易に想像出来た。  だからこそ、鷹斗と政臣への気持ちを自覚した涼正だがこの気持ちは伝えるつもりはなかった。 「……離れよう。これ以上は……一緒にいられない……」  この気持ちを抑えられている今のうちに、離れる必要があった。このまま二人と一緒にズルズルと生活を続けていれば、きっと気持ちを抑えきれなくなる日が来る。  そうなる前に、涼正は離れることを決めた。将来有望な息子達の未来を、親である自分が潰す訳にはいかないのだ。  涼正は未練がましくなる気持ちを振り払うように立ち上がると、いつの間にかベッド横のサイドテーブルに置かれていた財布や携帯、車の鍵を手に取った。おそらく、政臣が置いていったのであろうソレは甘い、あのトワレの香りがする。  胸が痛くなる香りを吸い込みながら、涼正は早朝に家を出た。  実に一週間とちょっとぶりに愛車のBMWを運転して、涼正は職場である〝ひまわり園〟に出勤した。朝も早く、まだ誰も来ていないと思ったのだが。門の前でバッタリと武藤に出会い、話し掛けられた。 「あ、涼正さん!! 元気になったんですね!!」  久しぶりに見る武藤の顔には笑みが浮かんでいて、涼正は武藤の元気さに圧倒されながら頷いた。 「え、あぁ、うん。……すまないね、心配かけて」  何かしらの連絡を鷹斗か政臣が入れてくれていたとしても、何日も園長が留守にしていたのだ。文句の一つでも言われるだろう、と涼正は覚悟していたのだが。朝と同じく清々しい雰囲気を纏った武藤から返ってきたのは「いえいえ、気にしないで下さい。ただでさえ、涼正さんは働きすぎだったんですから、きっと疲れでもでたんですよ。これからは、倒れる前にもっと俺達を頼って下さいね」と、涼正を心配するような言葉で。涼正は、胸が温かくなるのを感じた。 「……そう、だね。そうさせてもらうよ」 「はい、任せて下さい!!」  嘘を付いている心苦しさを感じるものの、それを覆い隠すように笑みを貼り付けた涼正は武藤と並ぶようにして園内へと足を進めた。  そうして、涼正がパタパタと園内を動き溜まっていた雑務をこなしている内に一人、また一人と母親や父親に連れられ園児がやってくると、朝はシンッ、と静まり返っていた〝ひまわり園〟も忽ちに賑やかになる。  そこかしこから舌っ足らずな挨拶が聞こえ、涼正は漸く日常に戻ってきたことを実感した。 「せんせぇ、おはよーございます」  そう言って、一目散に涼正の元に走り寄ってくる園児の愛らしさに涼正の頬が緩む。  「はい、おはよう」と柔らかい口調で挨拶を返しながら涼正は目線を合わせるように屈み、園児の頭を優しく撫でた。子供特有の高い体温が涼正の掌からじんわりと伝わり、沈みがちな気分を引き上げてくれる。 「わー、せんせぇだ!!」  元気な声がしたと思った瞬間に背中に男の子の園児が飛び付いてきて、涼正は前につんのめりそうになるのを寸での所で堪えた。  ――これは……久々に忙しくなりそうだな。  慌ただしい予感に、涼正の顔に苦笑いが浮かんだ。

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