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第八章 3
『もしもし、涼正君かい?』
「……何の、用ですか…」
受話器の向こう側から聞こえてきた四條の声に、涼正は警戒心丸出しの堅い声で返事をした。きっと、涼正のそんな様子に気がついているのだろう四條は楽しくて仕方がないといったふうに喉の奥でクツクツと笑う。
『おや、用がなければ電話してはいけなかったかい? 私と君は、あんなことをした仲だろう?』
艶のある低い声でネットリと囁くように告げる四條の悪意に涼正は一瞬にして怒りが沸点に達した。どうにかすると受話器を机に叩き付けそうになる手を堪え、ブルブルと怒りに震えながら怒鳴り付ける。
「っ、あれはアンタが一方的に!!」
『悪かったから、落ち着きなさい。話が進められないだろう?』
「……」
涼正にしてみれば不本意だが四條の言う通りで、不毛な言い争いをするために受話器をとったのではないのだ。涼正はグッと怒りを飲み込んで押し黙り、四條の用件を待った。
『いい子だ。さて、本題に移らせてもらうよ。……君、十日後の夜は空いているかな?』
「……? まだ、分からないが……それが何なんだ?」
十日後の予定など聞いてどうするのだろうか?
首を傾げていた涼正だったが、またあんな目に遭わされるのではないだろうか考えた瞬間、声に警戒の色が強く滲む。それを電話越しに察した四條が小さく笑うと、話を切り出した。
『なに、少し君と真面目な話がしたくてね。君も、私に聞きたい事があるんじゃないのかい?』
そう尋ねられ、涼正が真っ先に思い当たるのは例の写真を添付したメールを鷹斗と政臣宛に送ったことだった。
そもそも、その件を聞きたくて四條に連絡をとろうとしていたのだ。
「っ、そうだ、どうしてあんな……鷹斗や政臣にあの写真を送り付けるような真似を!!」
感情を叩き付けるように怒鳴り付ける涼正を、四條の静かな声が遮った。
『待った。その話も、全て十日後だ。十日後、私のマンションに来てくれ。場所は××通りの白色の高層マンションの最上階だ。そこで、全て話すと約束するよ』
「……本当、なんだな?」
二度騙されているだけに訝しがる涼正は、確認するように四條へと尋ねた。
『ああ、嘘はつかないと誓おう』
そう答えた四條の声にはからかうような色も浮かんでおらず、涼正は暫しの逡巡(しゅんじゅん)の後、眉を寄せたまま口を開いた。
「……わかった。…十日後に、そこに行く」
『ふふ、では君が来る日を楽しみにまっているよ。じゃあね』
電話の向こう側で、四條が艶やかに笑う気配がする。涼正は、何故だか蜘蛛の巣にかかった蝶のような気分を味わっていた。ずるずると目に見えない糸によって絡めとられ、罠へと引き込まれているように感じるのは気のせいだろうか。
――……何にせよ、行かなければ解決しないことだ。それに、政臣と鷹斗の件も……。
涼正は四條の声の聞こえなくなった受話器を静かに机の上に置くと、大きくため息を吐き出した。約束の日は十日後。十日後など長いようで短く、短いようで長い。
四條から電話があった日から五日が経過していた。
今日も今日とて元気一杯な園児達に振り回されながらも、充実した一日を過した涼正は園児とスタッフを見送ると重たい体を引き摺るようにして園長室へと戻った。
――疲れた……。
涼正はヨロヨロとよろめきながら、最近ベッド代わりとして使っている応接用のソファの上に疲労困憊の身体を横たえた。
『涼正さん、大丈夫ですか? 目の下、隈が出来てますよ』
今日、武藤に言われた言葉を涼正は思い出していた。武藤に指摘された後、こっそりトイレの鏡で確認しにいった涼正の顔には確かに濃い隈が目の下に浮かんでいた。
いきなり生活環境を変えたせいだろうか、とも思ったのだが。それよりも、涼正には思い当たる理由があった。
――眠りたくない……。眠ったら、また……。
涼正は下りそうになる目蓋を必死に持ち上げ、自身の手の甲をつねった。眠ったら、夢を見てしまう。浅ましい自分の夢を鮮明に、鮮烈に。目が覚めれば忘れてしまう筈なのに、その夢は涼正に罪悪感と淫靡な熱を植え付け頭の中に居座るのだ。
――……眠りた、く……ないのに……。
眠気に逆らえず、涼正の意識は今日も夢の中へと落ちていく。
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