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第二章 3
それから、五分ほど男が車を走らせた頃だっただろうか。
街中に幾つも点在しているような小さなコインパーキングにフェラーリを滑らかな動作で駐車した男は、車から降りるわけでもなく。ただ、シートベルトを外しシートに深く身を沈め「ふぅ」と息を吐いた。
――ここから移動するんじゃないのか?
一分経ってもそのまま動こうとしない男の様子を疑問に思い始めた涼正が、外を眺めるのにも飽きて男の方を向いた時だ。
「悪いね、こんな所に連れてきてしまって」
そう言いながら、男の手がサングラスを外した。
サングラスの下に隠されていたのは、鷹斗と同じような色の切れ長の瞳。似ているようで、似ていない。歳を重ねた分色気や渋みの備わったそれが、涼正の姿を映していた。
――……何処かで見たことがあるような。
男の整った顔を涼正はまじまじと見詰めた。見たことがあるようで、それでいて思い出せないもどかしい感覚に眉が寄る。
喉まででかかったそれを吐き出してしまいたくて、必死に頭の中の記憶の引き出しを片っ端から漁っている涼正に対して、男の顔に照れたような笑みが浮かんだ。
「そんなに見詰められては、顔に穴が空いてしまうよ」
「ッ!! ……別に、そんなつもりは……」
男の言葉は冗談だったのだろうが、考えに耽っていた涼正はソレにすら気付く事が出来ず、指摘された瞬間、男からパッと視線を逸らした。
言い訳のように呟いた声は小さく、語尾が掠れ、結局全てを言い終わらないうちに消える。
バツが悪く、外を向いた涼正の耳は羞恥で赤く染まっていた。
「ふふっ、冗談だよ。すまない」
笑われた後に謝られても嬉しくない涼正は、眉間に深い皺を刻ませ、男を睨む。
「それで、話とは何ですか? 移動しなくても?」
一刻も早く話を切り上げてしまいたい涼正は早口に捲し立てたのだが。しかし、男はどこ吹く風。ゆったりと窓の外を眺め、ビルの合間から見える朝日に目を細めていた。
――……まだ、なのか?
涼正が焦れて前にも増して苛立ちはじめた頃。
コインパーキングに他の車が入って来たのを合図のように、男はようやく唇を動かし始めた。
「君にはすまないが、私は顔が知られてる分、こういった場所の方が聞かれたくない話をするのには丁度よくてね」
男の言い方はどうも遠回し過ぎる。もどかしさを覚えた涼正は先を促すように尋ねた。
「聞かれたくない話?」
「そう、聞かれたくない話だ」
よほど他の人間には聞かれたくないのか、そう言った男の顔は笑みが消え、声もひそめられていた。しかし、どれだけ彼に重要であろうと、涼正自身は彼を知らないし他人に聞かれようが一向に構わない。
男の話を聞かなくてすむのならば他の人間をこの車に招き入れたいと思ったほどだったが、流石にそれは堪え、真面目な表情を向けるとあえて丁寧な言葉を選び口にした。
「失礼ですが、俺は貴方との面識は今日が初めてです。そんな俺に一体何の話が――――」
「透子――藤宮 透子(ふじみや とうこ)を知っているだろう?」
「……ッ」
唐突に男の口から紡がれた名前に涼正は息を呑んだ。
知っているもなにも。いい意味でも悪い意味でも、涼正の心の中に居座り続けている存在だった。
男は涼正の動揺を見逃さず、逃げ道を断つように言葉を続ける。
「いや、知らないはずがない。そうだろう? 宇城涼正くん」
確信したような物言いと男の勝ち誇ったような笑みが、どうしようもなく涼正を苛つかせた。
今すぐこの目の前の男を怒鳴り、この場から立ち去りたいと思う反面で、涼正は藤宮と自分の名前を知っていているこの男が何を話そうとしているのか気になっていた。
立ち去ることはいつでも出来ると判断した涼正は、ドアに伸びていた手を膝上でギュッと握り締めるとスゥッと息を吸い込んだ。逃がすまい、と男の瞳を見詰め、ゆっくりと尋ねる。
「どうして、名前を? そもそも貴方は誰なんだ」
涼正の問い掛けに男は、ゆっくりと微笑んだ。
「私の名前は遊佐 翔貴(ゆさ しょうき)と言うんだが、四條 翔と名乗った方が馴染みがあるかな? 君の名前は透子から聞いていたんだよ」
「四條翔……。まさか、あの四條翔か?」
名前を反芻させるように口にしてようやく気が付いた。確か、数日前にその名前を聞いたばかりである。
――……でも、それにしては……。
涼正が確認するように男を見た。目の前の男はテレビの中で短髪だった四條とは違って、男にしては長いセミロングの程の赤茶色の髪を後ろで一つに纏めている。
それだけではなく、テレビの四條にはないはずの右目許に黒子が一つあって、別人のように見えたのだ。
いよいよ目の前の男が怪しく。そして危険に見えて、涼正は車から出ようとしたのだが。「紛れもない、四條本人だよ」と、見透かしたようなタイミングで告白した四條のせいで手がとまった。
「でも、髪の長さと色が……」
認められない涼正は、髪の事を理由に別人であると結論づけようとする。そんな涼正を四條が呆れたような瞳で見詰め「そんなの、ウィッグ一つでどうにでも誤魔化せるよ」とあっさりと言われ涼正は小さく呻いた。
口にしたことはなかったが、涼正は〝四條翔〟と言う男に憧れていたのだ。
それなのに、四條翔という男の蓋を開けてみたら、自分を無理矢理引っ張ってきた挙げ句、不躾な質問をするような男であったとは。あまりにも、酷ではないか。
半ばムキになりながら、四條と目の前の男との違いを探していた涼正は追い詰められたような表情で四條の顔を指差した。
「じゃあ、その黒子は?」
涼正の指の先は右目許の米粒よりも小さな黒子を指していた。こんなに近い距離でなければ気付かなかったかもしれないような、小さな黒子だった。
四條は涼正の指差している黒子を左の人指し指の腹でそっと撫でて笑う。
「あぁ、これ? これは、普段は化粧で消しているんだよ」
今度こそ涼正はお手上げだった。もう、目の前の男が四條翔とは同一人物ではないと立証できるような証拠がない。
「どうかな、これで信じてもらえたかい? なんなら、名刺を――」
呆然としている涼正に四條は証明とばかりに名刺を渡そうとするが、涼正にも意地くらいはある。四條の言葉を遮ると「いや、いりません」と断った。
「そうかい? 残念だ」
そう言う四條の顔はちっとも残念そうではなく、涼正は心の中で〝嘘つきめ〟と毒づいた。
一段落ついたかどうかはわからないが、一先ず涼正は目の前の男が四條であることを嫌々ながら理解した。
しかし、そんな四條が何故、透子の名前を知っているのか。涼正は、そこが気になりはじめていた。恐らくだが、四條が本当に話したい部分もそこだろう。
〝透子〟と口にする度に沸き上がる甘く苦い、コーヒーカップの底に溶けずに残った砂糖のようにザラザラとした気持ちに涼正は気付かないフリをする。
「それで、有名な俳優が俺に何の用ですか?……透子さんの事なら知りませんよ。もう、二十年も会ってませんから」
驚くほど素っ気ない声だった。確かに、透子とは決して浅くはない関係があった。しかし、それはもう過去のことで、終わったことだ。
涼正は彼女を恨んでいるわけでもない。が、今更関わろうという気もなかった。
だから、自分に透子の事を尋ねても無駄だと言外に伝えたつもりだったのだが、四條が言いたいことはそこではなかったようだ。
「透子が死んだことは聞かされていないみたいだね」
「……えっ」
遠くを見詰めながら、静かに告げた四條の言葉に涼正は自分の耳を疑った。
――……透子さんが、死んだ?
「透子は十年前に死んだんだよ。交通事故でね、即死だったと聞いているよ」
事実を受け止め切れず、真っ白な頭で何度もその言葉を反芻させる涼正を置いて四條は淡々と語った。
「……そんな」
未だに信じられない涼正は、透子と出会った時の事を思い出していた。
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