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第三章 過去

 涼正が透子と出会った時。透子は同じ高校の一つ上の先輩で、勝ち気な黒の瞳にサラサラのロングヘアが印象的な人だった。  あれは丁度、入学式が終わった後だっただろうか。  友達と雑談しながら帰るのも魅力的だったが、その日はなんだか帰路の途中に咲いている大きな桜の木を静かに眺めたい気分だった涼正は、成長期の体を考え買った大きめの学ランの裾を踏まないように気を付けながら通学路を逆走していた。  走って、走って。  辿り着いた頃には、息が上がって肩で呼吸をしていたが、その息苦しさが心地好かったのを憶えている。  そうして、汗を額に滲ませ見上げた桜は美しく、涼正は言葉を発するのも忘れて魅入(みい)っていた。 『君、何してるの?』 『え?』  人気のない公園だったし、誰もいないと思っていたから涼正は驚いた。周りを見回していると、同じ高校のセーラー服に身を包んだ女性が立って、涼正を見ていた。 『あ、いえ。ただ、桜が綺麗だったから』  中学は男子校だったこともあって、ひまわり園のスタッフ以外の女性と話すのはうまれてはじめてだった涼正はしどろもどろに説明した。  もっと他に言い様があったかもしれないと落ち込む涼正を余所に、彼女は桜を見上げる。 『ふーん。まぁ、確かに綺麗だけどこんなところで咲いてもね』  地面に落ちた花弁を手に取りながら『もっと人目があるところで咲けばいいのに』と彼女は笑った。それが、涼正と透子の出会いだった。  その日から、透子の事が気になり出した涼正は見かける度に勇気を振り絞って話し掛けた。そんな事を一年積み重ね、透子が卒業するその日に思い切って告白した。  玉砕覚悟でした告白だったが、結果は『面白そうだし、いいよ』とのことだった。  晴れて透子の彼氏となった涼正は、透子の手で大人になった。それから少しして、彼女は都心から少し離れた大学に進学し、涼正は遠距離恋愛をすることになった。  彼女からの電話は三日に一度と決まっていて、それも彼女から一方的にかけては一方的にきるようなもので。それでも、涼正はずっと一途に透子の事を思い続け、時間さえあれば透子のもとへと行き、会えない時間を埋めるように体を重ねた。  そして、その一年後涼正は透子と同じ大学へと進学した。四月、同じ大学へと来た涼正に、透子は『物好きだね』と苦笑いしていた。  涼正は大学の近くに透子と二人でアパートを借り同棲をし始めた。その直ぐ後に、透子が身籠っている事がわかり涼正は困惑したと同時に喜びを感じていた。  そして、八月。  透子は政臣を出産。自身の性に関する知識の乏しさを責めた涼正だったが、生まれてきた子供には罪はない。それに、可愛い寝顔をみているとこの結果も悪くないと思えた。  政臣に透子、涼正の小さな家族で過ごす忙しくも暖かな毎日。涼正にとって幸せな日々だった。  それが何時までも続いていくものだと思っていたし、涼正は行く行くは透子と結婚し政臣共々養っていくつもりでいた。けれど、透子はそうではなかったらしい。  政臣が産まれてから透子はふらりと出掛ける事が多くなった。その頃から政臣の面倒をみるのは涼正の仕事だった。  涼正は何度も政臣を放って出掛けようとする透子をとめようとしたが、その度に錯乱したように暴れるので見ていられず黙認するようになっていた。  透子は帰ってくると決まって涼正を求めた。涼正も透子に求められるのが嬉しくて、何度も抱いた。今思うと、なんて馬鹿なことをしていたのかと涼正は自分を罵りたくなるが、過去のことは変えられない。  それに、政臣の時にあれだけ反省したというのに、涼正は透子に求められると抗えなかった。そのくらい透子に逆上せていたのだ。  そして、風が冷たくなり始めた十月のある日、アパートに涼正が帰ると部屋の中にポツンと紙切れ一枚とまだ赤ん坊の政臣が残されていた。  紙には透子の字で『さよなら』とだけ書かれて、涼正は透子の気持ちに気付けなかった自分を何度も責めた。  そうして、気付けば一年が経っていた。少しだけ透子の事を吹っ切れた涼正は、気持ちを入れ換え学校を休学して育児に専念するつもりでいた十一月のある日の事だった。  その日、いつも通り週三日入れているバイトをこなし、友人の姉に預けていた政臣を引き取ると暗くなった夜道を急ぎ足で進み、アパートへと戻ると部屋に明かりがついていた。  涼正は急いで部屋に戻り、扉を開け、固まった。部屋の中には政臣よりも小さな赤ん坊がいて、泣いていたのだ。  側には一枚の手紙が落ちていて、透子の字で『貴方の子が先月産まれました。よろしくお願いします』と走り書きのように乱雑に書かれていた。  涼正はその子に鷹斗と名付け、休学していた大学を退学すると二人の幼い子供を連れて実家、ひまわり園へと戻ったのだった。

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