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第四章 火種 1

「……くん、……宇城君、大丈夫かい?」 「えっ、……あ、はい……」  体を揺さぶられ、耳元に近い場所で呼ばれる感覚に涼正は意識を目の前へと戻した。辺りを見回すと、まだ涼正はコインパーキングに停まるフェラーリの車内にいた。 「それで、話を戻すけど構わないかい?」  四條は涼正の肩から手を離すと、そう続けた。  四條の妙に真剣な顔が、いやに涼正の胸を騒がせる。 「話? これで終わりじゃないのか?」 「まさか。これだけを伝えるためにわざわざ君を連れ出したりしないよ」 「じゃあ、何のために?」  涼正は首を傾げた。四條の言わんとしている事を予想してみたが、出来なかったのだ。  四條は涼正のその言葉を待っていたかのように、無邪気で残酷な笑みを浮かべた。 「うん、単刀直入に言わせてもらうけれど、透子の忘れ形見である二人の子供を私の養子に欲しくてね」  四條の唐突な、それも突拍子もない願いに涼正は呼吸するのも忘れ、目の前の顔を見詰める。涼正にはどうしても、タチの悪い冗談としか思えなかった。だから、「…… 冗談か何かですか?」と苦笑い混じりに言ったのだが、四條は否定する ようにゆっくり首を横に振った。 「いや、至って真面目さ。真面目に養子に欲しいと思っているんだよ」  涼正は四條の言葉に頭を殴られた時のような衝撃を感じていた。  目の前の男が、涼正の大切なものを奪おうとしている。そう考えたら、度しがたい程の怒りが涼正を襲い、男の事が憎くてたまらなかった。 「……一体、どうして政臣と鷹斗なんです? 他にも――――」  〝いるじゃないか〟と続けたかった涼正の言葉は、無情にも四條に断ち切られる。 「二人が透子の血を引いているからだよ。私はね、透子を愛していたんだ、けれど透子は逝ってしまい、私だけが残った。残念ながら、私と透子との間に子供は出来なかったが透子から君の事や子供の事を聞いていたのを思い出したんだ」  涼正は今ほど二人が透子の血を引いていることを心から恨んだ日はなかった。  政臣や鷹斗が悪いわけではないのはわかっていたが、これがもし透子ではなく他の女性との子供であったならばこんな事態にはならなかったかもしれない。そんな仮定の事を考えても無駄なのは、涼正にもわかりきっていた。  静かな涼正の様子に、四條はあと一押しとでも思ったのだろうか。 「私なら、余りある程財産もあるし、二人をもっといい環境で育てることが出きる。君は今まで十分頑張ってきただろう? どうだい、ここらで私にバトンタッチして、残りの人生を自分のために過ごしては」  同情するような四條の声音に吐き気がする。そもそも、涼正は政臣と鷹斗のために自分の人生が犠牲になったなど一度たりとて思ったことはない。 「……ざ、け……な」  涼正の膝に置いていた手が、自身の膝頭を指が白くなるほど強く握りブルブルと震えた。もう我慢の限界だった。 「ん? 何か言ったかい?」  涼正が何かを呟いたのを聞き取れなかった四條が耳を近付けた時だった。それまで堪えていた堪忍袋の緒がブチリと切れた涼正は、拳を震わせながら――――ッ、ふざけるなと言ったんだ!!」  大きな、それこそ車体を揺らすような怒声を上げていた。 「……ッ」  流石に、これには驚いた四條が息を詰まらせたのがわかった。  よほど近距離で怒鳴られたのが堪えたのだろうか、四條の顔は顰められていた。しかし、涼正は四條の事など知ったことではないと、怒り に突き動かされるまま続ける。 「いきなり現れて、息子を両方くれだって? 子供はモノじゃないんだぞ、やれるか!! それに、今まで俺が面倒を見てきたんだ、これからもアイツ等が自立するまで、この役目は誰にも譲るつもりはない!!」  言いたい事を全部吐き出し終えた涼正が肩を怒らせたまま〝話しは終わりだ〟とばかりに車から出ようとドアを開けた。  けれど、四條は涼正をそのまま逃がす筈もなく。咄嗟に涼正の腕を自身の方へと力加減無しに引っ張る。 「ちょっと、待ってくれ」  四條の強い力に抗うことが出来ず、涼正の車外に一歩出た身体が再び車内へと引き戻された。  掴まれている腕の痛みに顔を歪めながら、涼正は敵わないとわかっていても滅茶苦茶に腕や足をばたつかせもがく。 「アンタと話すことなんて、何もない!!」  一向に話を聞こうとしない涼正の様子に痺れを切らした四條が苛立ちを滲ませた声で「……聞き分けがないな」と吐き捨てた瞬間、四條がゆらりと動いた。 「ん……――ッ!?」  唇に触れる感触に悲鳴を呑み込まれた涼正は目を白黒させながら、自分にキスをする四條の顔を見詰めた。  ピントがぼやける程近いソレにかつては憧れを抱いていた涼正だったが、今、胸中に沸き上がるのは嫌悪感しかない。触れている部分から伝わる四條の体温と微かにする自分の吸っている銘柄と違う煙草の味が不快でたまらなかった。 「や、め……――んッ……!!」  自由になる右手で涼正は四條の顔を押し退けようとしたのだが、手首を掴まれて逆にシートに縫い留められてしまう。それどころか、〝やめろ〟と言うはずで開いた口の中に舌を割り込ませた四條は深く涼正の口内をまさぐり始めた。  四條の柔らかで肉厚な舌が涼正のそれに擦りあわせるように動き。上顎の粘膜を内側から擽っていく度に狭い車内にくちゅ、と濡れた音が響いた。  ――どうして、俺がこんな目にあわなきゃならないんだ!!  深い口付けに意識の白み始めた涼正はおのれの不運さを嘆いていた。  ――……こんな男に、少しでも憧れていた俺が馬鹿だった。  涼正は涙の溜まった瞳で、キッと四條を睨み付けたのだが、四條は唇の端をクッと持ち上げ笑うと更に深く舌を捩じ込んできた。 「……ッ、……んん……!!」 「……ふ……ッ」  逃げ場をなくし縮こまった涼正の舌を撫で上げ、絡め取り追い詰めていく四條の瞳はまさに捕食者のソレで。いたぶるような残虐な色を孕んでいた。  苦しくて、顔を背け逃げようとする涼正を四條は決して逃がそうとしない。執拗に追い掛け、涼正の口内を我が物顔で食い荒らし、苦し気に喘ぐ涼正を見てはおのれの暗い欲望を満たすのだ。  ようやく四條の執拗なキスから解放された時、涼正は酸欠で意識を失う寸前だった。 「……ッ……は……っぁ」  涼正は貪るように空気を求め、胸を喘がせた。顎を伝い落ちる唾液の感触が気持ち悪く、眉間に皺が寄る。  暫く呼吸が落ち着かない涼正に対して、四條は余裕のある笑みを浮かべ唇を拭っていた。 「……中々よかったよ。涼正君?」  どこまでも涼正を馬鹿にしたような言葉だった。 「――ッ!!」  カッと頭に血が昇り、気が付けば涼正は怒りで震えるほど握り締めた拳を四條の腹目掛け叩き込んでいた。確かな手応えとともに、四條が「……痛ッ!?」と呻く声が聞こえ少し気分がスッとした。  四條の険しい瞳が涼正を捉える。が、涼正は知らん顔をした。涼正のされた事を考えると、涼正は顔を殴ってもよかったのだが、俳優ということもあって腹にしたのだ。  感謝されることはあっても、恨まれる覚えはない。  まだ腹を押さえる四條をいい気味だと思いつつ、涼正は今度こそ車外に出た。 「もう一度よく考えてみることだ。何が君達にとって最良なのかを、ね」  後ろの方で四條が諭すような事を言っていたが、涼正は構わず車のドアをしめた。  ――……最良、か。  まだ、四條の声が耳に残っているような気がしてならなかった。

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