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第四章 2

 あれから、大通まで歩きタクシーをつかまえた涼正は、ひまわり園まで戻ってきたあたりでコートのポケットに突っ込んでおいた携帯が無いことにようやく気が付いた。  一応、ひまわり園の前や自分の車の中をくまなく探した涼正だったが見つけることは出来なかった。最終的に辿り着いた見解は、四條の車の中に落としてきたのだろうというものだったが、涼正は四條の連絡先など知らない。  それに、あんなことを言われた上、キスまで無理矢理され、忘れるほど時間も経過していないのに。一体、どんな顔をして会えというのだ。  ――……どうすればいいんだ。  涼正は頭を抱えたくなったが、現状そうもいかない。 「せんせぇー、抱っこ!!」 「ずるいー、ボクも!!」  足元に群がる子供達にあちこちを引っ張られながら、涼正は困ったように笑った。  これでは、いい意味でも悪い意味でも考え事をしているような暇はない。涼正は「はいはい、順番にな?」と子供達の頭を優しく撫で、袖を引っ張っていた女の子を抱き上げると取り敢えずは仕事に打ち込むことにした。  数時間後、涼正は小さな園長室に篭って書類とにらめっこをしていた。  目の前には手に持っている数字がびっしりとかかれた紙と同じものが束になって積まれ、ちょっとした山が出来ている。  ――……携帯、どうするかな。  書類に目を通す間も考えるのは、四條の所に落としてきてしまった携帯のことだ。  ――……今頃、鷹斗や政臣が心配しているかもしれない。  一番の心配がそこだった。  政臣が九州、鷹斗が国内ツアーへ出掛けたその日から三時間に一回、涼正に向けたメールが届くようになっていた。  これは涼正が〝二人が心配だから近況を報告しろ〟と指示したわけではない。何故だか出発した三時間後、示し合わせたように政臣と鷹斗からメールが届き、それから毎日続いている。  内容も、ただ向こうの様子を知らせるようなものではなく。『今、夕食をとっているところだ。父さんはもう食べたか?ちゃんと野菜も食えよ? あと、寝るときはきちんと戸締まりをしろ』とか。  鷹斗からは、『今日は滝を見に行った。結構すごかったぜ。いつか、父さんにも見せたい。ところで、風邪は引いてねぇか? ちゃんと暖かくしとけよ? じゃあ、お休み』など、大部分が涼正を心配するような文面が写真とともに送られてきたりしていた。  思わず〝お前らは、俺の母親か何かか〟と突っ込みたくなった涼正であったが、息子達からの気遣いは素直に嬉しかった。  そんな二人であるから、涼正も三時間に一回ではないが出来るだけ小まめにメールを返すように心がけていた。そうであるから、唐突に返信が途切れたとなると二人とも涼正に何かあったと心配するかもしれない。  そうならないためにも、早いところ携帯を回収する必要があった。しかし、現状はお手上げ状態で、涼正は机の上に書類を放り出し頭を両手で抱えた。  ――……電話をかけるしか。けど、アイツの声を聞くのは嫌だ……。  そうして、何度も園長室に備え付けられた電話に手を伸ばしては引っ込めを繰り返していると唐突に目の前の電話が鳴った。  ――……嫌な予感がする。  涼正が子機のディスプレイを確認すると、涼正の携帯の番号を表示していた。どうやら、涼正の嫌な予感があたってしまったようだ。  数秒迷ったあげく、結局涼正は電話に出ることにした。 『やあ、数時間ぶりだね』  涼正の予想通り、聞こえて来たのは四條の声だった。 「何の用でしょうか」  そう言った涼正の顔は四條から顔が見えないのをいいことに、思い切り眉間に皺を寄せている。  素っ気ない涼正の言葉に電話の向こう側で四條が笑う気配がした。 『ふふっ、つれないね。キスまでした仲だっていうのに』 「……っ、あれはアンタが勝手にしたんだろう!!」  反応すれば余計にからかわれるだけだというのに、涼正は聞き流すことができなかった。  電話口で声を荒げる涼正に対し、四條はどこまでも自分のペースを崩さない。それどころか、声を潜めたかと思うと『けど、満更でもなかっただろう?』と尋ねてくるのだから、本当に嫌な奴だと涼正は思った。 「最悪だ。犬に噛まれた方がまだマシだ」  涼正は通話を切ってしまいたい気持ちを抑え、吐き捨てるように言った。冗談ではなく、涼正の本心だった。四條という男よりも、まだ犬の方が可愛いげがあるし裏がないぶん扱いやすい。 『ふふっ、本当につれない人だね。それはそうと、君の携帯を拾ったんだが、返してもらいたいだろう?』 「ええ」  涼正は四條の問い掛けに間髪入れずに答えた。  四條と話したくて電話をしているわけではない、携帯を返してほしいからこうして四條からの電話をとったのだ。余計なお喋りにまで付き合う義理など、涼正にはない。  そんな涼正の気持ちなど知らない四條は受話器口の向こう側で『うん、素直でよろしい』と楽しそうに笑う。からかわれてばかりで、中々進まない話に焦れた涼正は滅多に出さないような冷たい声を出した。 「電話、切ってもいいでしょうか」 『おっと、悪いね。本題に移るから、出来ればそれはやめてくれ。そうだね……三日後の夜は空いているかい?  君にはすまないが、私の方がその日しか空いてなくてね』  予定を確認すると、その日は朝と昼、仕事があるだけで夜は空いている日だった。  ――……三日後、か。出来ればすぐに返してもらいたいんだが。  特にその日に問題があるわけではないが、政臣や鷹斗からメールの事を考えると出来るだけ早く返して貰いたいというのが涼正の本心だ。 「……明日、俺が取りにいくのは駄目なんでしょうか?」  四條の顔を見るのは嫌だが避けられないのならば、さっさと自分で取りにいってさっさと帰ってしまった方がいい。そう判断した涼正だったが、四條に『無理だね』と速答され、思い通りにならないもどかしさに歯噛みする。 『いや、それが一番いいと私もわかっているんだが。現場に持ってきちゃってるんだよ』 「……は? 現場?」  聞き慣れない言葉に、涼正は目を丸くした。 『そう、現場。最近忘れっぽくてね、よく物を落としたり忘れたりしちゃうんだよ。君の携帯を無くすわけにはいかないだろう?だから、肌身離さず持ってるんだ』  涼正も忘れっぽいため、思わずそういう事ならと納得しそうになったが寸でのところで思いとどまった。 「……じゃあ、今何処に?」 『今は沖縄にいるかな。撮影も押してるから、戻ってこれるのはさっきも言った通り三日後の夜だね』  涼正から尋ねたのだが、意外な地名がでて涼正は驚きで声をあげそうになった。  ――……数時間前までこっちにいたのに。  国内便なら可能なのはわかるが、四條のフットワークの軽さと、垣間見られた俳優業の多忙さには目を見張るものがある。  喉まででかかったそれを呑み込み、息を小さく吐き出す。四條に付け入る隙を与えてしまえば、からかわれるのが目に見えていた。 「……わかりました。では、三日後の夜に」 『うん。私が保育園の方に出向くよ。それで構わないかい?』 「……ええ」 『それじゃあ、お休み。三日後に会えるのを楽しみにして――』  四條が全て言い終える前に涼正はガチャン、と受話器をおいて通話を一方的に切った。  これ以上、四條の軽口に付き合うのは勘弁してほしかった。  ドッと疲れを感じた涼正は溜め息をつきながら、その身を簡素な背凭れつきの椅子に預け天井を見上げる。  ――……三日、か。長いな。  ただでさえ心配性の二人の事だ。三日間、メールの返信がないとなれば旅行や仕事を切り上げて戻って来かねない。そうならないようにする為にも、一度電話を入れておこうと思うのだが、涼正は携帯を持っていない言い訳を考えるのに難航していた。  下手な言い訳をしてもバレてしまうし、無くしたと言ったら呆れられる。  ――……天井にカンペでも書いてあればいいのにな。  頭上の天井は涼正を嘲笑うかの如く真っ白で、掃除が行き届いているのもあって染み一つない。そんな状態なのに、カンペなど書いてある筈もない。  ――有り得ないことだ。  涼正は天井を睨みながら、それから小一時間程頭を悩ませたのだった。

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