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こっち向いてカシャッ-3
土曜日の昼。
梅雨の最中に気紛れに空に覗いた太陽はジリジリ首筋を焦がすようだった。
体育館隣に併設されている屋内プールで午前中を過ごしていた環は舗装された中庭で何となく遥か頭上を見上げてみた。
「弘瀬は帰らないの?」
「俺、ちょっと用事あるから」
校内で弘瀬と別れ、重たいスポーツバッグを肩から引っ提げて、昼は何を食べようと考えながら校門に向かっていたら。
この蒸し暑い日にカーディガンを羽織った生徒が少し遠くに見えた。
もしかしたら、と思い、歩調を速める。
みるみる近づいてくる姿に、ああ、やっぱり、と自然と頬が緩んだ。
「逢坂」
生い茂る緑が揺らぐ桜並木の傍らで環に出迎えられた猫背の逢坂は濡れた天然茶髪を見上げた。
「部活か」
「うん。逢坂も?」
「うん」
「それって見学できる?」
断られるかな、と思っていた。
「くさいだろ」
校舎の片隅にある暗室は中央に仕切りの壁があって、二つのスペースに分かれていた。
どちらの入口にも暗幕が引かれてある。
「向こうはフィルム現像するとこ。こっちはプリント作業するとこ。くさいのは停止液に酢酸使ってるから」
蛍光灯の明かりは消されて赤色のセーフライトが点された室内。
作業台の棚には印画紙の箱が詰め込まれ、流しには四つのトレイが置かれていた。
「これが現像、これが停止、こっちが定着、端っこのが水洗用」
逢坂は薄闇の中でいつになく冗舌になって説明してくれた。
ていうか。
逢坂、一人、なんだ?
「他の部員は?」
「休みに出てくる奴は滅多にいない」
「そうなんだ」
「一年は俺と羽海野だけだし」
逢坂は引き伸ばし機にネガをセットして露光させた印画紙を竹ピンセットで現像液に浸した。
赤みを帯びた光の中、印画紙にゆっくりと浮かび上がってくるコントラスト。
白黒の水飛沫を生み出す力強い腕。
酸素を奪うように獰猛に開かれた口。
水中ゴーグルが精悍さに拍車をかけるような。
「なんで俺にしたの?」
雑然と散らかった狭い暗室で逢坂と二人きりになって。
疑問に思っていたことを環は口にしてみた。
三分前後で現像液から掬い上げた印画紙を停止液に移動させ、こちらは十秒ほどで切り上げて、液を切り、定着液へ。
「普通はさ、みんな弘瀬に目がいくのに。あいつ、すごいから」
「すごい? そうなんだ」
「一位とっただろ?」
「順位のことは考えないで撮った」
俺にとって撮り甲斐があったのはお前だった。
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