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こっち向いてカシャッ-8
「イブの日、夕方待ち合わせして、クリスマスイルミ見てどっかごはん行く?」
「行く行く!楽しみ!」
「俺も。すっごい楽しみ。プレゼントはどーする?」
「えー……お互いナイショで当日までに買って、イブに渡しっこするとか?」
「渡しっこ。かわい」
「えーーーー」
向かい側でテスト勉強を余所に堂々といちゃつくクラスメート二人が環は正直うざったい……ではなく、羨ましかった。
放課後だった。
期末試験を間近に控えて部活動は現在休止中、五時過ぎの教室には三人以外誰もいない、それをいいことにこっそり交際中である水泳部キラキラ系イケメンエースの弘瀬と羽海野はクリスマスデートの予定を嬉々として立てる。
二人の仲を知っている環は持ち前のおおらかな性格でイライラすることもなく、ただ、きゃっきゃしている様子にちょっとばっかし胸をモヤモヤさせていた。
こういうの、付き合ってるっていうんだろうな。
ときどきデートして、イベントのときはどうしようかワクワク話し合って、いっしょに予定を立てて。
俺と逢坂にはそういうのいっこもない。
『休みの日にわざわざ会う必要あるか』
『え』
『学校でいつも会ってる』
『そーだけど』
『それに最近寒い』
『冬だから』
『寒いのは苦手だ。なるべく外に出たくない』
『逢坂、冷え症だもんね』
そんなわけで。
一学期にお互い両想いだと認識し合ったが、羽海野と弘瀬に頻繁に見られるいちゃいちゃな気配はゼロ、以前と然して変わらない淡々とした日々が流れて二学期後半に至った。
「俺そろそろ行こうかな」
環がそう言って席を立てば弘瀬と羽海野は慌てた。
「ま、待って環君、ごめんっ、ついついはしゃぎ過ぎちゃった! 行かないで!」
「お前がいないと数学ぜんっぜん先に進まない、いなきゃ困るって」
必死こいて平均をいく羽海野、やや下回って赤点スレスレを彷徨う弘瀬に懇願されて、毎回余裕をもって平均点を上回る環はすまなさそうに笑った。
「逢坂も日比谷くんと教室で勉強してるみたいだから、そっち見てくる」
五時を過ぎた校内は部活動が休みということもあって静まり返っていた。
太陽は沈みかけてすでに心許ない陽射しが窓ガラスに縋りつく。
廊下や階段を通る際は指先や首筋に冷気が纏わりついてきた。
「日比谷。寝るな」
細く開かれていた扉越しに覗いてみればフロア違いの教室に残る生徒は二人だけ。
二年生男子において一番背が低い、金髪ピアスのコミュ障日比谷。
転寝している彼の隣でノートを開いていた逢坂。
暖房が効いているにも関わらずマフラー着用、カーディガンにブレザーとしっかり着込んでいる。
猫背で、人見知りで。
かつて日比谷がお世話していたカラスに似ているという眼鏡男子。
「寝ると死ぬぞ」
教室後方だけ点けられた天井の蛍光灯、その下で逢坂が発した言葉に環はつい笑った。
立ち上がった逢坂が机に伏せする日比谷の肩をゆっくり擦り出すと笑顔は引っ込んで。
自分よりも大きな手が綺麗に染められた金髪頭を撫でれば胸の奥がキュッと萎んだ。
「逢坂」
反射的に出た呼号。
廊下で佇む環にとっくに気づいていた逢坂は「寒いだろ、早く中に入れ」と声をかけた。
「日比谷くん、寝ちゃってるの?」
「このままだと凍死する」
「まさか。もう帰ろう? 日比谷くんも起きて、風邪引くよ」
逢坂の代わりに環が肩を揺すれば日比谷はもぞりと顔を上げた。
「コロ」
こんがり焦げたような茶色の愛犬の名を呼んで、寝惚けた日比谷は、天然茶髪の環に抱きついてきた。
「コロ」
「コロじゃないよ、日比谷くん」
「そうだな、帰るか、コロ」
逢坂にまでコロ呼ばわりされて環は赤面した。
逢坂は小動物みたいな日比谷くんの頭を時々撫でる。
多分、俺の頭よりも撫でてる。
「歩きながら寝てるのか、日比谷、フラフラしてるぞ」
……多分じゃない、絶対そうだ。
寄り道をするでもない三人は校門を抜ければすぐ別々になる。
バスで通う環、電車通学の逢坂、徒歩の日比谷、全員バラバラだ。
「じゃあね」
声をかけるのは環のみ、逢坂は「ん」と片言で返し、日比谷はこっくり頷くのみ、そうしてそれぞれの帰路についた。
すっかり夜の帳が降りて際立つ車のヘッドライト、宵闇に瞬く街明かり。
セーターにブレザーを羽織った環は背筋をピンと立てて人通りのある歩道を進んだ。
こういうのってワガママなのかな。
俺だけ撫でてほしい、とか。
小さい日比谷くんだと撫でやすいのかも。
俺、やっぱり筋肉あるし、確実に小さくないし。
クリスマス、冷え症で人ゴミが苦手な逢坂と広場の特大ツリー見たいとか、拷問かな。
夏は夏で「暑い」の一言でどこにも行こうとしなかった。
だからって家に遊びに行くでもない、逢坂、携帯持ってないから、つまり夏休み中は音信不通状態、たまにお互い部活で学校で会ったくらいで。
俺、ワガママかな。
でも、たまには恋人っぽいコト、逢坂としてみたい……。
「環」
環はびっくりした。
バス停を目前にして振り返れば真後ろに猫背度の増した逢坂が突っ立っていた。
「えっ、逢坂っ」
「寒い、しぬ」
「えっ」
なんで逢坂こっちに来たんだろ?
何か用事でもあるのかな?
「そこだろ、バス停」
「あ、うん」
「どれくらいで来る」
「え、あと……五分くらいすれば」
複数の人間がバスを待つ停留所脇に環が立てば逢坂はその隣で足を止めた。
黒のピーコートに両手を突っ込んで無造作に巻いたマフラーに首を窄めている。
172センチの環と比べ、175センチで背が高いはずなのに、多少縮んでしまっている。
「ただ突っ立てるの、拷問だ、あー寒い」
ブツブツ愚痴る寒がり逢坂を見、環の胸は、反対にほんわかあったかくなった。
テスト後の予定を立てるでもなく、クリスマスの話題に触れるでもなく、特に会話さえせずに二人並んでバスを待つ。
そんな何とも他愛ない時間がひどくいとおしかった。
まーいーか。
これだけで十分。
焦る必要ないか。
「十分過ぎたぞ、まだか」
「ごめん、一台見過ごした」
「……俺を凍え死にさせる気か」
「ごめんってば」
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