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raspberryな恋人-2
キス事件の翌日に藤耶は智弘と再会した。
バイト先の近くに藤耶の住むアパートは建っている。
そのほぼ中間地点にあるコンビニで、大学帰り、おにぎりでも買おうかと立ち寄ったところ。
「……」
雑誌を立ち読みしている智弘が視界に入り、藤耶は思わず足を止めた。
オフィス街にいればその他大勢に容易く溶け込めそうな会社員の格好。
茶色に染められた髪はきちんとセットされている。
二十代後半くらいだろうか。
楽しそうにジャン○読んでる……。
「ん」
藤耶の視線を感じ取り、智弘は、顔を上げた。
「あれあれあれ~?」
どっかで見た顔だな~。
ちょっと待ってね、今すぐ思い出すから、え~とね。
書籍コーナーに無造作に雑誌を戻すと、真正面に迫り、いやに至近距離で百八十センチの藤耶を見上げてくる。
藤耶は一歩身を引くと自分から答えを出そうとした。
「うっそ~すぐわかったよ! 昨日のあっくんでしょ!」
「あっくん」と名乗った覚えのない藤耶はちょっと驚いたが、とりあえず頷けば、智弘は高校生みたいなノリで親しげに肩を叩いてきた。
「昨日はごめんね~」
「はぁ」
「あ、もしかして俺、ファーストキス奪っちゃったとか?」
「いや、それは」
「あは~ごめんねごめんね~ねぇ、あっくんって大学生? 身長高いね~何か運動してんの?」
「前にバスケを」
「お~やっぱり~」
今度は親戚のおじさんみたいなノリで藤耶の体をぺたぺた触ってくる。
藤耶はまた一歩身を引いた。
「え? 何々? もしかして警戒しちゃってる?」
「や、別に」
「俺、酒入るとすぐ酔っ払っちゃってさ~キス魔と化しちゃうんだよ、がお~」
「がお~」と言いながら何かしら動物の口に見立てた両手で藤耶の腕をがぶがぶ攻撃してくる。
滅多なことでは動じない藤耶、直立不動のまま、智弘の両手にがぶがぶ噛まれ続けてやった。
「ねぇねぇ、じゃあ、ごちそうさせてよ、あっくん」
「え?」
聞き返した藤耶を見上げて智弘はへらりと笑う。
「ファーストキス奪ったお詫びにさ」
……もうそういうことにしておこう。
ごちそうはお好み焼きだった。
お洒落でもラグジュアリーな空間でもない、何の変哲もないお好み焼き屋で、智弘と向かい合って藤耶は二人分の生地を焼いた。
「わお~上手だね~バイト経験あるの?」
「いえ、ないです」
「あ~俺青海苔はいらなーい、魚粉もパス~、マヨ多めでっ」
「わかりました」
「ちょっと、あっくん、敬語はやめようよ~」
「はぁ」
「トモトモでいいからっ」
「え?」
「ともぴーでもいいよ~ショートモでもいいし~」
ああ、名前のことか。
だけど不思議だな。
ほぼ初対面といってもいいトモトモ……
ともピー……
ショートモ……
升野さんのためにお好み焼きを焼いてるなんて。
上着を脱いでシャツの第一ボタンを開け、ネクタイを緩めた智弘は、繁々と藤耶の手元を覗き込んでいた。
藤耶は二枚のへらで智弘の取り皿に切り分けたお好み焼きを乗せてやった。
「ありがとー、うわ、うまっ! マジうまっ! これ、生飲みたいなぁ、頼んじゃおうかなぁ」
「え」
昨日のキス事件が頭を過ぎって藤耶はつい声を洩らす。
「もちろんあっくんも頼んでいいよ~」
「いや、ちが」
「すみませ~ん、そこの店員さ~ん、スタッフ~っ」
「あ……」
「えっとね~生二つ!」
……ああ、頼んでる。
大丈夫かな。
「あ、来た来た、どーもっ。じゃ、かんぱ~い!」
キス魔って、女子に対してもそうなのだろうか。
もし他の誰かにしそうになったら、この人のためにも、ボコってでも全力で止めないと。
「ぷは~うま~」
……さっきからよく動く口だな。
元から舌足らずなんだな、この人。
三十分後。
「ん~あっくん~チュウさせてよ~」
テーブル端には空のジョッキが二つと飲みかけが一つ。
テーブルの向かい側から身を乗り出した酔っ払い智弘に迫られ、藤耶はメニューで口元を死守する。
店員や客の女の子がクスクス笑っていた。
「あっくん~」
「ネクタイ、焦げます」
「えへへ」
「えへへ、じゃなくて」
「チューさせて」
「いて」
水滴に濡れた指先で両方の頬っぺたを抓られた。
二十七歳って言ってたけど、精神年齢は十七歳。
いや、七歳かも。
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