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コマくんとアイちゃん-2

「おかえりなさい」 「なんでおかーさんいるの? 店じゃないの?」 「ちょっと具合悪くて帰ってきたの。寝て休んだらまた出るから」 「おばちゃん大丈夫?」 藍川の家は割烹を営んでいる。 自宅から車で五分ほど、同ビルに事務所を構えていて、祖父が会長、父親が社長、母親が専務、家族みんな日中から夜中にかけて殆ど職場にいる。 家事を担ってもらうため家政婦さんを雇うようなご家庭だった。 「おばちゃん大丈夫かな」 二階にある日当たりのいい藍川の部屋。 ベッドに浅く腰掛けた狛野は、実は内心ほっとしていて、でもそれじゃあおばちゃんに悪いかと思い、本気で心配した。 勉強机についた藍川は黙り込んでいる。 がっかりしている。 母親を心配しているわけじゃあ、ない。 「帰ろうかな、俺」 「え?」 「俺のこと気にして休めないかもしれないし」 「さっき覗いたら、もうぐーぐー寝てたよ」 「あ……そう」 「ねぇコマくん」 藍川が立ち上がり、狛野は、過剰にびくっとした。 「帰る」 「約束したじゃん」 「ばかッ」 「え?」 「約束はした、確かにした、でもおばちゃんがいるってなったら、当然、延期だろ」 「延期は無しの方向です」 狛野の隣にすとんと座った藍川。 藍川と目を合わせようとしない狛野。 「おかーさん寝てるの、一階だから」 「アイ……ムリだって」 「大丈夫」 「あ」 そっと顔の向きを変えられてキスされて。 そう。 今日、狛野と藍川は約束していた。 「俺、告られた」 それは半年くらい前のこと。 狛野は同じクラスの女子に告白された。 今日みたいに校門のところで待っていた藍川と落ち合い、昔よく遊んだ公園のベンチで、ぽつりと報告した。 すると。 「……ぐすんっ」 「え、アイ? どした?」 「……やだ、コマくん、付き合っちゃやだ」 ぼろぼろ泣き出した藍川にぎょっとした狛野。 昔の彼を思い出して、でもどうしてなぜ、すぐ隣で涙する友達に戸惑った。 「うううっやだーーっ」 「いや、あのな、断ったし」 「……え……なんで?」 「ッ、なんでって……とにかく断った、そういう気持ちにならなかったんだよ」 「……ほんと?」 ぐすぐすしていた藍川は涙を拭った。 公園の真ん中では小学生が遊んでいた。 まだ日の高い放課後だった。 「俺と付き合ってください、コマくん」 学ランの裾をきゅっと掴んで藍川は狛野に告白した。 昼休み、同じクラスの女子に渡り廊下の隅っこで告白されて、その瞬間に藍川のことを鮮やかに思い出した狛野は。 「うん」 藍川の綺麗な指をきゅっと掴んで頷いた。

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