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あわーさわーさまー-3

雨が降っていたからてっきり中止になるのかと思ってた。 「これくらいなら余裕であるって」 中止メールが来ないのでとりあえず待ち合わせ場所に行ってみれば篠と、この間とほぼ同じメンツの篠の友達が待っていた。 「マーライオン王子、今日は大丈夫そ?」 「(マーライオン……?)」 ライブの途中でいつの間にか止んだ雨。 海沿いの広場公園、ブロックごとに分かれた特設会場。 篠の友達はぎゅうぎゅうな前の方へ、俺はステージからめちゃくちゃ離れた最後尾の芝の上で座って聞いていた。 「夕焼け。すごい」 最初は友達と前の方で盛り上がっていた篠、でも途中で抜け出して俺のところまではるばるやってきてくれた。 アンコールに入ったみたいでステージ上も観客も、その盛り上がりはいわゆる最高潮というやつで。 分厚い雲に覆われていたはずの空はゆっくり開けて、満遍なく茜色の夕日が差して、飛び散る雨の残骸がキラキラ輝いて。 「俺この曲一番好き」 濡れた芝に座って塩飴を舐めながら篠は笑った。 「贅沢だなー」 やっと慣れてきた、鼓膜どころか心臓にモロにクル演奏。 伴う耳鳴りの中で篠の弾んだ声を奇跡的にも拾うことができた。 歪みのようなギターの音色と切実な歌声とドラムのざわめきが一つになって溶けていく。 今、この一瞬が結晶化していくみたいな。 「下郡と見れてよかった」 服はもちろん髪や睫毛だって濡れた篠も夕日を浴びてキラキラ光ってるみたいだった。 首に巻いたタオルなんか意味もなくて。 同じくらい濡れていた俺は茜色の笑顔から目が離せなくなった。 今日、篠と来てよかった。 終業式の帰り、いつも行くトコで篠と昼を食べていたらウォークマンを渡された。 「こっち充電ケーブル、夏休み中貸すから。俺のオススメ全制覇して」 「何曲くらい入ってるの」 「200くらい」 店内に飾られた風鈴が冷房の風に揺れてチリンチリン鳴っている。 「はぁ。外暑そ。さっき倒れるかと思った」 「じゃ、あと一時間くらいダラダラしよ」 「ダラダラ」 「冷たいの食べたい」 「奢る。コレのお礼に」 渡されたウォークマンをいじってどんな曲が入っているのか確認していた俺がそう言えば篠はうんうん頷いた。 「やった。じゃあ買ってくる。下郡、何がい?」 「抹茶シェーク」 ウォークマンをテーブルに置いてスクバから財布を取り出し、五百円玉を篠に渡す。 「下郡が抹茶なら俺バニラにする」 窓際の席からカウンターに向かう篠の後ろ姿を見送って、ウォークマンをぽちぽちしながら、俺は最後のナゲットをかじった。 あ。 この曲、篠が一番好きっていってたやつ。 再生を押してイヤホンを耳に押し込めば鼓膜に流れ込んできた音楽。 自然とあの日のライブのことが頭の中に蘇る。 目を閉じれば瞼の裏に広がるのは濃厚な夕日と、雨の匂いと、篠の笑顔。 『俺この曲一番好き』 篠って。 前に保健室で寝たフリしてた俺にキスしたんだ。 寝たフリしてたから見たわけじゃないけど。 あの感触、今でも覚えてる、はっきり。 「買ってきた」 「わっ早っ、びびった……ありがと」 「こっちこそ。いただきます」 「具合悪い」 「え、うそ。降りる?」 「ううん、いい、我慢する」 バスの一番後ろの席、先に乗り込んで窓際に座っていた篠は「肩、もたれていーよ」と言ってくれた。 冷房対策として夏でも長袖着てる俺はお言葉に甘えた。 「重くない?」 「別に。寝てていーよ。起こすから」 「篠、俺より先に降りるじゃん」 「気にしないで」 夏休みの宿題が入ったスクバを膝に置いて篠の肩に頭を乗っける。 「ほんと降りなくていい?」 「いい。大丈夫」 だってほんとは具合悪くないから。 「なぁ、篠さ」 「うん?」 ちらっと見てみたら篠は西日がいっぱい降り注ぐ街を眺めていた。 「なんでもない」 冷えた車内、外の熱気を引き摺った篠の体はすごく心地良かった。 このままずっとバスに乗ってたい。 夏の夕焼けの中を、篠を隣にして、ずっと。 「なー、下郡」 明日から夏休み。 早めに宿題片づけて篠とどこか遊び行きたいな。 「……やっぱ、いい、俺もなんでもない」 二度目のキスは夏休み中に俺からしてみよう。 end

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