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いんきゅばす男子に御用心/大学生×インキュバス

高尾千歳(たかおちとせ)は窓ガラスを蹴破って部屋に突っ込んできたそれを驚愕の眼で見下ろしていた。 「いてて……」 ガラスの破片が散らばっているにも関わらず、やたら露出された肌に傷一つ負っていないそれは、床に強かにぶつけたお尻の方を擦っている。 艶めくほどに漆黒のショートボブ。 肩が剥き出しでへそ出し丈のコルセット、チェーンとベルトつきホットパンツ、肘上まであるロンググローブ、厚底のロングブーツ。 どれも全て黒のエナメル素材だ。 小学生なのか中学生なのか区別のつかない体つきで、ふっくらとした柔らかな曲線は少女に見えなくもない。 しかし……。 「いってぇなぁ、勢い余って失敗しちまった、クソっ」 恐らく天然の色鮮やかな唇から洩れる声は千歳と同じ男物で……まぁ、多少高めのトーンではあるが、決して女のものではなく……。 千歳が驚いている肝心のポイントは彼の背中にあった。 「やっぱり栄養が足りねぇな、うまく飛べねぇ」 彼の肩甲骨の辺りからバサバサと動くもの、それは、どう見ても羽根である。 蝙蝠の羽根によく似た……というか、そのものだ。 野球バットを持って凝然と固まっている千歳を、彼は、面倒くさそうに見上げた。 「しかも野郎かよ。やっぱ事前にリサーチしとくんだったわ」 「お、お前、一体……」 見慣れないバイオレットの大きな双眸には猫じみた縦状の瞳孔が走っていた。 こいつ、一体、何? 何か、羽根生えてて、口の中にちらちら牙みたいなモン、見えるんだけど? もしかして、外国の過激バラエティ的な、一般人に急なドッキリってやつか? 「じろじろ見んじゃねぇよ、見世物じゃねぇぞ」 なかなか可愛い顔をむすっとさせ、粗野な言葉遣いで千歳を威嚇し、彼は立ち上がった。 千歳はバットを握り締めて身構える。 「……じろじろ見るに決まってるだろ」 「あ?」 「いきなり自分の部屋に窓ガラス割って入ってきた侵入者をスルーする人間がどこにいるんだよ!」 自分より相当背の低い彼に、羽根や見慣れない双眸は置いておいて、ちょっと恐怖やら不安が薄れた千歳は言い返した。 すると彼は眉間に寄せていた皺を俄かになくし、くすっと笑った。 「あー……確かに。だよな。そりゃそうだわ」 長い前髪越しに険しかった吊り目の三白眼が急に甘味を帯びる。 か、可愛い……。 いやいや! 違う違う! こいつ男だし!  てか羽根と牙、生えてるし! 一連の動作を確認して背中の羽根が作り物ではないと気づかされた千歳は、今にも振り被りそうだったバットの先を下に向け、恐々と尋ねた。 「お前、何……? 何で羽根が生えてんの?」 「俺様はインキュバスだ」 ……俺様って。 「インキュバス」という聞き慣れない言葉は鼓膜を擦り抜け、彼の一人称に千歳は思わず頬を緩めた。 「ん? 何だ?」 「いや、何でもない。えっと、いんきゅばす、だっけ? それって、みんな、羽根とか牙が生えてるのか?」 「大体生えてんじゃねぇの」 「何かアバウトだな」 「うるせぇ」 あ、意外と普通に会話できるな。 警察呼ぼうかと思ったけど、説明とか面倒くさいし、レポートやんなきゃいけないし、応急措置としてダンボールで塞いでおけばいいか。 とりあえず窓ガラス代をもらってから追い出すか……。 そんなにやばそうな奴でもなさそうだし。 それにしても今の音を聞いているはずのアパート住人、誰一人、やってくる気配はない。 さすがドライな現代社会……。 「なぁ、貴様、女はいるか?」 窓ガラス代の請求を持ちかけようとした千歳より先に、インキュバスの彼は、突然そんなことを聞いてきた。 「彼女? 今はいないけど? 何だ、急に?」 「ダチか知り合いにはいるだろ? 女っ」 「まぁ、そりゃあ、友達はいるけど」 「よし!」 四散する窓ガラスの破片を厚底ブーツで踏み潰しながら彼は千歳の真ん前にやってきた。 バットを構える気も起こらずに千歳は首を傾げる。 彼は鋭く尖った犬歯を覗かせて言った。 「全員、俺様に差し出せ! 交尾させろ!」 前言撤回。 こいつ、とんでもなくやばい要注意いんきゅばすだ。 「なぁ、いつ呼んでくれんだ!?」 「えっと、うん、明日」 「明日ぁ? 今から呼べよ、クソ野郎!」 「今はレポートで忙しいからな、明日」 「インポ野郎!」 別にインポじゃないもん……。 ガラス破片の片付けを終え、テーブルでレポートをしているフリをしながら、千歳は、ベッドに座って不服そうにしているインキュバスのインクを盗み見る。 こんなガキみたいなナリで女子をレイプさせろとか、凶悪だな、おい。 しかしスゴイ格好だよな。 ボンテージ風でへそも背中も丸出しで。 それが似合ってるからさらにスゴイよ。 太腿とかむちむちだな。 ぱっと見は女の子だよな、完全に。 まぁ、胸はないけど。 でも二の腕とか柔らかそう。 フニフニしてそう。 ……おい、俺、しっかりしろ!! ああ、あれだ、きっと腹減ってるから、食欲を性欲と勘違いしてるんだな! かなり強引な考え方で頭の整理をした千歳は立ち上がった。 「呼んでくれんのか!?」 「違う。コンビニ、行ってくる」 「ちぇっ」 インクはごろりとベッドに不貞寝した。 何か、彼氏の言動にがっかりした彼女がしょ気てるみたいだ。 ……おい、俺!!!!

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