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血迷いラプソディ-5

どうしてこんなことになってしまった。 「先生のシャツ、ぶかぶか」 週末、俺の部屋で、俺のシャツを身につけた鈴宮が照れくさそうに笑う。 ああ、鈴宮……。 お前、どうして下を履いていないんだ! 遡ること約一週間前。 清々しい秋晴れの日、大型バスを貸しきって海に近い自然公園まで学校行事の遠足に出かけた。 低学年の生徒達は草の上を駆け回り、高学年の女子らは見晴らしのいい高台でおしゃべり、凝ったアスレチックではしゃぐ男子児童もたくさんいた。 海から吹く風は少々肌寒いが活発な子供たちは気にもならないだろう。 バスのシートに預けっぱなしにしていた背中を伸ばし、俺は関節をぽきぽき鳴らした。 「いい天気ですね」 いきなり真横から声をかけられてぎょっとする。 さり気なくお洒落なカジュアルスタイルの清見先生がいつの間にか隣に立っていた。 「あ、ええ、そうですね」 「みんな、あんなに楽しそうに」 「あ、はぁ」 「鈴宮君がいたら、きっと一番にあの滑り台、制覇していたことでしょう」 「……」 今日、鈴宮はここにはいない。 学校に登校してきたものの発熱していた彼は保健室での待機を余儀なくされた。 「今朝の鈴宮君から向けられた、私へのあの批判の眼差し……あれだけ楽しみにしていた遠足への参加を拒否されてショックで涙まで溜めて……ふふ、可愛かったなぁ」 「……」 「思い出すとゾクゾクします」 あの放課後の出来事を知っていると俺に聞かされた清見先生は、距離をとるどころか、やたら俺に接近してくるようになった。 綺麗な微笑を浮かべてやってきては鈴宮への思いを語り、こっちが嫌がろうと関係なく露骨な妄想まで明かしてくるようになった。 「だって、こんな話ができるの、日向先生だけなんです」 そりゃあ、子供相手の下卑た妄想なんて誰だって聞きたくないだろう。 だけど鈴宮、可哀想に。 きっと誰よりも一番に今日を楽しみにしていたはずなのに。 「鈴宮君のあの唇、最高ですよね。グミみたいで授業中でも思わず齧りつきたくなります」 ああ、それは確かに……って、こら、まともに聞くなよ、俺! 「おいしそうですよね。現においしかったですけれど」 う、羨ましい、俺はキスしていない……って、ああ、馬鹿! 俺の馬鹿! 「×××も可愛らしくて女性の×××よりも魅力的な締めつけがあってーー」 「ちょっと、清見先生、他の先生に聞こえますって!」 尊敬していたのになぁ。 清見先生ってこんなにも変態だったのか。 遠足は全校生徒怪我もなく無事に終わった……というわけにはいかなかった。 五年生の男子児童が怪我をした。 俺と清見先生の受け持ちの生徒ではなかったが、学年主任の清見先生は担任と共に付き添いで病院へ行くことに。 よって俺が鈴宮のことを頼まれた。 夕方、父親が迎えにくるまでそばにいてやってくれと。 「お願いしますね、日向先生」 廊下で擦れ違う生徒と帰りの挨拶を交わしつつ、俺は足早に保健室に向かった。 「熱は下がりましたか?」 「そうね、朝よりは。でもまだ微熱があるわ」 小声で保健医に容態を尋ね、俺は忍び足で慎重に仕切りのカーテンを開く。 鈴宮は壁際の端のベッドで眠っているようだった。 「すみません、日向先生、ちょっと職員室に行ってきますね」 保健医が去り、保健室に眠る鈴宮と二人きり。 ここはとても静かだ。 全校生徒が遠足を楽しんでいる間、鈴宮は、一人ここでずっと寝ていたのか。 「ん……」 鈴宮が寝返りを打った。 布団がもぞもぞと動いて、隠れていた顔が見えるようになる。 「……日向先生?」 掠れた声が届いて、俺は、躊躇いがちに彼の寝るベッドへと足を進めた。 「具合どうだ、鈴宮?」 鈴宮は口元を布団に隠し、上目遣いに俺を見上げた。 頬が赤い。 ぼんやりした視線が……とても可愛い。 「遠足……楽しかった?」 ぱちぱちと瞬きしながら聞いてくる。 久し振りに間近にする鈴宮の無防備な可愛さに俺の鼓動は急かされる。 耐えろ、俺。 「行きたかったなぁ」 瞬きしていた目からぽろりと涙の雫が。 「鈴宮」 「すっげー楽しみにしてたのに……」 けほっと小さな咳が出た。 「大丈夫か?」 「うん……遠足……うう」 「鈴宮、泣くな」 「ううう~」 「す、鈴宮」 「うぇ~ん」 「鈴宮、ほら、元気出せ」 「ひっく、けほっ」 「ああ、ほら。水、飲むか?」 「いらない、けほっ、ひっく、けほっ」 「泣くなって、な? ほら、先生が連れてってやる」 「ひっく……」 「今日行った自然公園、な? 弁当持って、お菓子買って、先生と行こう?」 「……」 「でっかい滑り台があったぞ。なかなか滑りきれない、長いやつ。お前、そういうの好きだろ? アスレチックもすごかったし、な? 熱が引いたら先生と行こう」 とにかく泣いている鈴宮の涙を止めたくて。 鈴宮の笑顔を見たくて、その一心で、俺は……。 鈴宮は涙を湛えた目で俺をじっと見上げてきた。 「ほんと?」 俺は力いっぱい頷いた。 完全に贔屓だよな、これって。 青空の下、長い滑り台を滑り降りながら手を振る鈴宮に手を振り返し、俺は反省する。 鬼門と言っておきながら週末に二人きりで公園デートって……いやいや、デートじゃないし。 じゃあ何だろう、これって。 課外授業? 「日向先生!」 まぁ、いいや。 鈴宮が笑って楽しんでくれるのなら何だっていいや。 無念の遠足断念の翌週。 俺は鈴宮を連れて車で海際の自然公園へ遊びにきていた。 「これ、すげぇおいしい!」 「え、この足が千切れたタコさんウインナーの出来損ないが?」 「これもおいしい!」 「崩れた卵焼き?」 「全部おいしい!」 俺が早起きして作った弁当を鈴宮は笑顔でぱくぱく食べる。 嬉しいやら可愛いやら触りたいやら……ああもう! 清見先生に毒されてるぞ、最近の俺ってば。 「何か愚図ついてきたな」 天気予報は今日一日晴れの予報を伝えていたが、空模様が怪しくなってきて、俺は帰り支度を始めたのだが。 「え~滑り台、あと五回滑りたい」 「また滑り台……まぁ、そうだよな、友達がいればゲームとかできたよな……他にも誰か連れてくればよかったな」 「オレ、日向先生がいれば十分だよ?」 何だ、それ。 お前、俺をどうにかしたいのか、鈴宮? あんなに一緒に遊んでいる友達がいなくても、俺がいれば、十分って……やばい、泣きそうだ。 笑顔の鈴宮に俺もまた浮かれてしまい、空模様に気を配ることも忘れ、はしゃぎ回る可愛い生徒に目を奪われていたら。 突然の雨。 しかも強めの。 とりあえずジャケットで濡れないように鈴宮を庇いはしたものの、それでも、多少濡れてしまった。 「くしゅん!」 濡れた鈴宮が車の助手席でクシャミを連発する。 熱が引いて数日経過し、体育の授業にも出席できていたようだから、今日、公園へと連れてきた。 またぶり返しては元も子もない。 「鈴宮、今日、お父さんは?」 「お父さん? 仕事だけど?」 どれだけ多忙なんだよ、全く。 「くしゅん!」 「家、帰ろうか、鈴宮」 「え~もう!? まだ二時にもなってないのに!」 「熱がぶり返したら嫌だろ?」 「大丈夫だよっ」 「大丈夫じゃない」 「あ、じゃあ先生んちに行きたい」 「あのなぁ」 「だって、家に帰っても一人だし」 「……」 「オレ、一人でいるの、ほんとは嫌なのに」 ふと、保健室で寝ていた鈴宮を思い出した。 静かな部屋の片隅で一人布団に包まっていた、小さな姿を。 俺は鈴宮を自分の安アパートへ連れて帰った。 大丈夫、大丈夫だよな、俺? ちゃんとブレーキかけられる大人だよな? 「わぁ、畳だ!」 何故か畳にハイテンションとなった鈴宮がごろごろと狭い中を転がる。 俺はそんな彼に風呂を促した。 まぁ、わざわざ湯なんて溜めずに熱いシャワーでも浴びさせて、冷えた体を温めさせようと思って。 濡れた服に着替えさせては意味がないので、とりあえず自分のシャツを渡した。 昔自分が履いていた小さ目のスエットも渡したつもりだった。 だがしかしシャワーを浴び終えた鈴宮はシャツだけ纏った格好で、華奢な生足が……。 「だってあれもぶかぶかで落ちてくるから、もう履かなかった」 電気ストーブの前に座った鈴宮が胡坐を組む。 く、見えそうで見えない……違う違う、見るな、俺。 「何か温かいもの作るか……スープかホットミルクか、何がいい?」 「オレ、あれがいーな」 「あれ?」 「うん、あれ!」 鈴宮の手が俺の服を掴む。 「学校のトイレのときみたいに」 「……」 「あんな風に触って」 熱い湯で火照った肌が瑞々しく輝いている。 悪びれるでもなく、恥らうでもなく、鈴宮は無邪気に俺を求めてくる。 「あれ、あったかくて気持ちよかった。だから、あれがいい」 神様仏様、親父お袋。 もう無理です。 あとついでに清見先生。 偉そうなこと言ってすみません。 俺も今から大罪を犯します。

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