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キミガダイスキ!!-3

放課後、文化祭についての話し合いが長引いて、爽のクラスはなかなか解散できずにいた。 「百円ショップで買うとしてもそれなりの量が必要なんでぇ、できれば女子から寄付してもらいたいんですけど」 文化祭企画委員の呼びかけに多数の女子がブーイングを起こす。 男子一同の表情はげんなりとしていて、帰り支度の済んだ生徒が廊下を通る度、恨めしそうな視線でもって彼等の背中を見送っていた。 「こんなのって面倒極まりないよな」 「反対すりゃあよかった、マジ」 「でも、ちょっとドキドキしねぇ?」 「するかよ、馬鹿」 このクラスはちょっとした喫茶店なんてものを開く予定でいた。 売るものはラムネやお菓子といったところで、室内では始終音楽を流し、休憩がてらに立ち寄ってもらうのが狙いだった。 が、それだけでは面白みがないと女子が言い出した。 その結果、男子にとって賛同しかねる案が採用されたわけである。 「女装だなんて馬鹿げてるよ、ホント」 男子が小声で不平をこぼし合い、女子が膨れっ面で騒いでいる中、爽は目の前の空席に虚ろな視線を注いでいた。 毅史は帰りのホームルームが始まる直前、鞄を持って堂々と教室を出ており、すでに学校を去っていた。 昼休みが終わってからは一度も喋らなかったなぁ。 爽は周囲の喧騒などどこ吹く風で物憂げな心境を持て余す。 この教室で一番話し合いに参加していない生徒であり、早く帰りたいと願おうともせずに、彼は我知らずため息を連発していた。 こんなの、別にいつもと同じパターンだけど。 昼休みにちょっとの接触があっただけに、何か、応える。 機嫌を損なわせちゃったんじゃないかと、いろんな心配をしてしまう。 だけど、近くで見ると何ていうか、高比良君って本当にカッコイイ。 きっと今頃彼女と一緒にいるんだろうなぁ。 「爽ちゃん、帰ろーぜい!」 やっと話し合いが終了し、新野に声をかけられて、爽はどんよりとした思考を無理矢理断ち切った。 一日限りの触れ合いが持てただけでも良かったと、自分の心に何度も言い聞かせて。 「おい」 頭上から降ってきた声に爽は何気なく頭を擡げる。 そこには毅史が立っていた。 肩からイヤホンをぶら下げ、シャツの袖を捲り上げた毅史は、ポカンとしている爽に例の物言いで朝の挨拶を告げた。 「はよ、爽」 彼が前の席に着き、その広い背中で視界が埋め尽くされた時点において、爽はようやく事実を把握し始める。 毅史は今から朝食にありつくようで、尋常でないくらいに膨らんだコンビニ袋をガサゴソ言わせていた。 高比良君が来るのってホームルームの開始間際で、こんな、まだ十五分も余裕ある時間帯に来るなんて今までで一度もなかった。 だけど、今、僕の目の前にはこの背中がある。 それに、さっき僕の事名前で呼んだ? 「あっ、おはよぉ、高比良君!」 一分近く遅れて返事をした爽に、おにぎりの包装を手早く破り終えた毅史は失笑した。 「亀並みだな、お前」 そう言って海苔に包まれたおにぎりをポンと投げる。 机の上に身を乗り出していた爽は慌ててキャッチし、小首を傾げた。 「昨日の弁当の礼」 毅史は三口でおにぎりを一息に食べてしまった。 爽は手にしたおにぎりに口をつけるのも忘れてランチボックスの時と同じく感心してしまった。 「食わねぇの?」 爽はあたふたとおにぎりに齧りついた。 中身はシーチキンマヨネーズ。 慣れ親しんでいるはずの味だった。 毅史に貰ったそれは、これまで食べてきたおにぎりの中で最も美味しい一品だと、爽には思えた。 「お前、食べるのも亀並みなんだな」 二個目のおにぎりを手に取った毅史がそう口にする。 彼は爽が食べている様をじっと傍観していた。 その眼差しを一身に浴びた爽は否応なしに緊張してしまい、普段よりも遅いペースにならざるを得なかったのだ。 爽は自分の目線を頑なに机の上に固定させていたが、数分かけておにぎりを食べ終えると、しどろもどろに礼を述べた。 「あ、ありがとう、高比良君」 騒がしくなってきた教室の隅、こうして向かい合って朝のひと時を過ごしている。 数分前までの爽には予想だにしていなかった、夢みたいな出来事であった。 「ご丁寧に、どーも」 毅史はミネラルウォーターのペットボトルを傾けて水を喉に流し込んだ。 爽快な飲みっぷりにまたも目を奪われて爽は一時停止の態に陥る。 担任が教室にやってくるまでの間、彼は話しかける事も放棄し、そうして毅史に見惚れ続けていた。 ああ、どうしよう。 爽は、担任の話も聞かずにイヤホンで音楽を聴く自由奔放な同級生の背中に、自分の想いが込み上げてくるのをひしひしと感じ取っていた。 こんなにも好きになっていたなんて自分でもわからなかった。 『何、気色悪い事言ってんの?』 過去の痛手が脳裏に蘇り、爽は表情を曇らせた。 オフホワイトのベストを握り締めて胸の辺りに巣食う痛みに無言で耐える。 両目をきつく閉じて下唇を噛み、ただ辛抱するしかなかった。 中学時代、時間が経過するにつれて募っていく想いに促され、同じ学年の男子に思い切って告白したら。 暴言にも等しい返事を真顔で言い渡された事がある。 その時、僕は思った。 二度とこんな気持ちは味わいたくないって。 苦しくて悲しくてつらくて、すごく惨めで。 もう恋なんかするまいと思った。 だけれども僕は今、高比良君に恋してる。 本当、どうしよう。 頭を抱えたくなった爽であるが、ホームルームが終わるなり、クラスメートが次々と席を立ち始めたので盛んに辺りを見回した。 「次、変更で美術だよ」と、隣の席の生徒に教えてもらったところで、丁度新野が爽の元へやってきた。 「あ、毅史の奴まだ寝てるっ」 先程まで起きていたはずの毅史がイヤホンをしたまま机にうつ伏せている。 余程気心が知れているのか、新野はさも屈強そうな彼の肩を何度も平気で小突いた。 「朝ですよ、遅刻しますよぉ、うわ、こんなハードなの聞きながら寝てんの? 夢見悪いんじゃねぇ?」 「犯すぞ、ニーノ」 「そういやサボりすぎだって美術の原田が言ってた。だから今日は出た方がいいぞぅ」 「お前、いつから俺の世話役になったんだ?」 毅史が淡々と話し、新野がヘラヘラ笑うのを、二人の後ろについた爽は遠慮がちに見上げていた。 廊下に出ると当然他のクラスの同級生と擦れ違ったりする。 顔見知りの生徒に声をかけられれば、毅史は片言で一つ二つ言葉を返し、階段で下級生と思しき垢抜けた女の子から挨拶された折には、無愛想に「どーも」と返事をしていた。 毅史は誰に対しても愛想がない。 つまり、誰にでも分け隔てなく接する淡白な性格の持ち主だった。 カリスマ性とでもいうのだろうか、板についた無愛想振りは苛立ちを誘うどころか、むしろ関心や憧憬の念を増幅させ、不思議と同年代の人間を惹きつけた。 文化祭の話し合いを欠席して勝手に帰るのが許されるのは精々毅史一人くらいだろう。 接する人間全員に同じ態度をとる毅史に、ふと、爽は気になる疑問を抱いた。 好きな人の前だと、高比良君はどういう風に振舞うんだろう。 いつもと違う表情を見せたりするんだろうか?

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