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キミガダイスキ!!-4

いよいよ目前に文化祭が迫る頃合となった。 もちろん週明けの放課後も恒例の話し合いに費やされて、爽のクラスはまたも足止めを食らっていた。 教室の内装をどうするかで意見を出し合い、意見が多すぎたためにどれか削除しようとするのだが、その度にクラスメートの誰かが不満の声を上げる。 進行は停滞しがちで明らかに行き詰っていた。 イスの背もたれに深く寄りかかった毅史は一人イヤホンで音楽鑑賞に耽っている。 爽はそんな彼の背中に釘付けであり、前回に引き続いてまたも話し合いに不参加気味であった。 「大体さぁ、ミラーボールは無理だろ。天井に釘とか打っていいわけ!?」 「じゃあレコードプレイヤーは誰が持ってきてくれんの!?」 そんなこんなで大いに拗れた挙げ句、何とかいくつかの案に絞られて、話し合いはやっと決着を迎えた。 毅史はまだ音楽を聴いていて腰を上げる気配がない。 クラスメートは続々と教室を出ていき、爽は席を立つのが惜しく、もうしばらく座っていようかどうしようか迷い、挙動不審な物腰となって自分の席から離れられずにいた。 すると、僅かな振動が伝わったのか、毅史がおもむろにイヤホンを外して振り返った。 「何だよ?」 低音の声で問いかけられて爽は気恥ずかしさの余り口籠もった。 「ああ、もう終わったのか」 毅史は意気揚々と廊下に踏み出すクラスメートの背中を眺め、存分に背伸びをした。 関節が鳴ってパキパキと音を立てる。 体つきが雄々しいために随分と迫力のある背伸びで、見ていた爽は頬を紅潮させた。 毅史のやる行為なら何でもかっこよく見えてしまう爽は、毎日何かと彼に目を奪われがちなのである。 「お前、帰んないの? あの馬鹿はどうした?」 「あのばか?」 「ニーノだよ」 新野は図書委員の仕事があるので、話し合いが開始される直前にそそくさと教室を退出していた。 爽がそれを伝えると、毅史は然して興味もなさそうに「へぇ」と、呟いて、ふと三白眼を爽に向けた。 「爽、今から暇?」 目に慣れたはずの風景がやけに色鮮やかに見える。 真横を歩く毅史の気配を全身で感じつつ、爽は無意識に小さな吐息をこぼした。 「何、だりぃの?」 その問いかけを耳にした途端、爽は毅史を仰ぎ見、大真面目な顔つきで何度も首を横に振った。 前方を目にしたままの毅史は片頬に不真面目な笑みをつくる。 「知ってる」 「?」 「おい、通れねぇよ」 後の台詞は爽に向けられたものではなく、前を歩いていた四人組女子へのものであった。 女子高の制服を着た彼女達は道を塞ぐようにして横一列に並んで歩いていたのである。 女子高生は後ろにいた毅史の姿を認めるや否や慌てて道の端に寄った。 毅史は無表情で、爽は心許ない足取りでガードレールと彼女達の間を怱々と通り抜けた。 「た、高比良君、女の子にあんな風に言っていいの?」 「黙ってたら通れねぇだろ」 「それはそうだけど」 様々な店が立ち並ぶ雑多な通り、毅史は街路樹の落ち葉で散らかった歩道を快速に突き進んでいた。 他者と比べて足が長いので歩幅も相当違うのだろう。 爽は普段よりも忙しい歩調で彼の隣にくっついていた。 また名前で呼んでくれないかなぁ。 爽は決して口には出せない願いを胸の内に溜め込んでいた。 代わりに勝手にため息がこぼれ出てしまって、毅史に問いかけられた次第である。 お前呼ばわりされるのが嫌いなわけではない。 だが、名前で呼号されると、心の隅々まで満たされるような甘い満足感を得る事ができた。 嫌な出来事で頭を悩ませていたとしても、それらをすっ飛ばしてくれる心強い響きを伴っていた。 こうやって一緒に放課後を過ごせるだけで十分か。 欲求不満に陥ってたらキリがないんだ、うん。 学校から最も近い繁華街、毅史は黙々と裏通りを歩んでいたが、ある一軒の店にふらりと入店した。 中古のレコードショップ、こぢんまりとした店内には所狭しと棚が並んでいる。 「どーも、いらっしゃい、あ、毅史」 毅史は迷わずにカウンターへと直行し、ツナギをやたら着こなした赤い髪の男に話しかけた。 「あのレコード、入ってきたんだろ」 「おぅよ、メールで知らせた通り。ちゃんと確保しておいたよ」 爽は入り口付近で立ち止まっていた。 店の中に彼等以外の客は皆無で、古めかしいジャズが流れており、煙草の匂いが漂っている。 あの店員さん、年上だけれど、お互いすごく打ち解けてる感じがする。 爽は棚を物色するでもなくカウンターの方をじっと眺めていたのだが、店員と目が合って、自分が過度な視線を飛ばしていた事にようやく気がついた。 「あの子、友達?」 毅史は放置していた爽を見やって右手をひらひらさせた。 こっちに来い、というジェスチャーらしい。 爽は赤くなった頬を見られたくなかったものの、無視するわけにもいかないので健気に従った。 制服ズボンの後ろポケットから革製の財布を取り出した毅史はフンと笑う。 「お前、男に妬いたの?」 爽はもっと真っ赤になった。 妬いたって、まさか高比良君、僕の気持ちに気づいたんじゃあ。 爽が動揺している最中、店の中に客が現れた。 いや、客というより……。 「あ、また来た」 店員は一匹の猫がコンクリート剥き出しのフロアへ上がってくるのを悠然と見下ろしていた。 首輪はしていない。 リズミカルな足取りでカウンターまでやってきた。 すると店員は昼に食べ残した弁当の魚フライをポイと投げた。 「先週、店頭にコイツがいたから、中に連れてきて弁当の残りやったのよ。そしたら次の日からちょくちょく来るようになってさ」 猫はもそもそと魚フライを食べ始めた。 食べ終わるのを見計らって、毅史は、慣れた手つきでその猫を抱き上げた。 「お前、何聴くの。トランス? それともスクリーモかな」 毅史の丈夫な腕の中で猫はじっとしていた。 毛並みを撫でられてとても心地良さそうにしている。 グルルと喉を鳴らして、さもご満悦の態だった。 毅史は猫から目線を変えると、ぼんやりしている爽を見、またもやフンと笑った。 「お前、猫にまで妬いてんの?」 店員は吹き出し、爽は小柄な体をより小さく縮こまらせたのだった。

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