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キミガダイスキ!!-5
爽は駅近くにあるファミリーレストランで早めの夕食をとる事になった。
「亀並み」
セットメニューをとっくに平らげた毅史が向かい側でぽつりと呟く。
猫舌の爽はまだドリアの半分も食べきっていなくて、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「別に急ぐ必要ねぇけど」
窓際のテーブルから毅史はヘッドライトで溢れ返る車道を眺めていた。
可愛いウェイトレスが水を注ぐ間もそうしていて、背もたれに深々と背中を預けていた。
「ねぇ、高比良君」と、爽が声をかけると、彼は窓に顔を傾けたまま片目による視線だけを寄越してきた。
「何」
「えっと、その」
爽は温まっているスプーンを口から離そうとせず、もごもごと言いよどんだ。
「何だよ」
「あ、ほらっ、あの時、高比良君が上級生の人からビンタされた時……」
本当に聞きたかった事が口にできず、咄嗟に、別の質問ではぐらかした。
「何でそうされたかって?」
とりあえず爽がコクンと頷いておくと、彼は背中を曲げてテーブルに両腕を乗せ、他愛ない話をするような口振りで教えてくれた。
「俺の子供ができたんだと」
「……」
「どうすればいい、って泣きついてきて。手術するから金くれって、いきなり」
「う、うん」
「知るか、って言ったら、いきなり打たれた」
爽が石の如く硬直すると、毅史はあまりにも素直すぎるリアクションに心なしか口調を和らげた。
「お前、犬みたいだな」
「え、あの、それ、本当?」
「本当だけどな」と、毅史はあっけらかんと繰り返した。
「俺、本当に知らなかったし」
「え?」
「一緒に酒飲んだ事はあるけど、一方的に向こうが酔って、俺はさっさとタクシー乗せて帰した。そん時にデキたって喚かれた時は笑えたな」
「そんな」
爽はあの時の光景を思い出す。
力一杯引っ叩かれて赤くなった毅史の片頬、空気を劈くようにして響き渡った中傷の言葉を。
「高比良君、何も悪くないのにビンタされたの?」
あの時と同様に毅史は飄然としている。
「責任とって彼氏になれ、なんて馬鹿げた話にいちいち怒るのも面倒だった。向こうは卒業したし、もう、別にどうだっていい」
つまり、それは、何としてでも高比良君を手に入れたいがための狂言だった?
そこまでされるなんて、やっぱり、高比良君ってモテ……。
「暇な女だよな」
そう言って、毅史はグラスの水を飲み干し、爽の手元に置かれている深皿に目をやった。
「お前、食いながら喋ったら」
爽は依然として減っていない皿の中身にハッとした。
イスとガラス窓の狭間にもたれた毅史は呆れたように肩を竦め、そして笑った。
「もしかしたら亀より遅いかもな」
気のせいだったんだ、やっぱり。
爽は冷めかけてきたドリアを口に含んで、こっそり胸を撫で下ろした。
もし僕の気持ちに気づいていたとしたら、きっとこんな風に笑いかけてくれない。
突き放される、絶対に。
『何、気色悪い事言ってんの?』
だからこの気持ちは仕舞っておかなきゃならない。
高比良君にだけは言われたくない、あんな言葉。
「寒い」
ファミリーレストランを出、すっかり日が暮れて冷たさの増した風を浴び、爽は首をすぼめた。
「駅に行けばマシになるだろ。俺は、こっち。歩いて帰る」
毅史が顎でしゃくった先は駅とは反対方向だった。
今日の別れに幾分寂しさを覚え、爽はまた明日会えるのだからと一生懸命自分を励まし、何とか笑顔をつくった。
「じゃあ、明日」
「ああ、じゃあな」
別れの言葉を言い終えた毅史は、自分に背中を見せ、そのまま去っていくのだろうと爽は思っていた。
だが毅史はそうしなかった。
「電車乗り遅れるなよ」
くしゃりと髪を乱される。
びっくりした爽は思わず目を瞑った。
次に目を開けば、毅史の背中が、視界に写った。
「バイバイ」
爽は人通りのある舗道を前進していく毅史の背にもう一度サヨナラを告げた。
一緒にいられるのならもう何も望まないと、自分の胸に、そう強く言い聞かせた。
眩しいフラッシュに爽は瞬きした。
「あー、ちゃんと写ったかな」
インスタントカメラを手にしたクラスメートが不安げに呟く。
出てきた写真をピラピラと振りながら、彼女はまん前に立つ爽に気兼ねなく注文した。
「爽ちゃん、もう一枚ねっ」
「うん、わかった」
いつにもまして騒がしい朝の校内。
文化祭幕開けを知らせる放送は一時間前に流れ、今はどのクラスも開店準備の真っ最中である。
昨日の内に気合の入った内装を仕上げ、念入りな打ち合わせを済ませて、これから本番となる名イベントに生徒の大半が嬉々としてはしゃいでいた。
「爽ちゃん、絶対他校の奴からナンパされるよ!」
宣伝用のポスターに載せる写真を撮り終えて爽が一息ついていると、彼の周りに数人のクラスメートが集まった。
もちろん皆女装済みである。
クラスの男子のほぼ全員がメイク上手な女子のおかげで醜悪な出で立ちを免れ、まともな衣装と化粧を身に纏っていた。
「そんな事ないと思うけど」
「や、マジで大成功だと思うよ、それは」
「やっぱ元が可愛いと化粧も映えるんだねぇ」
最後の台詞は新野のもので、彼はどこからかレンタルしてきた派手なチャイナドレスを着用していた。
この日のために長年伸ばし続けてきた顎ヒゲを断腸の思いで剃ったらしいが、別段悔やんではいなさそうだ。
大き目の扇子を口元に翳してシナをつくるなどし、初めての女装を大いに満喫しているようだった。
「セーラー服っていうのが、やっぱいいよねぇ……」
周りが濃い目のアイシャドウや付け睫毛であるのに対し、爽一人だけが淡いピンクのグロス、自前の睫毛にマスカラを塗っていた。
クラスメートの持ってきた夏物のセーラー服が矢鱈と似合っている。
体毛が薄いのでハイソックスも細い足に難なくはまっていた。
羨望的な眼差しで見つめる女子一同と、ちょっと動じている男子一同に、爽は空笑いを浮かべるしかなかった。
「ねぇ、毅史君来てないのっ?」
声のした方に目線を走らせると、女子の一人が不安定な様子でイスの上に立っており、窓一面を覆う継ぎ接ぎだらけの布を張り直すのに難儀している。
「え、さっきいなかった?」
「来てねぇよ、遅刻かも」
「去年の文化祭、さぼって古着屋巡ってたらしいけど・・」
それを聞いて爽はため息をついた。
高比良君やっぱり来ないんだ。
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