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キミガダイスキ!!-6
「<爽ちゃん>ですか?」
端のイスにちょこんと座っていた爽は、見覚えのない女の子のグループに声をかけられて、内心苦笑しつつも頷いた。
「うわ、写真より可愛いよ、すごくない!?」
「あの、写真一緒に撮ってもらえますか!?」
爽は先程からしょっちゅう見知らぬ少女達に話しかけられていた。
最初に「爽ちゃんだ!」と、赤の他人から呼ばれた時には唖然としてしまったが、こうも立て続くとその感覚も麻痺してくる。
爽は鬱陶しいミディアムヘアのウィッグから早く解放されたいと願いつつ、差し入れで貰ったクッキーを齧った。
「うわぁ、スゴイ」
前方のドア口で一段と大きな声が上がり、爽は何気なくそちらに目をやった。
他校の制服を着た女の子が立っている。
可愛いというよりも大人っぽい美人で、胸の方もかなりのサイズである。
異性に限らず同性の目も引く程の抜群のスタイルだった。
「あれぇ、澤乃 ?」
お菓子の販売を手伝っていた新野が真っ先に彼女に声をかける。
澤乃という女の子は新野の扮装に一通り笑った後で、こんな事を口にした。
「趣味いいね、このクラスって。さすが毅史のクラス」
爽は然程噛み砕いていなかったクッキーをゴクリと嚥下した。
「ねぇ、毅史は? 毅史も女装してるの?」
「まさか。ていうか学校来てないし」
毅史や新野と同じ中学だったのか、彼女は親しげに新野と話を交わし始めた。
「お前、一人で来たの?」
「まさか、友達と来てるよ。でも男だから期待しないでね」
「あらら、残念」
爽は立ち上がり、目立たないよう姿勢を低くして教室を出、ざわついている廊下を一人とぼとぼと歩いた。
すごく綺麗な人だった。
爽はクッキーの包みを両手で持ったまま深く項垂れた。
元カノとか、かな。
男友達と一緒に来てたみたいだし。
でも、あの二人が並んだらすごくお似合いだぁ……。
浮かれる男女の合間を練って、沈んだ気分でいる爽は階段を下り、校舎の角に位置する保健室に出向いた。
急に一人になりたくなってその場所を思いついたのである。
教室を抜け出してきたのは悪く思うが、あの澤乃という少女がいる場所に長居するのは困難だった。
あのまま教室に居続けたら嫌な想像ばかりが脳裏を駆け巡って、気持ちがどん底へと落っこちるのが目に見えていたからである。
両開きの扉を開くと、いるはずの保健医は見当たらず、微かな医薬品の匂いと白っぽい室内に出迎えられた。
中庭に面する窓が開かれていて、青々とした植え込みを覗かせている。
風に押されてカーテンが音もなく翻っていた。
「ふぅ」
保健室の中央まで進んだ爽は肩で息をついた。
髪がさらりと肩を滑り、カールされた睫毛がそっと震える。
物憂げなその様子は最早少女以外の何物でもなかった。
「……」
パイプイスに座ろうとした爽であったが、ふと動きを止め、彼はカーテンで区切られたベッドコーナーに目をやった。
カーテンの狭間から見えた光景に、爽の瞳は一気に力を帯び、そして喜びに満ち溢れる。
ほんの短い距離を飛び跳ねるように進み、彼の眠るベッド脇に到着した。
「高比良君」
爽は小声で名前を呼んでみた。
長袖シャツの袖を捲り上げ、横向きに寝そべっている毅史は沈黙を通す。
布団の中に潜り込まないで全身を曝し、顔の上半分を片腕で隠していて、彼は彫像さながらに凝然と固まっていた。
爽は胸の高鳴りに身を委ね、熱っぽい視線で毅史の寝姿を見つめた。
いつも背中ばかりで、ちゃんと見るのは初めて、だ。
腕で隠されているところも見たく、爽は枕元のパイプを掴み、前のめりになって毅史の寝顔を覗き込もうとした。
「寝てると思った?」
突如、パイプを掴んでいた手を引っ張られた瞬間。
爽には何が起こったのか理解できなかった。
バランスが失われて一瞬足が宙に浮き、胸に軽い衝撃を覚える。
「え」
顔を上げると毅史が見下ろしていた。
やや上体を起こして、片頬に怠慢そうな笑みの皺を刻んで。
毅史の腹筋の上に倒れ込んだ爽は、乱れた前髪越しに三白眼の双眸と出会い、忙しなく瞬きした。
「お、起きてたの?」
「まぁな。カツラ、ずれてるぞ」
大きな手で大雑把にウィッグの位置を正される。
爽は頬を赤らめてあたふたと起き上がり、胡座をかいた毅史と向かい合った。
「いつ来たの?」
「朝から。学校来てすぐここで寝た」
今更その自由奔放な性格に驚いてもいられず、爽は曖昧に相槌を打ち、意味もなく白い壁や天井に視線を這わせた。
び、びっくりした、いきなり起きるなんて。
それに高比良君の上に乗っかるなんて。
何か、胸が火事になりそう。
「それ、何」
爽ははたと我に返って毅史に焦点を合わせた。
彼は爽の背後にあるベッドの上の、淡い色の包みに視線を落としていた。
「あ、これは差し入れでもらったやつ。クッキーなんだけど、おいしかったよ」
気を取り直した爽は包みのリボンを解き、残っていたクッキーを一つ取り出した。
「Bクラスが作ったやつだって。上手だよね、お店で売ってもいいくらいーー」
背中を屈めた毅史はか細い手首をとると爽の指先から直接クッキーを食べた。
「別に、普通じゃねぇの」
甘いものが好きでない毅史は、それ以上クッキーを欲求してこようとはしなかった。
指先を掠めた毅史の唇にすっかり逆上せた爽は何も喋る事ができなくなる。
室外から聞こえてくる喧騒が遥か遠いもののように感じられた。
時間の流れがやけに遅くなったような気が、した。
「どうした?」
毅史が顔を近づけてくる。
一時の恍惚とした目眩に見舞われている爽は、一歩身を引くのも忘れ、その場に固まったままでいる。
胸の底から込み上げてくる想いが、喉を伝って、現実となる言葉に変わろうとしていた。
「高比良君、僕……」
いざ口にしようとしたら。
爽の脳裏にあの悲惨な思い出が蘇った。
過去に味わった痛みが一瞬にして心臓を縛り上げて想いを閉ざす。
それは条件反射にも似た素早さで爽の告白を遮った。
「ごめん、何でもない」
たどたどしくそう言って、爽は、自分の想いを押し殺した。
教室に戻ると、毅史を待ち兼ねていたらしい、あの澤乃という少女が長い髪を靡かせて走り寄ってきた。
「学校さぼって来ちゃった!」
「へぇ」
「おい、お前ってば大遅刻だよ、毅史」
澤乃の隣に立った新野が軽いツッコミを入れる。
毅史は飄々としていて、澤乃はそんな彼を嬉しげに見上げていたが、ふと背後に控える爽に気づいて首を傾げた。
「この子、新しい彼女?」
「はぁ?」
毅史がぶっきら棒に聞き返す中、爽は澤乃に訂正しようともせず、彼女の背後を凝視していた。
「あ、これね、一応彼氏候補」と、澤乃が毅史に紹介している人物。
彼は爽が今の今まで忘れ去る事のできなかった、過去に悲惨な思い出を刻みつけていった張本人であった。
「もしかして、泉原?」
「え、橘君、毅史の新しい彼女と知り合いなの?」
「あのなぁ。コイツは男だって」
「やっぱ爽ちゃんの女装は特上だねぇ」
「ウソ、この子男なの?」
会話が入り乱れ、唐突すぎる邂逅に目を回しそうになっている爽に、ネクタイをだらしなく緩めた少年はいきなり爆笑した。
「すんげぇ久し振りじゃない!? ていうか、その格好似合いすぎだって!」
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