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キミガダイスキ!!-7

慌ただしい時間はあっという間に過ぎ去った。 文化祭の終了後に待っていたのはいつにもまして忙しい後片付けであり、生徒は疲労を抱えながらも自分達の教室に施した内装を取り除いて、互いに労いの言葉をかけ合い帰宅していった。 新野に誘われて爽は打ち上げがてらのカラオケに連れていかれた。 あまり乗り気ではなかったのだが、ある人間から強く推され、仕方なく出向いたのである。 「ほんっとう、全然変わってないよ!」 隣に座った彼の張本人、橘一紀(たちばないっき)は惜しみなく爽へと視線を注ぎ、何度も大きく頷いた。 「顔も体もちっちゃくってさ、女みたいだったわけ! 下手したら本物より女らしいってカンジ!? 今日の女装とかヤバすぎだったし!」 「そっか、爽ちゃんは昔から可愛かったわけだねぇ」 向かい側のソファの端に座った新野がのほほんとそんな事を言う。 爽はどう返事をしていいものかわからず、曖昧な笑みをつくるしかなかった。 「そんな事ないと思うけど」 「あ、謙遜するトコも変わってない! やっぱおもろい!!」 橘は爽の知っている中学時代と比べてさらに垢抜けていた。 髪は金髪に近い茶髪で、ファッション雑誌に掲載されてもおかしくないくらいにセットされている。 首にはシルバーのネックレス、耳には数個のピアスが見受けられ、顔立ちの方も読者モデルに匹敵しそうな容貌となっていた。 どうしてこんな風に話せるんだろう。 もしかして忘れちゃったのかな。 まぁ、もう二年くらい前の話ではあるけれど。 爽はかつて自分を手痛く振った相手よりも、向かい側のソファに座る二人に気をとられて仕方がなかった。 「ねぇ、毅史も歌おうよ。一緒にこれ歌って?」 「ニーノと歌え」 「ケチ」 毅史の隣に腰を据えている澤乃は見れば見る程魅力的な女の子だった。 緩やかにカールされた毛先ははだけた胸元に落ちていて、好奇心を持っていない爽でさえもどきどきしてしまう色っぽさだ。 澤乃は彼氏候補だという橘の目の前で毅史にべったり密着している。 爽の常識では考えられない行為であるし、どうしようもない痛みを促す辛辣な光景でもあった。 「泉原は歌わないの!?」 橘は橘で、彼女を咎めるどころか向かい側のソファに目線すら走らせようとしない。 爽は釈然としなかったものの、何も言わずに曖昧な笑みを浮かべて彼との会話を遣り過ごした。 やるせない時間を少しでも潰そうと、新野が頼んだ軽食やドリンクを口にするが、何故かどれもこれも味がないように感じられる。 こんなにすぐ近くにいるのに、すごく遠い。 爽は、無言のまま、ふらりと騒がしい部屋を後にした。 「はぁ」 近くにソファが置いてあったので、爽はそれに座って足を伸ばすと無人の通路に腰を落ち着かせた。 あの二人。 どうして別れたんだろう。 どうして今日、あの人は高比良君に会いにきたんだろう? 色ガラスがはめ込まれた斜め前のドアを見つめて爽は二度目なるため息をついた。 「あれ、泉原!」 爽は声のした方へ顔を傾けた。 視界に通路の奥からやってくる橘が写し出される。 彼は片手に煙草を持っていて、歩きながら一本取り出そうとしている最中だった。 気兼ねしない様子で爽の隣に座ると橘は煙草に火を点けてぞんざいに足を組んだ。 「何ていうかさ、アイツ怖いね」 「え?」 「迫力ありすぎじゃない? ちょっと引くよ、あの目つきは」 「……」 「サワちゃんと付き合うのって苦労しそうだなぁ~」 橘が愚痴をこぼし、スタンドの灰皿に煙草の燃え滓を落とす。 隣でその仕草を虚ろに眺めていた爽は、あれだけ募っていた過去の想いはどこへ行ったのだろうかと頭を捻らせた。 橘君の事、本当に好きだった。 それなのに今は何も感じない。 こういう人に恋をしたんだなぁ、と些細な懐かしさを覚えるだけ。 あの言葉を発した張本人なのだから悪感情が噴き出してもいいはずなのに、それも静けさを保っている。 おかしな話だ、あのせいで僕の想いにはブレーキがかけられているというのに。 もしかして違うの?  煙草をふかす橘の横顔を見ている内に、爽はある疑問にぶつかって、自分の記憶に真剣に問いかけた。 この人に告白した後、僕はどうしたんだっけ。 「だけど泉原がアイツと友達だなんて、かなり意外!」 大声で喋る癖があるらしい橘は自主的に整えている眉を頻りに動かして爽に尋ねた。 「いつもどんな事話してんの? アイツ笑ったりするわけ?」 「高比良君、あまり喋らない人だから。ただ一緒にいるくらいかな」 「へぇ~、よく間が持つね。俺だったら五秒で逃げ出すな!」 橘が何故か自信満々にそう言い放った直後、斜め前のドアが突然開かれた。 「あ」 通路へ出てきた毅史を見るなり橘は間の抜けた笑い顔を強張らせた。 「高比良君」 「ニーノの歌聴いてたら頭痛がしてきた」 毅史はソファの正面に立って安っぽい壁紙に両肩をもたれさせた。 普段と同じ無表情で、見慣れていない橘には不機嫌としか見て取れず、彼は先程までの態度と打って変わって不自然なくらいに黙り込んでしまった。 爽は明らかに萎縮している橘を横目で窺い、少しでも場を和ませようと毅史に話しかけた。 「文化祭、楽しかったね?」 「お前、女装が楽しかったのか?」 「……」 「あ~、でも似合ってたよ、ホント! ポスター見た時、まさかなって思ったけどさ」 橘が虚勢を張って会話に参加してくる。 出鼻を挫かれた爽は意味もなくこめかみを引っ掻き、心の中で三度目のため息をこぼした。 「泉原って中学の時からあんなカンジだったもんな! そんなに目立つわけじゃないんだけど、一日に一回は目がいくっていうか、必ず目が合ってたっていうか!」 「そうだったね」 「そんなに喋る仲でもなかったけどなぁ……あ、そういえば、思い出した!」 ヒヤリとして顔を上げると、毅史の視線にぶつかって、爽は硬直した。 「あれ、いつだったっけ、二学期の終業式かな、その日に泉原が俺を裏庭に呼び出したんだよな!?」 爽は橘の問いかけに答えられなかった。 しかし彼は一人納得し、毅史への緊張を紛らわせるために一際大きな声で話を続けた。 「あれはマジでビビッたなぁ、迫真の演技っていうの!? ちょっと震えててさ、好きだった、って言い方も絶妙だったし! あれじゃあ誰だって引っ掛かるよな!」 そうか、そういう事になっていたんだ。 爽は膝の上でぎゅっと拳を握った。 思い出した、僕はあの後、確か。 「コイツが引っ掛けた?」 「そうそう! 所謂ドッキリってやつ? 俺、三学期に泉原が全然学校来なかったから、すっかり忘れてた!」 両腕を組んで立っていた毅史は、一人盛り上がっている橘を尻目にかけ、身じろぎ一つしない爽を正視した。 「コイツがそういう事するなんて想像つかねぇな」 爽は手の内側に立てた爪にさらなる力を込めた。 あの後、僕は笑って誤魔化した。 自分の本当の気持ちを冗談みたいにはぐらかした。 橘君に嫌われたくなくて、哀れすぎる自分を守りたくて。 「え、だって、実際あったよな、泉原?」 真剣な告白だったと話したら今度は高比良君に嫌われる。 爽はあの時と同じ寒気に襲われ、爪先から全身にかけて徐々に凍っていくような感覚に陥り、青ざめた。

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