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キミガダイスキ!!-8

言わなきゃ。 笑って、誤魔化して、押し殺さなきゃ。 だって高比良君に嫌われたくない。 一緒にいられるのならそれでいいんだから、ほら。 「爽」 その呼び声に爽は瞬きした。 両腕を組んだ毅史が自分の言葉を待っている。 その真っ直ぐな視線は爽の胸を貫いて、陰鬱だった暗がりに仄かな光を射し込ませた。 それでいいのだろうか? 僕が本当に二度と味わいたくないものは、自分の気持ちを笑って打ち消す時の、あの真っ黒な波に呑まれるような心地じゃないのかな? 「二年前の、あの告白は」 僕は高比良君への想いを打ち消したくない。 出来損ないの笑いなんかで誤魔化して、何もなかった事にするなんてもう無理。 「演技なんかじゃないよ」 あの時よりもこの想いは強い。 「橘君の事、本当に好きだった」 過去に刻みつけられた傷を降伏し、そして、この想いを伝えよう。 「今は、僕、高比良君のこと好きなんだ」 爽は真っ直ぐな視線に応えるようにその双眸を見つめ返した。   束の間の沈黙の後、最初に口を開いたのは橘だった。 「やっぱ天才じゃん」 毅史の言葉だけを待っていた爽にその台詞は聞き取れなかった。 が、橘は一切構わずに大笑いして「すごいよ、演技ヤバすぎだって! どうしたの、何でそんなに完璧なわけ!? まさかどっかで習ってるとかーー」 橘は最後まで台詞を言い切る事ができなかった。 「てめぇは黙ってろ」と、毅史が低い声で言う。 「お前が逃げ出す五秒前に気絶させてやろうか、なぁ」 橘の襟元を掴んでソファから乱暴に立ち上がらせるや否や、毅史は怒気に満ちた眼光をここぞとばかりにひけらかした。 驚いた爽はソファから立ち上がろうとした。 「あ」 が、斜め前のドアがおもむろに開かれて、顔を覗かせた澤乃に動揺した余り中腰の姿勢で固まってしまった。 彼女は毅史が橘を締め上げている場面を目撃し、入念にマスカラの施された瞳を二、三度しばたかせた。 「お兄ちゃん、何してるの?」 脱力しかかっている橘を睨み据えていた毅史は、目線はそのままに、部屋のドア口に立つ澤乃に向かって険しい声を発する。 「お前、いい加減その性格直せ。迷惑なんだよ、こっちは」 毅史に突き飛ばされて橘は元通りにソファへと治まった。 端整なはずの顔は歪に強張っていたが。 「俺はコイツと帰る」 呆然自失に近い有り様でいる爽の手を引いて毅史はそこを後にした。 キョトンとしている澤乃の視線と、お世辞にも上手と言えない新野の歌声を背中で受け止めて。 爽は毅史に引っ張られて夜の帳が完全に下りた街中を足早に前進した。 お兄ちゃん?  カラオケボックスのあった雑居ビルを出、たくさんの人の間を速やかに擦り抜けていく内に、爽はやっと把握した。 あの人は高比良君の妹だったんだ。 何てバランスのとれた兄妹だろう、うーん。 交差点脇で毅史が立ち止まり、息を整えた爽は咳一つして、前方を直視している彼におずおずと声をかけた。 「た、高比良君、あの」 信号待ちのため立ち止まっている通行人の中で明らかに頭一つ分飛び出していた毅史は周りを憚らない口振りで爽にこう告げた。 「今からホテル行くぞ」 予想不可能であった毅史の返答に、爽は目を剥くしかなかった。 そこは割りとシンプルな部屋だった。 浴室はガラス張りで壁際にはカラオケ専用のマイクスタンドが設備されており、テレビは大画面で、もちろんベッドも特大サイズである。 爽は一ヶ所に視線を定めるのもままならない。 居心地悪そうにしている彼の横を通り過ぎて、毅史はベッドに腰掛けた。 「高比良君、こういうとこ慣れてるの?」 「お前みたいに緊張しない程度には」 「そ、そう」 「とりあえず座れば?」 毅史に誘われて部屋の中央で直立していた爽は覚束ない足取りで彼の元へ近寄った。 「あ、あの子妹だったんだね!」 近寄ったものの爽は彼の隣に座るのをためらって急に足を止めた。 「すごく可愛かったよね、えっと、一年生なの?」 「中三。アイツ、変な癖持ちやがって。俺にビビッてる男を見るのが好きなんだと」 「……」 「俺が今まで手ぇ出した事なかったから、さすがに驚いてはいたみたいだったな。ま、懲りねぇと思うけど」 先程、橘の鼻先で見せていたあの怒気は跡形もなく消えており、いつも通りの無表情というわけでもなく、毅史の口元には意外にも柔和な色が浮かんでいた。 後数歩で届く距離をどうしようか爽は必死で悩んだ。 「俺の家、猫飼ってて」 爽の緊張を解き解そうとしているのか。 毅史は唐突に脈絡のない話を始めた。 「猫?」 「そう、二匹。アイツ等ってマイペースな気分屋で、丸一日家に帰ってこない時もあるんだよな」 「そうなんだ」 「だからお前みたいなのは新鮮だった」 こぼれんばかりに目を見開かせた爽に剣呑なはずの三白眼は愉しげに微笑する。 「目が合ったらすぐ逸らすところなんか、臆病な犬にそっくりで。そのくせ毎日懲りずに見るんだよな、一学期中ずっと。席が前後に並んでも、待て、って言われてる犬同然に話しかけてこねぇ。ただ背中を見てるだけ。辛抱強いと思ったよ、あれは」 爽は相槌を打つのも忘れて彼の話に聞き入った。 「話すようになってからは益々従順なペットに思えて仕方なくなった。俺が何をするにも目ぇ輝かせて、俺の言動一つで態度変えて。お前の何もかもがリードを握ってるのは貴方です、ってもろに語ってたんだよ」 だけどな、それが狂った。 「狂った?」 「俺が気をとられるようになった」 毅史は照れもせずにそう言い切った。 爽は彼の隣に腰を下ろして、まじまじと毅史を見つめた。 「今日の朝、廊下からお前の格好見て動揺した。だからすぐそばに行けなくて、保健室に行った」 「うん」 「そしたら、お前保健室に来るんだもんな。久々にテンパッたよ。だからついあんな行動に走ったんだよな」 毅史の言う事が俄かに信じられない爽は「そうなの?」と、聞き返す。 すると毅史は珍しくバツが悪そうな表情となって早口に呟いた。 「寝たフリして引き寄せるなんて、あんなくせぇ事そうそうできるか」 不思議な事にさ、と毅史はその後に付け足した。 爽の肩に手を置いて、いとも簡単にその小柄な体をベッドに仰向けにさせて。 「今、いつもと全く変わんねぇ爽にも同じ気持ちでいるわけだ」 「た、高比良君」 「だからここに連れてきた」

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