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君にさよなら/無気力くん×明るいメンヘラくん

■自傷行為の描写があります 赤く滲んだ傷。 剥き出しになった白い手首にカッターナイフが宛がわれている。 血はすでに流れ、ゆっくりと脈を辿るように伝い落ちて。 彼は静かにこちらを向いた。 「楠里(くすり)嶺井楠里(みねいくすり)は二年前に事故で妹を亡くしていた。 六歳違いであった妹は十という数字にも満たない内に、未成年者の運転していたバイクに撥ねられ、その一生を終えた。 葬式では誰もが涙して幼い命の悲劇を悲しんだ。 たった一人、楠里を除いて。 涙はおろか悲しみという感情さえ浮かんでこなかった。 妹の死に顔を直接目にしても、嘆きが周囲を包んでも、楠里は冷静だった。 謝罪に来ていた、妹を殺した張本人に父親が掴みかかろうとしたのを難なく止めに入ることもできた。 嫌っていたわけではない。 疎ましかったわけでもない。 どうしてだろう。 楠里は疑問に思った。 その答えは数日後に母親の口から明らかにされた。 「あんたなんか元から死んでるのよ」 妹の遺影の前から離れないので、強引に動かそうとしたら、母親はものすごい剣幕で取り乱した。 散々罵倒された挙句に、その台詞。 楠里は傷つかなかった。 後に父親から諌められ、母親は泣きながら謝ってきたが、楠里は実に空っぽな思いで彼女を慰めてやった。 その通りだ。 僕はもう死んでいる。 今、やっとわかった。 いつ笑ったか、泣いたか、怒ったか、悔やんだか、思い出せない。 物心ついてからそういった感情を胸に抱いた覚えがなかった。 僕は生ける死体だ。 「楠里」 楠里は足早に歩み寄ると机に突っ伏していた彼の右手首を掴んだ。 カッターが音を立てて床に落ちる。 空中に投げ出されていた左腕にはたくさんの傷があった。 鮮血を滴らせるのは一つだけで、後は過去につけたもののようである。 「楠里」 楠里は彼の顔を見た。 同じクラスの生徒。 だが名前は知らない。 この席の生徒でないことは確かだった。 「あ……誤解しないでくれる。俺、自殺しようとしたわけじゃないよ?」 慌てるでもなく、明るい口調で彼は楠里に言う。 「暇潰し。遊んでたんだ」 楠里は手を離した。 彼の座る席の横にかけていた通学鞄をとる。 そして落ちていたカッターを拾い机の上に置くと、そのまま無言で教室を出ようとした。 「楠里!」 立ち止まり、振り返る。 カーテンは閉ざされ、蛍光灯が煌々と照らす教室に一人ぽつんと残された彼は、微笑んだ。 「俺も帰る」 「俺ね、桐山清吾(きりやませいご)。清い吾、って書いて清吾。覚えてね」

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