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君にさよなら-9
ある日、空が夕焼けに侵食されかける午後、清吾に手を引かれて楠里は散歩へ出かけた。
何日ぶりの外出だろうか。
自前のマフラーを巻き、清吾が貸してくれたジャケットのポケットに片手を突っ込み、道を歩く。
そういえば昨日か一昨日、配達されてきたたくさんのハガキを清吾がゴミ箱に捨てていた。
もう年が明けたのだ。
清吾に導かれるがままバスに乗って、十五分ほど揺られて、降りた。
歩道橋をのんびり渡ると、ファーストフードショップを通過し、作業中の工事現場を迂回するように細い路地へ。
アパートや住宅のひしめき合う団地に出た。
子供の泣き声がどこからともなく響いてくる。
日はもう大分傾いていた。
家々の灯火が道路を照らしている。
不意に清吾が立ち止まった。
三階建てのアパート前。
ペンションタイプで、舗道に面する壁には出窓が張り出している。
清吾はじっとそのアパートを見つめている。
吐く息が白い。
四十五度の角度で、吹き付けてくる強風に髪を乱されても、硬直したままでいた。
自転車が背後を軽快なスピードで走り過ぎていく。
「……」
清吾の双眸から流れた涙を見て、楠里は、あの感覚に支配された。
身の竦むような悲惨な焦燥感。
鋭い棘に心臓を刺された。
血が吹き零れてくる。
清吾の傷のように。
「……さっきのとこで食べて帰ろ」
微笑んだ清吾は踵を返して来た道を戻った。
「彼女の住んでた場所」
暖かい店内、注文を済ませてテーブルに着いた清吾は右腕を指先でとんとん叩いてみせた。
店内はほぼ満席だ。
窓ガラスには雪の結晶などのレイアウト。
「マフラー外したら?」
清吾に言われて外そうとしたら店員が注文していた品を運んできた。
「いただきまーす」
涙はもう流れていない。
その双眸は楠里を写している。
だけど清吾はまだその人のことを忘れられないでいるのではないだろうか。
清吾はポテトを少し残して、楠里は全体的にほぼ半分を残して、店を出た。
車の行き交う車道を下にして歩道橋を渡り、数分待って、バスに乗った。
車内は空いていて、二人は後部座席に腰を下ろした。
疲れたのか、清吾は楠里の肩に頭をもたれさせて目を瞑っていた。
穴が空いている。
どんどん広がって大きくなって、そのうち、自分は穴に侵略される。
窓から見えるぼやけた光の輪に目を奪われたまま楠里はため息をついた。
苛々した。
時間がひどく気になり出した。
あの感覚が四六時中付き纏った。
何もわからない。
何もわかりたくない。
どうしてこんなに苦しい?
どうして、どうして?
どうして彼を抱きしめられなかったんだろう。
「楠里?」
清吾は聞き返してきた。
「なんで?」
「いやだ、できない」
『抱きしめて』
わからない、そんなこと。
俺にはできない。
できるわけがない。
誰かの代わりになれる価値もない。
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