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それでも添い遂げ心中-5

「ごめん、今日のサンドイッチ忘れた」 寝坊して二人分の昼食を用意できなかった椛島が謝れば苑田は首を左右に振った。 「気にするな、椛島」 朝、生徒が騒がしげに行き来する廊下の隅っこ。 胃袋係ですらいられなくなるかもしれないと、一瞬、不安に駆られて素直に顔を曇らせた椛島に苑田はキョトンした。 「僕はサンドイッチを忘れたからと言って怒ったりしないぞ」 180センチ超えの自分よりは背が低い、しかしながら170センチ半ばの椛島の短髪黒髪頭を、苑田はこどもみたいに撫でた。 「明日はアボカドとサーモンと玉子のサンドイッチが食べたい」 しまいには両手でわしわし撫でられ、まるでワンコ扱い、そばを通り過ぎる同級生にクスクス笑われた。 「明後日はガーリックチキンソテーサンドがいい」 窓から惜しみなく降り注ぐ朝日を浴びて眩しい苑田に、乱れた前髪越しに、椛島は視線を奪われた。 「明後日は土曜日だからガーリックチキンソテーサンドは月曜日な」 好きだよ、苑田。 その日の昼休みに椛島は数日間付き合った彼女に別れを告げた。 自分自身に非があると言って聞かせたが、彼女の涙は止まらず、罪悪感を背負い込んだ椛島は昼食を食べる気になれず、教室へ戻るのも気が引けて屋上へ向かった。 青空の真下、誰もいない薄汚れた屋上で全身に風を浴びて一人佇んだ。 自分勝手で最低なひどいことをして人を傷つけた。 それなのに、ここへ来て、苑田と出会ったときのことを思い出して、あのときの苑田はすごくきれいだったって、回想に浸ってる。 「俺って薄情だな」 椛島は裏庭側の手摺りへ歩み寄った。 とてもじゃないが、あのときの苑田のように腰掛けるなんて、できそうにない。 錆びた手摺りに両手を置き、あのときの苑田は本当に「死ぬこと」に興味津々だったのだと、しみじみ痛感した。 ここに座るなんて怖過ぎる。 絶対に無理だ。 もうきっぱり諦めてくれただろうか、苑田、もう死んでみたいなんて思わずにいてくれているだろうか……。 「椛島」 椛島は心臓が止まるかと思った。 驚いて振り返れば真後ろに苑田が立っていた。 「全然……気づかなかった、苑田、一声くらいかけてくれよ」 「今かけただろう」 ダージリンティー色の髪の先を風に靡かせ、やや色素の薄い瞳を日の光に煌めかせ、苑田は椛島を見下ろした。 いつにもまして無駄に美形っぷりに磨きをかける真顔に椛島はたじろいだ。 「苑田、ここへ何しに……?」 「僕はたまにここへ来る。そう言う椛島はどうしてここに来た」 「ちょっと、気分転換に……お前、たまに来るのか? もしかしてまだ自殺願望に振り回されて……」 台詞の続きは椛島の喉奥にヒュッと引っ込んだ。 手摺りに置かれていた椛島の片手に重なった苑田の片手。 親戚に会えば何か運動をやっているのかと聞かれる椛島の手を容易に覆い尽くす、大きな掌だった。 「僕と心中してくれ、椛島」 椛島は耳を疑った。 いやに迫りくる苑田をまじまじと凝視した。 「何言ってるんだ、苑田……」 ぎゅっと、掌に力を込められて、椛島はついつい頬を紅潮させてしまう。 駄目だ、こんなあからさまな反応をしたら苑田に気づかれ……いや、苑田のことだから気づかないか。 違う違う、そうじゃ、そうじゃない、そんな悠長なこと考えてる場合じゃな……。 「椛島の人生を丸ごと僕にくれ」 遥か上空を横切るジェット機の轟音が地上に届く。 「僕の人生も椛島にぜんぶ捧げる」 二人の隙間を一陣の風が吹き抜けていく。 「僕と椛島、二人の最期の日が来るまで一緒にいてくれ」 ああ、やっぱり、苑田ってとても綺麗だ……。 椛島は自分の手に重ねられた苑田の手に、もう片方の手を上から重ねた。 「うん、俺、苑田と心中したい(添い遂げたい)」 やっぱり椛島は誰よりも何よりも色鮮やかだ。 まるで生涯の伴侶とするような誓いを互いに立て、苑田は、椛島にキスをした。 限界まで見開かれた椛島の双眸。 突然の口づけに見事なまでに硬直した。 「椛島、どうした」 「っ……どうしたって、苑田こそ、なんで……キスなんか」 「したくなった」 「……」 「悪いことをした」 「え……?」 「お前には恋人がいるのに」 「……その恋人とは、さっき、別れたから」 苑田にキスされた。 うそだろ、まさか、どうしていきなり、だって宇宙レベルの絆だって、恋愛とは無関係な崇高な関係だって、そんな風に言ってたじゃないか。 嬉しい。 すごく嬉しい。 「も……もう一回……」 椛島は風に裾をはためかせる苑田の制服シャツを掴んで、嬉しさの余り、何にも考えられなくなって二回目のキスをお願いした。 すると苑田は。 決して華奢でも細身でもない椛島の腰を抱き寄せ、持ち上げた顎に長い指を添え、猛烈にいとおしくなった唇に口づけた。 一回目よりも長く、深く、たっぷり。 青空の真下でのセカンドキスに二人して夢中になった。 苑田、苑田、夢みたいだ。 もっとほしい。 こんな風にお前と触れ合えるなんて、こんな幸せ、生まれて初めてだ。 椛島はポロリと涙を零した。 離れ難く唇を繋ぎ合わせたまま苑田は彼の涙を拭った。 「椛島、大好きだ」 「うん、俺も」 「海の見える丘にレストランを建てて一日客数を限定したディナーコースを実施しよう、何とか流星群の夜には閉店時間をぐっと遅めて、何なら夜明けまで営業して、星座に引っ掛けたリーズナブルなコースを若年層向けに出そう」 「苑田、すごいな、自分も若年層なのに」 青空の真下、五限目の授業をさぼった苑田と椛島は屋上でくっつき合って二人の未来の設計プランに意気揚々と取り組むのだった。 end

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