クリスマス・イブの日曜日。 どれだけ世間が盛り上がろうと大手広告代理店で営業主任を務める和利はクライアントとの打ち合わせのため普段通り仕事へ向かう。 「遅くなってもいいけれど。デザートまでには間に合ってくれるかしら」 あたたかそうなカシミアのマフラーを用意した妻(♂)の史乃にそう言われ、玄関先でブラックのビジネスコートを纏った和利は頷いた。 「パパがいないとさみしぃ……」 来年中学生になる割に甘えたな息子の遼にも念を押される。 丁寧に磨かれた焦げ茶の紐革靴に爪先を滑り込ませた和利は、わざわざ振り返り、女の子めいた顔立ちの我が子に笑顔で頷いた。 「遼が淋しくならないよう急いで帰る」 無理難題を並べ立て交渉を長引かせることで有名なクライアントとの打ち合わせが見越していた時間よりも短くスムーズに纏まった。 イエス・キリスト様々、か。 メディアへの露出度が多い、人気上位を占める婚活サイトの運営をしている上場企業の自社ビルを出、和利はタクシーで会社に一端戻った。 「お疲れ様、よかったらどうぞ」 ちょっとしたクリスマスプレゼントなるスイーツの差し入れを同じチームの部下に渡して角のデスクに着く。 「忘年会、相原さんゾーン、また争奪戦になるの確実」 「斜め後ろでもいいからゲットしたい」 スマートな外見、トップクラスの成績、それらを笠に着て驕るようなこともなく、上司からは頼りにされて部下からは理想像に据えられているパーフェクトと思しき男だが。 『他の誰も知らない、俺だけが知ってる本当の父さん、もっと見せて』 ほんとはそんなことない。 船上クルージングの婚活パーティー企画に適した人材の候補、スケジュールや予算見積もりをざっと立て、和利は大事な家族との約束を守るため今日は早めに切り上げることにした。 翌日の大幅残業を覚悟し、まだ余裕で人の残る六時過ぎの職場を後にする。 エレベーターを使用してガラス張りのエントランスホールへ。 専門会社に委託して掃除の行き届いたフロアに降り立ったところで。 彼は不意に足を止めた。 オフィスビルには不似合いでエントランスを行き来する人々の目を引く人物がいた。 両耳にそれぞれモチーフの違うピアス。 スラリとした長身でロング丈の黒モッズコートを着こなしている。 細身のスキニーもショートブーツも全て黒。 癖のないストレートの髪も。 艶を擁するほどの烏羽色だった。 「桔梗」 よく磨かれた大理石の壁にもたれ、スマホを見るでもなく悠然とリラックスしていた桔梗は和利を見た。 「父さん」 一体、何をしに会社へ。 離婚した前妻との間に生まれ落ちた桔梗のことを和利は放置し切っていた。 史乃や遼と一切関わりを持とうとしない、ろくに言うことを聞かない息子の存在を持て余していた。 全て以前の話だ。 今は無関心でいるどころか誰よりも嫌悪している。 「何の真似だ、どうしてわざわざ……」 息子の初めての会社訪問に無駄に怒りを露にし、詰め寄ろうとした和利だったが、広々としたエントランスを進んでくる上司が視界に入ると咄嗟に口を噤んだ。 営業部の統括リーダーはよくできた部下の眉目秀麗な付き添いに自然と足を止めた。 「父がお世話になっております」 「相原君のお子さん？　てっきりデザイナー関係の方かと。こんなに立派な息子さんがいたのね」 珍しく周章する和利の隣で桔梗は微笑んだ。 「人生の目標にしている父がどんなところで働いているのか興味があって。やりがいのある仕事だといつも聞いています」 「どういうつもりだ」 「さっき言った通りだよ」 「小賢しい真似を」 控え目なイルミネーションで彩られたオフィス街。 平日と変わらず人通りのある舗道を和利はいつも以上に足早に進む。 不機嫌そうな横顔に三日月を象る桔梗の唇。 自宅や職場では決して見られない父親の不快感に胸をくすぐられる。 「寄り道しよう？」 無視して先を急ぐ和利により煽られた桔梗は父親が猛烈に嫌がる行為に出た。 「なッ」 その場で和利を後ろから抱きしめた。 否応なしに周囲の注目を浴び、和利の頬はカッと熱を帯びた。 抱擁を解こうにも我が子の両腕は拘束の如く半身に絡みつき、公衆の面前において全力で抵抗するのもみっともなく思えて。 屈辱的なスキンシップに深く項垂れて耐えた。 いくら注目を浴びようと平然としている桔梗に声を振り絞った。 「お前は俺を陥れるのがうまいな」 「大袈裟だよ」 「お前なんか嫌いだ」 こどもじみた物言いに桔梗は密やかに微笑と欲を深める。 穢らわしく黒ずんだ独占欲を。